令和6年の元旦。
能登半島を最大震度7の大地震が襲った。
地震の一報を知った我々は、年明け早々の厄災に驚愕してただただ茫然とする以外になかった。
増税眼鏡氏は非常災害対策本部会議のため、席を外しいまだ戻ってきていない。
俺もお嬢様も言葉少なに、それぞれ手持無沙汰のまま増税眼鏡氏の戻るのを待っていた。

どれほど時間が過ぎただろうか。
木製のドアがゆっくりと開き、増税眼鏡氏が戻ってきた。
ドアが開いた時には、外からの騒がしい気配は消えていた。
彼はソファーに深く腰を掛けると深いため息をついた。
表情には疲労が色濃く出ている。

「お疲れみたいね。シベット・コーヒーカペ・アラミドを淹れて上げるわ」
コーヒーの香りや、含有されているカフェインには疲労回復や、ストレスの軽減の効果があるということだ。
「それはありがたい。ラージサイズでお願いいたしたい」
「食事も取った方がいいわよ。腹が減っては戦はできぬと言うわよね」
テーブルの上は一新されており、大みそかに用意されたお節料理が並べられているが、ほとんど手付かずのままになっている。
彼は手刀を切って、数の子に手を伸ばした。
俺はずいぶん遅れた年越しそばで腹を満たすことにした。

「この後の議論に対して忖度はしないが、震災対応お疲れ様」
増税眼鏡氏に塩を送るつもりは毛頭ないが、命のかかる土壇場で人が人を救おうとする行為については、人種や主義主張の相違に関わらず共通であると信じているからこそ自然と発せられた言葉だった。
「ありがとう。こちらこそ待たせて申し訳ない」
「気にすることはない。待つことはそんなに嫌いじゃないからな。それはそうとこの蕎麦旨いな~」
調理から1週間以上経っているにも関わらず、麺はまるで今茹で上がったばかりのような食感だった。
「隠し味として私の愛情たっぷり入れたから。私の愛情は賞味期限を約1年間延ばすのよ」

愛情はともかく、10割であろう蕎麦を平らげ、蕎麦湯までお代わりした。
増税眼鏡氏も空腹だったらしく、数の子に続いて伊達巻や、焼き物、伊勢海老を平らげた。今は食後の栗きんとんを頬張っているところだ。
お嬢様は、筑前煮と昆布巻きを食べただけで早くも食後の栗きんとんに取り掛かっている。
「お嬢さん、もっと食えよ。あんたちょいとスリムすぎなんじゃねぇか?」
「食後のアイスも食べたいから、セーブしてるのよ」
そう言うと金粉が振りかけられたアイスを出してきた。
白夜という珍しいアイスらしい。
「一口いかが?」
増税眼鏡氏も俺も辞退した。
男に別腹という器官は存在しないのだ。

「憲法14条全ての国民は、法の下に平等であって人種、信条、社会的身分において差別されない!」
腹ごしらえを終えた俺は、高らかに宣言した。
しかしながら俺と増税眼鏡氏は目を合わせ苦笑いした。
この憲法がもはや形式上のものであって、現実とは完全に乖離しているという事実は小学生くらいで気付かされるだろう。

「まあ、理想と現実の違いを知ることも大人になるために必要なステップなのかもな」
半ばあきらめ顔で呟いた俺に、増税眼鏡氏も苦々しい顔を浮かべて小さく頷いた。
「そんな事私が許さないわよ!」
男二人が哀愁の面持ちを浮かべ、同調し始めていた雰囲気を一変させるようにお嬢様がしっかりと通る声で力強く言った。
「あなたたちは一体いつからそんな意気地なしになったのよ。大人になることが妥協することなら私は一生子どものままでいたいし、それに未来を担う子どもたちに私たちは嘘を付き続けるというの?」
白夜を食べるのも中止して、お嬢様は熱く語った。
「私は日本に住む人には例外なく憲法14条の適用を求めるわ!」

俺はお嬢様の気迫のこもった声に、右頬をしたたかぶたれた気がした。
お嬢様の言う通りであった。
考えてみると我々の多くは、年齢を重ねるごとに恐らく何かを一つ一つ確実に諦めてきただろう。
スーパーマンになりたかった子もいれば、漫画家になりたかった子もいる。
スポーツ選手、医師、研究者、ゲームクリエイター等々数えきれない。
小学生の時にこんな大人になりたいと夢見ていた人物に一体どれほどの者がなれたのだろう。
これらは理想と現実の剥離を認め諦める事と同義である。
自国の憲法くらい、胸を張って未来の担い手に語りたいではないか。

「ありがとう。俺は大事な事を忘れていたようだ。そろそろ忖度はなしといこうじゃないか」
そういうと正面から増税眼鏡氏の顔を見据えた。

つづく