虎渓三笑とは、廬山に住む慧遠法師を陶淵明と陸修静が訪れた帰り、
慧遠法師が二人を送る途中、話に夢中になって超えないことにしていた虎渓を過ぎてしまい三人で大笑いしたという故事である。
儒仏道の三教一体を表す故事で、慧遠法師が仏教、陶淵明は儒教、陸修静が道教を表す。
慧遠(えおん)法師→仏教
334-416
中国,東晋(とうしん)の仏僧。浄土宗の祖師と称され,〈蘆山(ろさん)の慧遠〉といわれる。俗姓賈(か)氏。道安(どうあん)について仏道に入り,無量寿仏像を礼拝し,観想念仏を修し,白蓮(びゃくれん)社という念仏結社をつくる。
陶淵明(とう えんめい)→儒教
365-427
中国,六朝時代の東晋末~南朝宋初の詩人。潯陽 (じんよう) 柴桑 (江西省星子県) の人。名は潜。一説に名が淵明,字を元亮ともいう。下級貴族の出身で,生活のため 29歳頃から数回官途についたが,肌に合わず,義煕1 (405) 年彭沢 (ほうたく) 県令をわずか 80日で辞し,『帰去来辞』にその気持を託して故郷に帰り,田園で農耕生活をおくった。
「帰りなんいざ、田園将 (まさ) に蕪 (あ) れんとす、胡 (なん) ぞ帰らざる」の方ですね。
陸修静(りくしゅうせい)→道教
406‐477
中国,劉宋時代の道士。字は元徳,号は簡寂先生。初め廬山南麓に簡寂館を建てて住したが,のちに明帝に招かれて建康の崇虚館に住し,道教経典の収集整理を行って〈三洞〉の分類法を確立し,それに基づいて最古の道書目《三洞経書目録》を編んだ。また,道教の儀軌を制定して道教教理の確立に努めた。
中国,劉宋時代の道士。字は元徳,号は簡寂先生。初め廬山南麓に簡寂館を建てて住したが,のちに明帝に招かれて建康の崇虚館に住し,道教経典の収集整理を行って〈三洞〉の分類法を確立し,それに基づいて最古の道書目《三洞経書目録》を編んだ。また,道教の儀軌を制定して道教教理の確立に努めた。
虎渓三笑図はたくさん見かけますが
紅雲庵には虎渓三笑の蓋置があります。
三つ人形のバリエーションですね。
袈裟をお召しなのが慧遠法師でしょう。
頭巾は陶淵明で
辮髪風なのが陸修静?
正解不明です、ごめんなさい。
紅雲庵ではこの降誕節の期間に
東方の三博士(三賢人)に見立てて使っています。
長板に雪玉のような白磁の水指
金襴手赤の杓立
緑の建水でクリスマスカラー
三博士見立ての三笑は建水におさまってます。
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