庵主に茶の師匠はたくさんいます。
庵主がおむつの頃から実家に出稽古してくれていた大叔母。
神社の斎館で大勢のお弟子さんを教え、お茶気、雅見、洒落っ気の長生庵の先生。
閑静な住宅街のご自宅でひっそりとお弟子=家族のようにお茶を遊んでいらした高齢の先生。
ビルの中に先祖伝来の茶室を構えて悠々自適の数寄者先生。
茶人でもある料亭主人の先生は道具と茶事を中心に教えてくださり。
茶花の先生は野山を歩いて自分の手で採る花の美しさを語ってらした。
お茶をするためだけの数寄屋を建てて本当に何もかも一人だけで茶事をなさる先生。
ほかにもたくさんの先生方が。
やはり長いお付き合いが出来るのはこちら側の「熱」の問題かなと思います。
「教えてほしい熱」
「習いたい熱」
「先生に会いたい熱」
庵主の先生方の中にはすでに茶室を天に移してお遊びの方々もいらして
どんなに教えてほしいと思ってももう叶いません。
月桑軒さんのブログを拝読してそんなことを思いました。