<天下統一>

申軍の勢力評定で、
劉琮軍の打倒が採択される。



荊州、益州、交州の兵を総動員して
襄陽交趾に結集させる。

225年8月
行軍中、兄の袁譚が病死。



袁尚からすれば、
決戦を前に留守の心配がなくなった
と言えるかな。

さらに、衛将軍の沮授も病死。



天下統一を目前にして逝くか…
これで冀州派閥も終わりか。



同月、
袁尚が親征し、江陵を陥落させる。

翌月には
都督の袁煕武陵を陥落

225年10月
逢紀が病死。



これで古参の軍師も
郭図を残すのみとなったか。

おっと、劉琮に仕え捕虜にした
許攸もまだ存命であった。

役立たずと裏切り者が残るとは
皮肉なものだ。

225年12月
残る零陵長沙も陥落させ、
劉琮軍が滅亡



袁尚が天下を統一する。







袁煕は第一線から身を引いた後も
国のため、私兵を鍛える日々を送る。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
曹操を倒してしまえば、後は楽勝だったな。

連合にはヒヤリとさせられたが、
苦戦というほどでもなかった。

史実でも官渡の大敗さえなければ、
袁家の天下統一は間違いなかった
のだろうか…

いや、袁譚と袁尚の後継争いが
中華全土を巻き込んだ争いになり、
共倒れになるような気がするな。

さて、次はどうするか
官吏系威名で内政しようかな。

『三國志8 Remake』が発売される前に
やりたいこと全部やれるかな…