<辛憲英>

関羽張飛趙雲
諸葛亮龐統徐庶らの
旧劉備軍の登用に成功し、
袁尚軍の陣容は強化される。

212年7月
上党太守への異動を承諾。

次の敵は馬騰だと考えれば、
では遠すぎる。

馬良を軍師重臣、
韓浩を内政重臣、
徐晃を軍事重臣に任命。

配下に馬良黄月英
加わっているな。

戦で留守にする間、
内政を任せられる人材が
いるのはありがたい。

ちなみに、袁尚軍の官爵は
沮授が大都督
顔良が驃騎将軍
文醜が車騎将軍
張郃が衛将軍
田豊が太常
関羽が征東将軍
張飛が征南将軍



関羽張飛
三品官待遇で登用され
関羽は君主軍事重臣となったのか。

袁尚軍の武将一覧を眺めていたら、
気になる人物を見つけた。

袁煕琅邪に向かい、
孫権軍の黄蓋に討たれ戦死した
辛毘の娘、辛憲英を訪ねる。

交友を深めたが、
どうやら辛憲英
賊を討伐したいらしい。

袁煕の武力には不安が…

これを機会に、
烏丸の蹋頓楼班を同志に迎える





これで武力が上がった。
賊を討伐し、辛憲英と朋友となる。



すぐに名品「六韜写本」を譲渡し
大親友にまでなるが、
さらに絆を深めるには書物が必要だ…

馬騰軍の弘農攻略と
孫権軍の広陵攻略が
始まってしまったので、
探しているゆとりがない。

とりあえず、
辛憲英には上党に異動してもらう。
代わりに黄月英を返還。

弘農に早く出陣せねばならんなと
一月ほど逡巡していると、
運良く「春秋左氏伝」と「書経」の
入手に成功する。



こんな偶然があるのか?
「書物興味あり」の辛憲英
上党に異動してきたからなのか??
まあいいや、
これで目的が達成できそうだ。

名品を使い絆を深めた袁煕
辛憲英と夫婦となる。
(イベントの発生を確認)



よし、出陣だ。

213年3月
袁煕勢は弘農に向け出陣する。

城塞を破壊しながら進軍。
翌月には関羽勢に合流し、
弘農を陥落させる。

余勢を駆って潼関も陥落させ、
長安近郊で馬超を退けた後、
長安に向け進軍する。



孫権軍との広陵の戦いで、
眭元進呂蒙に討たれたらしい。

曹操との初戦である、
の籠城戦で活躍した将を
失ってしまったか…
まあ、その後は活躍していないし、
痛手はないが。

213年7月
孫権軍に交趾が落とされ、
士燮軍が滅亡

翌月、
孫権軍の増援が向かい
広陵の戦いは長引くかと思われたが、
楽進らの軍勢が広陵を陥落

さらに、
顔良張遼を加えた軍勢を率い、
袁煕長安を陥落させる。



二ヶ月後には、
袁煕勢は天水も陥落

反撃の暇を与えず、
馬騰軍を追い詰めていく。

遠征中の袁煕の元に、
妻の辛憲英より手紙が届く。



急ぎ戻った袁煕は、
袁家待望の男子に
袁統(公嗣)と名付ける。

(袁家を統べる嗣子となるのだ)

214年1月
袁煕勢は金城を陥落

ここで一先ず、全軍解散となり、
子供らに会いたい袁煕
軍勢を解散し帰還する。

214年2月
袁尚が王に任命される。



四世三公の袁家も
臣下の身でありながら、
異姓の諸侯王となったか。

さて、董卓が皇帝に即位させた献帝
曹操に替わって擁立しているが、
父の袁紹は、献帝の即位には反対だったはず。
袁尚はこのまま献帝の臣下でいられるのか。

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冀州出身者

田豊、沮授、審配、李孚、蔡琰、劉劭
張郃、牽招、趙雲、張燕、朱霊、季雍
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田豊、沮授が亡くなったら、
冀州派、というか冀州出身者を優遇するか。

と言っても、順調に進めば、
袁尚が寿命で亡くなって
袁煕が君主になる前に統一されそうだな。