<官渡の戦い>

次はどこを攻めようか…

済北濮陽を落として、
中原に確固たる足場を築きたい
ところではあるが。

済北周辺には、
張遼、郭嘉らの軍勢が駐屯し、
濮陽周辺には、
夏侯惇、于禁らの軍勢が駐屯している。

策なしに攻め込めば、勝機はない。

やはりここはまたしても、
外交によって事態を打開するとしよう。

田豊孫権の許に遣わし、
親善を行わせ、

その間に、儂自ら劉備の許に向かい、
袁紹軍と劉備軍の同盟を成立させる。



劉備軍との親善を行い、
歓待された後、
涼州の馬騰の許に向かい、
袁紹軍と馬騰軍の同盟も成立させる。



204年4月
遼東の公孫度が病死。
嫡男の公孫康が後継する。

背後の敵ではあるが、
向こうから仕掛けてくるようなことを
するとは思えない。
しばらく捨て置くか。

204年6月
劉備への攻撃要請を受諾。
へ向け劉備が出陣する。



同月、
孫権寿春への攻撃要請を受諾。
寿春へ向け孫権自ら出陣する。

さらに、
機を窺っていた馬騰
長安へ向け出陣。

曹操軍は三方面より侵攻される。







翌月、
曹操軍が防衛のため、
各方面に散って行ったのを
見定めた袁紹は、
顔良文醜の軍勢を
一番手薄となっている下邳に侵攻させる。

さらに沮授張郃らを従え、
袁紹自ら白馬港に向け出陣。

曹操は四方から攻められ、
さぞかし焦っていることであろう。

204年10月
顔良文醜下邳を陥落させ、
袁紹夏侯惇の軍勢を蹴散らし
白馬港を制圧する。

さらに、孫権軍が寿春を陥落。

孫権にはもう少し長く
曹操と戦っていてもらいたかったが、
仕方がない。

それにしても、孫権
広陵に続き寿春も手にしたか…

これ以上の中原への進出は
阻まねばならんな。

204年11月
馬騰軍が長安を陥落。

馬騰も目的を果たしたか。
このあと、弘農を目指すのか、
漢中を望むのか。

翌月、
顔良文醜の軍勢は、
小沛も陥落させる。

同盟期間の終わる孫権
同盟の使者を送った後、

張燕の軍勢を守備に残し、
顔良文醜の軍勢を
済北に向け出陣させる。

同時に、
袁煕袁尚の軍勢を加えた
審配の軍勢を、
平原より済北に向け侵攻させる。

205年1月
袁紹官渡を制圧。

ここで、
済北を救援に向かう軍勢を
迎え撃つことにしよう。

それとは別に
淳于瓊、袁譚、高幹の軍勢を
洛陽に向け進軍させていたが、
洛陽の救援に到着した
楽進らの軍勢に敵いそうにないので、
洛陽攻略は諦め、
官渡袁紹軍に合流させることに。

不甲斐ないことだ。

兵力は同じでも
率いる将の力が違い過ぎる。

一方、済北港では袁尚
曹操軍の雷薄を討ち取る
活躍を見せる。

さすが我が息子。

容姿に優れるだけではなく、
武勇にも優れるとは。

儂の後を継ぐのは
三男で決まりであろう…

済北救援に曹操が出陣、
袁紹曹操の両雄は
に続き、再び官渡で対峙する。



籠城戦とは違い、
終始、有利に戦を進め、
官渡曹操に圧勝した袁紹は、
河南制圧に王手をかける。

205年4月
審配済北を陥落

官渡の守備を張郃に任せ、
に凱旋した袁紹は、

外交と外征に功績の有った、
田豊、沮授、田疇らの文官、
張郃、顔良、文醜らの武官の
官爵を昇格させる。

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袁紹の息子達

長男:袁譚(顕思) 理想威名:万夫不当
統率:60、武力:69、知力:30、政治:35

次男:袁煕(顕奕) 理想威名:天下名将
統率:66、武力:51、知力:63、政治:65

三男:袁尚(顕甫) 理想威名:万夫不当
統率:63、武力:75、知力:42、政治:38

四男:袁買(顕雍) ※未登場 ※袁尚の兄の子?

甥 :高幹(元才) 并州刺史
統率:74、武力:56、知力:48、政治:59

能力値だけみたら、後継は次男で決まりなんだが、
袁煕は後継者争いにまったく関わらない。
長男と三男とは異母兄弟だったのだろうか?

一般的に三人兄弟の次男は、
兄と弟に挟まれて、
その間を取り持つ役割として朗らか、
お調子者が多いのが特徴らしい。

争い事を嫌い、弟の面倒見がいいとも。

お調子者とは思えないが、
後継者争いには参加せず、
袁尚を最後まで見捨てることはなかったな。

袁譚と袁尚の仲を取り結び、
袁家の兵力をまとめて曹操に挑む…
そんな展開も見たかった。

そういえば、弾道ミサイルを発射する北の国は、
三男が後継して、長男は暗殺されたが、
次男はまったく出てこないな…
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袁紹が病死した後は、
袁煕でプレイしよう。

袁譚はプレイしたことがあるし、
袁尚だと君主プレイになってしまうからな。

妻が甄氏だし…