<曹操包囲網>

金を贈ることで
劉表との親善が成功。

貸恩義を使って
同盟の使者を送るとしよう。

200年5月
【孫策の死】
孫策于吉を斬り、矢傷の毒で昏倒す
孫策、病没し、弟・孫権が後を継ぐ

孫策が生きていれば、
曹操を挟撃することが
出来たやもしれぬが…

馬騰にも金を贈り、
親善が成功する。

立て続けの出費は痛いが、
これも戦況を有利に進めるため。

劉表と同様に
貸恩義を使って同盟の使者を送ろう。

200年6月
【関羽の千里行】
関羽曹操のもとを辞し、千里を行く
関羽、五関の将を斬る
劉備一党、汝南に集結し、再起する
趙雲劉備に仕える
周倉劉備に仕える
関羽周倉が特殊絆・武神の侍従に



劉備は我が許を去ったのか…

まあ良い、
劉表では心許なかったが
劉備が南から曹操
脅かしてくれればありがたい。



200年8月
曹操軍が活動を始め、
各地の拠点へ出陣し、
制圧を始める。



200年9月
袁紹軍と劉表軍の同盟が成立

200年12月
袁紹軍と馬騰軍の同盟が成立

まだだ、
曹操包囲網を築くのだ、
次は劉備に同盟の使者を送ろう。

軍備充実の勢力使命が
達成できたので、
同盟の使者として馬騰軍に赴いていた
沮授の帰還を待って
勢力評定を開催する。

参加者は前回と同じ顔ぶれ。

田豊の提案する上党の攻略に
賛成する者が多く、
袁紹軍の使命は都市攻略に決まる。



逆賊、曹操の前に
黒山賊の張燕を叩き、
河北の平定を行うことにするか。

袁紹自ら出陣するが、
壷関を制圧している間に、
晋陽から出陣した文醜
上党を陥落させる。





201年4月
張燕軍が滅亡
張燕文醜勢によって捕縛される。

淳于瓊上党の太守に任命し、
周辺の拠点を制圧する。

唐突に、田豊の出陣の進言を、
子供の病を理由に断ったエピソードが…



いやだって、
持久戦って言ったじゃないか。

201年5月
袁紹軍と劉備軍の同盟が成立

201年7月
袁紹軍と公孫度軍の同盟が成立

公孫度は滅ぼしてもよかったのだが、
曹操の動きも気になるので
後回しにする。

それよりも
曹操寿春広陵に進出し、
孫権と領土が接するようになった。
孫権にも親善の使者を送り、
曹操包囲網の完成を目指そう。



勢力評定を開催。

参加者は、前回と同じ。

沮授に賛成する者が多く、
袁紹軍の使命は内政充実に決まる。

曹操が動くのを待つか。

捕虜とした張燕
袁紹自ら赴き、登用する。





我が配下には優れた将が不足している。
元は賊であろうと、
忠誠を誓うのならば厚遇しよう。

牽招も登用に応じたところで、
顔良文醜らの
武官の官爵を昇格させる。

201年11月
曹操軍がに向け進軍を開始



北海平原辺りが
最初の戦場になると思っていたのだが、
直接、我が首を狙ってきたか。

ならば全力で応戦するのみ。

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曹操との決戦を前に、
袁紹軍の武官を確認

顔良(??):袁紹軍の二枚看板
文醜(??):袁紹軍の二枚看板

高覧(??):顔良・文醜亡き後の二枚看板
張郃(儁乂):顔良・文醜亡き後の二枚看板

淳于瓊(仲簡):三都督の一人
眭元進(??):督将
韓莒子(??):騎督
呂威璜(??):騎督
趙叡(??):騎督

韓猛(??):兵糧輸送警護部隊の将?
蔣義渠(??):黎陽の守将

牽招(子経):督軍従事、兼烏桓突騎
閻柔(??):烏丸校尉、袁紹とは協力関係?

袁紹軍の主力と言えば顔良と文醜。
ただし、二人とも白馬で戦死。

官渡の戦いにおいて、
三都督の一人である淳于瓊が、
督将の眭元進、騎督の韓莒子、呂威璜、趙叡の
四将を率いて烏巣に駐屯するが、
曹操の来襲により全員戦死。

さらに、曹操本陣を攻めた高覧、張郃は
反撃され曹操に降伏。

袁紹軍の部将は顔良、文醜を含め、
戦死する以前の事績がほとんど謎である。

敗者の歴史は語られないもの、仕方がない。
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田豊の意見を採用して、
冀州派を優遇しているので、
引き続き、監軍、奮威将軍の沮授が
軍のトップであるわけだが。

実際(ゲーム上)の沮授は君主内政重臣、
君主軍事重臣は張郃になっている。

沮授は重臣特性ないからな…