<決戦前夜>

張邈軍団の、
三回目の「軍団評定」を開催



陳羣孫朗軍の打倒を提案するが、
前回の鮑信軍団で、
淳于瓊の提案する臨機応変に
賛同された経験があるので、
朕自ら提案して賛同を得たので、
公孫続軍の打倒を決裁する。

先にこちらを滅ぼそう。

次に鮑信軍団の、
四回目の「軍団評定」を開催



こちらも
孫朗軍の打倒が提案されるが、
無難に、朕が提案する
孫朗軍の琅邪攻略を決裁する。

張邈軍団に所属する末子の何殷
の太守に任命されたと聞いたので、
何殷の許に出向き、
名品の「六韜」と「莫邪の剣」を
譲渡し、武運長久となるよう願う。



先に琅邪が陥落したので、
鮑信軍団の、
五回目の「軍団評定」を開催



無難に北海攻略を
朕は提案するが、
劉虞の提案する内政充実に
皆が賛成したので決裁する。

皆も兵も疲弊しているであろうか。

まあよい、張邈に任せればよかろう。

琅邪で捕虜とした
孫朗軍の重臣、呂範周泰を処断。

214年5月
襄平が陥落、公孫続軍が滅亡



捕虜にした公孫続は処断する。



張邈軍団の、
四回目の「軍団評定」を開催



荀彧諸葛亮など、
韓王朝の英才を集めて開催したが、
諸葛亮の提案する
孫朗軍の打倒ではなく
龐統の提案する臨機応変に
皆が賛成したので決裁する。

決戦はまだなのか…

年が明けた215年
鮑信軍団の、
六回目の「軍団評定」を開催



張邈孫朗軍の打倒を提案するが、
鮑信の提案する臨機応変の方が
賛同者が多かったため、
臨機応変に決裁する。

続けて、同じ参加者で
張邈軍団の、
五回目の「軍団評定」を開催



鮑信孫朗軍の打倒を提案するが、
淳于瓊の提案する臨機応変の方に
皆が賛成したので決裁する。

何故だ、
先に張邈孫朗軍の打倒を
提案しながら、
自らの軍団では賛同しないのか。

仕方がない、半年待つとしよう。

待っている間に
何進の体調が悪化する。



諸国を巡り名品「屠蘇延命散」を入手する。
これで、なんとか延命できよう。

半年後、
鮑信軍団の、
七回目の「軍団評定」を開催



今度は張邈が内政充実を提案するので、
朕自ら、孫朗軍の勢力打倒を提案し、
皆の賛同を得たので決裁する。

続けて、同じ参加者で
張邈軍団の、
六回目の「軍団評定」を開催



王允孫朗軍の勢力打倒を提案。
張邈鮑信を含む、
皆が賛成したので決裁する。

よし、今度こそ決戦だ。
孫朗軍を滅ぼし、
天下を統一する時が来た。

ところが、二ヶ月後、
平原攻略中に都督の鮑信が病死。



二品官に昇格していた
張郃を都督に抜擢し、
張郃軍団を新設。





孫朗討伐は張邈に任せることにして、
張郃には荊州と江東を統治させる。

張郃は官位を驃騎将軍に、
空いた征東将軍の座には、
亡き袁紹の次男、袁煕を就任させる。

四世三公の名門、汝南袁氏故の
抜擢ではあるが、袁煕の功績は
他に比べ見劣りするものでもない。

ついでに、
大した能力が無いにも関わらず、
長年、君主軍事重臣を担ってきた
淳于瓊を引退させ、
後任に、前線で戦い続け、
車騎将軍となった黄忠を任命する。

他にも数名、
繰り上がりで官爵を昇格させる。
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荀彧を宗正
楊脩を光禄大夫
徐邈を大長秋
劉和を秘書監
厳畯を太史令

夏侯淵を威北将軍
張任を牙門将軍
呉懿を護軍
曹休を偏将軍
袁譚を裨将軍
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あと一歩で鮑信が死ぬとは。

何進も名品がなかったら
死んでるな。

215年、
史実なら入蜀が終わった後か…
時間かけすぎたな。