<孫堅、曹操、呂布>

曹操軍団が鉅鹿を陥落。

さすがに曹操と言えども、
八ヶ月を要したか。

翌月、
鮑信軍団が建安を陥落。

さらに翌月、
鮑信軍団は建業も陥落させ、
孫堅を捕虜とする。



何進は迷うことなく、
孫堅を処断



さらばだ、孫堅

儂は漢王朝を乗っ取ってしまった。
朝敵となってまで儂と敵対した
お主は判断は間違って
いなかったのかも知れぬな。

建安攻略中に鮑信
長男の孫策を捕縛し、
次男の孫権、三男の孫翊
四男の孫匡は処断しているため、
五男で異母弟の孫朗
孫堅軍を後継する。

鮑信軍は会稽を攻略中のため、
会稽の陥落後に
捕虜の処遇を決めようと思っていたが、
孫策に脱走されてしまう。

まあよい、
今さら嫡男が帰還したところで
孫家は混乱するだけだろう。

代わりに捕虜の
江東の二張、張昭張鉱
重臣の麋竺、許褚、田豊
呉の四姓、陸氏の陸遜を処断する。



軍団使命の期限が過ぎたが、
曹操軍団は中山で戦闘中のため、
先に鮑信軍団の、
二回目の「軍団評定」を開催



江東に残る、会稽、呉の攻略
朕が提案し、皆が賛成したので
これを決裁する。

すぐに会稽は陥落し、
君主の孫朗を捕虜とするが、
孫策に後継されては堪らんので、
孫朗を解放する。



寿命の気になってきた何進
諸国を放浪し、
名品「老君入山符」を入手する。
これでいくらか寿命を延ばせよう。

211年1月
都督の曹操が、
孫朗軍の周瑜に討たれる。



なんということだ。
あの曹操が討ち死にするとは。



曹操の後任の都督に、
張邈を任命する。



そして、
益州の都督の蔡邕洛陽に呼び戻し、
韓王朝の丞相に任命する。

蔡邕の後任の都督には鍾繇を任命、
ついでに官爵を太常に昇格させる。

戦力の低下は否めないが、
これで王朝内の動揺も収まろう。

鮑信軍団がを陥落させ、
軍団使命が達成されたので、
「軍団評定」を開催することにするが、

その前に、捕虜にした
天下無双の剛勇、呂布
孫朗の従兄の孫瑜を処断する。



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曹操も寿命が来る前に
死んだりすることもあるんだな。

まあいいか、
司馬懿に続いて曹操も死んだことで、
何進亡き後の韓王朝も安泰だな。