<異姓の王>

そろそろ「軍団評定」でも
開催しようかと思っていた矢先、
都督の皇甫嵩が病死する。



黄巾平定の功労者で、
何進軍の重鎮である、
皇甫嵩を失ってしまった…

新たに軍団を新設したいが、
都督になれるのは
儒者の蔡邕、ただ一人。



仕方がない、
蔡邕を都督に任じ、
全ての支配地を統治させる。



都督の官爵が
太学博士と言うわけにもいくまい
蔡邕を太常に昇格させる。

(蔡邕は董卓に左中郎将に任じられ、
 王匡討伐に従軍して軍の指揮を執り、
 功績を挙げたらしいので、
 ありえない人事と
 言うわけではないのか)

さっそく、蔡邕軍団の
一回目の「軍団評定」を開催する。



何進自ら、益州の攻略を提案するが、
賛同を得られず、
袁術の提案する臨機応変が
賛成多数で決裁される。

半年後、
二回目の「軍団評定」を開催する。



劉虞の提案する
呂布軍の勢力打倒が決裁される。

蔡邕のお手並み拝見といくか。

袁紹が出陣し、
晋陽を陥落させるが、
孫堅軍が先に鉅鹿を陥落させ、
中山までの道は閉ざされてしまう。



蔡邕がどう解決するか
見守っていたが、
結果、蔡邕軍団は動くことが出来ず、
軍団使命は失敗してしまう。

晋陽陥落に功績のあった
袁紹を征西将軍に昇格させた後、
三回目の「軍団評定」を開催する。



淳于瓊の提案する、
長沙、越巂、武陵の都市攻略が
賛成多数で決裁される。

先に無人の地を押さえるか。
それもよかろう。

僅か二ヶ月で都市攻略は達成され、
支配地域を増やした何進は、
甥の少帝から公に任命される。

四回目の「軍団評定」を開催



王允の提案する
牂牁、零陵、桂陽、建寧、永昌
五都市の都市攻略が
賛成多数で決裁される。

孫堅との戦いは
益州と荊州を完全に支配してから
ということか。

牂牁、零陵、桂陽を陥落させ、
荊州を平定したところで、
何進は異姓の諸侯王に任命される。



外戚として悪名高い梁冀でさえ
王にはなっていないというのに…

何進の王就任は諸侯の怒りを買い
王に就任した同月の、
202年10月
孫堅を盟主に、
呂布、士燮が参加する
反何進連合が結成される。



孫堅軍とは鄴、陳留、汝南、江夏
各地で激しい攻防戦が続けられ、
呂布軍とは晋陽で、
士燮軍とは建寧、零陵、桂陽
近郊で小規模な戦闘が続発する。

203年7月
士燮強端に討たれ戦死。
三男の士徽が後継する。

親しくしていた名士の司馬懿
孫堅の息子の孫策に討たれ、
腹心の部下である袁紹が病死する。



不測の事態は発生したが、
蔡邕軍団は建寧、永昌を陥落させ、
軍団使命を達成しつつ、
一つの都市も失うことなく
反何進連合との戦いに勝利する。

見事だ、蔡邕よ。
都督として申し分ない働き。

それにしても、
袁紹は残念だった。
儂が三公にしてやったものを…

その間に何進は、
新たに郭嘉、楊脩と朋友になる。

捕虜の中から、
孫堅軍の元黄巾、韓暹
孫堅旗揚げ時からの功臣、祖茂
孫堅の四男、孫匡
士燮の次男で士徽の兄、士祗
呂布軍の張楊、張遼を処断する。

孫堅士徽には仇敵とされたが、
朝敵である孫堅士燮の一族は
処断するしかあるまい。

功績のあった者たちの
官爵を昇格させる。
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張郃を鎮東将軍
臧覇を平西将軍
陳宮を後将軍
曹仁を威東将軍

梁習を中書令
李孚を大長秋
荀諶を中常侍
鍾繇を侍中
郭嘉を秘書監
孟光を太学博士
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王となった、
玉璽は手元にある。

献帝ではなく少帝が
漢王朝の皇帝なのだが、
禅譲イベントは発生するのかな?