<馬騰>

十二回目の「軍団評定」を開催



またもや
臨機応変が提案されたので、
汝南、永安、江州、成都
都市攻略を提案。

賛成を得たので決裁する。

支配者の居ない領地の制圧は
二ヶ月足らずで達成される。

達成の前後に何進は、
荀攸、荀彧、陳羣、郭図
新たに朋友となる。

また、貂蝉との間に
娘の何琳(景姫)が誕生する。



十三回目の「軍団評定」を開催



朱儁の提案する
馬騰軍の勢力打倒が
賛成多数で決裁される。

だが、提案者の朱儁
武威への出陣を見送った後、
体調を悪化させ病死する。



君主内政重臣を失ってしまった。

仕官年数(と重臣特性)から
劉表を後任の君主内政重臣に任命する。

金城の陥落には成功するが、
馬騰ら親子の必死の抵抗の前に
武威を落とせず、
皇甫嵩軍団の使命は失敗する。

その後、
郭嘉らの攻略失敗を見届け、
十四回目の「軍団評定」を開催



矛先を変えて、
呂布軍の勢力打倒を
提案する者が居るので、
何進自ら、
馬騰軍の勢力打倒を提案し、
賛成多数で決裁させる。

皇甫嵩軍団は
苦戦を強いられるが、
物量をもって武威を陥落。

199年10月
馬騰軍が滅亡する。

馬騰軍滅亡後の
十五回目の「軍団評定」では、
皇甫嵩の提案する
臨機応変が賛成多数で決裁される。



こちらの損害も大きかった
しばらく兵を休ませるのか。

馬騰軍が滅亡するまでの間、
やることのない何進は、
鍾繇と朋友になり、
その後、
朋友となった名士たちに師事し、
政治、知力、統率を成長させる
ことに時を費やす。

翌年、
捕虜とした馬騰
何進自ら登用しようとするが、
断られたため処断する。





何進軍に仕官していた
韓遂馬騰の息子らには
仇敵にされ出奔されてしまったが
仕方がない。

馬騰は漢王朝を脅かす賊で、
服属しないのであれば、
生かしておくわけにもいくまい。

ついでに軍師の賈詡
董卓軍の李濡を処断する。



洛陽の近郊に賊が出たので、
何進自ら出陣し、
河内で戦闘し壊滅させる。

たまには大将軍としての
仕事をせねばのう。

涼州の平定に
功績のあった者たちの
官爵を昇格させる。
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曹操を征東将軍
鮑信を廷尉
王允を大鴻臚
袁術を鎮西将軍
劉表を宗正
韓浩を安北将軍
張邈を光禄大夫
高順を平東将軍
張郃を平西将軍
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やっとか、やっと涼州が片付いた。

東で孫堅が勢力を拡大している
呂布軍と劉璋軍を飲み込んだら
対処できるのか…