<傾城傾国>

翌年、王允の養女、貂蝉が成人し、
何進軍に加わる。

その美貌に心奪われた何進は、
すぐに貂蝉と朋友となる。

董卓軍の打倒が達成されたので、
十回目の「軍団評定」を開催



朱儁の提案する臨機応変を
賛成多数で決裁する。

この勢いで次は
馬騰軍を滅ぼしても良いのだが、
今は世事にかかずらわっている
場合ではない。

何進貂蝉の元に足繁く通い…
194年8月、齢、六十の何進は、
貂蝉と夫婦となる。



翌年には、
息子の何殷(奉盛)が誕生する。



(孫の何晏の父の名は「何咸」と
 言われているが、
 何進が殺害された時には
 何をしていたのか?
 先に亡くなっていたのであろうか?)

194年10月
孫堅を盟主に
反何進連合が再々結成される。



劉焉、馬騰、丁原の勢力が参加。

馬騰のみの西の戦場は良いが、
孫堅、劉焉、丁原を相手にする
東の戦場は苦戦が避けられないな。

皇甫嵩の采配に期待するか。

194年11月
戦場で捕虜にした丁原を処断。



呂布丁原軍を後継する。

195年3月
劉焉軍の関羽によって、
が陥落。
荀彧らが捕虜となる。

しかし、
すぐに奪い返し事なきを得る。

結果、領土を失うことなく、
反何進連合は解散

捕虜とした、
元黄巾の程遠志、何儀
天子を自称する張挙
処断する。

その間に何進は、
曹操、袁遺、審配と朋友に。

反何進連合が解散したので、
十一回目の「軍団評定」を開催



何進の提案する都市攻略には
誰も賛成せず、
袁紹の提案する臨機応変を
賛成多数で決裁する。

攻勢に出るかと思いきや、
兵の回復を優先するということか。

196年4月
劉焉が病死し、劉璋が後継する。

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季玉の字が示す通り、
劉璋は四男で、
劉範、劉誕、劉瑁の三人の兄がいて、
長男、次男は李傕に殺された。

と言うことは、
このシナリオでは
無事に生存しているはずだが、
いないのはしょうがないか。

ちなみに三男の劉瑁は
三国志14に登場しているらしい。

劉範、劉誕、劉瑁の三兄弟を作成して
劉璋を加えた四兄弟で
益州から天下を狙うのも
面白いかもな…