<董卓>

192年4月
孫堅を盟主に
反何進連合が再び結成される。



劉焉は参加していないが、
馬騰に加え、停戦の終わった
董卓、丁原の勢力が参加。

劉焉孫堅平原で戦闘を始め、
馬騰董卓は親善の使者を
送ってきたので油断していた。

九回目の「軍団評定」を
開催する予定であったが取りやめ、
皇甫嵩に全てを任せる。

馬騰董卓の連合軍を前に
安定が陥落。
安定董卓の領地となる。

しかし、陳留上党は守り抜き、
反何進連合は解散

捕虜の中から、
元黄巾で孫堅軍の張燕を処断。

未だ漢王朝に順服しない
黄巾の残党は処断するしかあるまい。

名士達と交流した何進
張邈、臧覇と朋友となる。

反何進連合との交戦中に、
尚書令の盧植が病死。



直言居士の有能な臣下を失った…

二度の反何進連合との戦いに
功績のあった者たちの
官爵を昇格させる。
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劉虞を太僕
王允を宗正
馬日磾を大司農
楊彪を少府
董承を執金吾
荀攸を尚書令
劉表を侍中
陳羣を将作大匠
橋瑁を黄門侍郎

袁紹を鎮東将軍
曹操を鎮西将軍
淳于瓊を安南将軍
袁術を安北将軍
文醜を前将軍
張郃を左将軍
高順を右将軍
臧覇を威東将軍
臧洪を威南将軍
黄忠を威西将軍
徐栄を威北将軍

荀彧を長史
郭嘉を司馬
夏侯淵を偏将軍
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九回目の「軍団評定」を開催



安定の捕虜を救うため、
袁紹の提案する
董卓軍の勢力打倒を決裁する。

安定を奪還している間に、
馬騰董卓から金城を奪還し、
残る天水皇甫嵩配下の
高順が陥落させ、
193年10月
董卓軍が滅亡する。

二ヶ月後、
捕虜にした董卓を処断。



続いて、
弟の董旻、甥の董璜
娘婿の牛輔、軍師の李粛
腹心の部下の李傕、郭汜

元黄巾で董卓配下となった
張曼成、孫仲、張闓、韓忠
を次々に処断する

しかし、孫娘の董白
戦死した張済の妻の鄒氏は解放する。

董卓軍を滅ぼしている間に、
何進は、荀彧の弟の荀諶、辛評
朋友となる。

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馬騰より先に
董卓を滅ぼすことになったか。

漢王朝にとって最も危険な男を
処断できたのだから
これで良かったのだろう。