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葬儀の翌日は朝5時に起きてご飯を炊いて6時に姑の祭壇にお供えをして線香をあげた。

 

それから9時頃に4人でお寺に行ってお布施を払った。

 

葬儀で飾られていた花で作った花束と骨壺を供えてお経をあげてもらった。

 

 

後は姑の家でゆっくり二日間過ごした。

 

 

子どもたちがおもちゃで遊んでいる間に私は香典の整理をした。

 

 

舅が亡くなった後にムスコンにやらされた通りに金額別に住所と名前と電話番号を一覧表にしてお金を数えた。この紙はそのままギフトショップに持って行って49日のお返しを選ぶ時に使った。

 

 

翌日から登校する子どもたちの制服を洗うために一旦帰宅したかったがハイエナがおかんと離れたくないと嫌がったので、非常に不本意ながら洗濯ネットとアクロンを最寄りのドラストで買って姑の洗濯機で制服を洗って干した。

 

 

制服が乾いてから自宅に帰宅。

 

 

お寺さんが「毎日お線香をあげて下さい」と言ったので翌日から私は毎日ムスコンの家に線香と炊き立てのご飯を備えに行った。

 

 

舅が亡くなった時のようにハイエナだけがムスコン宅に住めばいいのに、ハイエナは「あの家に一人でいるのは辛い」と言って自宅に帰って来た。私はいい迷惑だった。おかんを一人にしたくなかったんじゃないですか?

 

 

ムスコンは亡くなる直前に大きな買い物をしていて個人年金が入ったらそれで支払う約束をしていた。

 

 

しかし亡くなってしまったので代わりに私が払いに行った。非常に不本意な出費だった。

 

 

そしてもろもろの手続きをする為に役所にハイエナと一緒にムスコンの書類を取りに行くと亡くなってから5日目にならないとその書類が出せないと言われたがちょうど5日目だったので書類を手に入れることができた。

 

 

何をするにも「ムスコンが亡くなった証明をする書類」が必要だった。

 

 

そして手続きが非常に面倒だった。

 

 

ハイエナは一週間休みを取っていたので傍にいたものの「俺は今何をしているのか自分でも分からない」と言って運転や窓口の人とのやり取りを全部私に丸投げした。

 

 

私だって薬のせいで頭の中がひっくり返っているというのにそこへの配慮は一切なかった。

 

 

事務的な手続きが一通り済むと今度はムスコンの生活に関する支払いを止めていった。

 

 

まずお風呂のボイラーを外してもらって、テレビも見れないようにした。その手続きの申し込みの電話は私がした。テレビの会社なんて土着だったのか「あなたお嫁さんですよね?お嫁さんなのに勝手に解約手続きをしてもいいんですか?」と言われて何だか嫁差別をする小姑のようだなと思った。数少ない契約が減るのが嫌だったのかも知れないけどそんな言い方をするだなんて会社の程度が知れますね。まぁ怯まずに「はいいいんですよ」と明るい声で返しときました。

 

 

あと姑はまだマルチ商法を続けていたのでもう口座から支払金額が落ちないように東京の本社に電話をして解約した。ハイエナは言い方が分からないと言ってやらなかった。

 

 

ハイエナはムスコンの生きてきた痕跡をなくす作業を嫌がり全く協力しなかった。

 

 

ボイラーを外す工事もテレビの線を切る工事も立ち合いは平日だったから私が行った。

 

 

入院していた病院への支払いも私が事前に病院に電話をして金額を聞いて後日払いに行った。

 

 

何でハイエナの親の事なのに私がしなければいけないの。私は不満に思いながらも黙々とムスコンの生きていた痕跡を消していった。

 

 

ムスコンの携帯電話をすぐに解約しようとしたがハイエナが嫌がって結局亡くなってから3年も解約をしなかった。

 

 

ハイエナに携帯会社に電話をして手続きをしろと言っても「また今度電話するよ」と言っていつまでたっても電話をしなかったのだ。

 

 

携帯会社からは毎月ムスコン宛に支払いの紙が送られてきてそれがうちに転送されるので仕方なく毎月私がコンビニまで払いに行っていた。ハイエナはムスコンの携帯を解約しないことでまだおかんが生きていると思いたかったのかも知れないが私にはいい迷惑だった。

 

 

結局しびれを切らした私が携帯会社に電話をして「義母が亡くなったので携帯を解約したいから手続きしたい」と言うと携帯ショップに亡くなったことを証明できるもの(会葬礼状)と私の免許証を持って行けばできると言われたので私がショップに行って手続きをした。

 

ムスコンの携帯は解約料がいらないものだった。待ち受けは孫の写真でハイエナが設定したと後から聞いた。

 

 

ムスコンが亡くなって2週間が過ぎた頃だろうか。

 

 

ムスコンの部屋にメモ用紙の束があったので見ると一番上に

 

 

「宗教先生、嫁の足りない細胞が〇〇まで増えました。このまま〇〇〇まで増えなければ即手術だそうです。どうかこのまま手術をしないで今の投薬だけでいけるようにお願いします」

 

 

と書かれていた。

 

 

私が病気になった直後の数値だったので恐らく何年も前に書いたものだろうが何だってこんなものが今になってテーブルの上に置いてあるのか?まるで亡くなる直前に慌てて書いたみたい。

 

 

そして走り書きで「〇〇先生に〇×を出す」と書いてあった。それは自分の具合が悪い所を紙に書いてお金と一緒に出して宗教の先生に治してもらうお願いをすることだった。

 

 

それを見たハイエナが「〇×に出すって相当で!」と驚いていた。

 

 

あとメモ用紙の下の方に「ハイエナ、りんご、スタッドレスタイヤを買いなさい」と書かれていた。

 

 

ハイエナはタイヤ交換の際に「もうタイヤを変えた方がいいですよ」と言われていたのにもかかわらずお金を惜しんで「まだ使える」と言って古いタイヤを使い続けていた。

 

私はそれを知らされてなった。

 

だけどハイエナはムスコンには話していた。

 

でも何だってこんなところに走り書きをしているのか。もしやムスコンはもう自分が長くないかもと思うことがあって息子たちに見てもらおうと走り書きをしたのではないか。

 

 

ムスコンのタンスを見ると、ガラス戸の引き出しの前に一通の白い封筒があった。診療情報提供書と書かれていたので開けてみると

 

 

「膠原病の疑い。ムスコンさんはこの前一度うちに来られましたがまた来られました。手の痛みと腫れを訴えられていますが骨には異常がありませんでした。静脈に血栓ができていて感染を繰り返しているのかなと思います。採血の結果も入れておくので今一度精査の方をよろしくお願いします」

 

 

ムスコンに膠原病の疑い?????

 

 

採血の紙を見るとどれも正常値だったが一つ気になったのが血小板が20万と普通の人にしては少なめだったこと。

 

 

私は帰宅してパソコンを開いて「静脈、血栓、感染、血小板減少」というワードでググってみた。

 

 

すると「高リン脂質症候群」という病名にヒットした。ムスコンの症状が全て当てはまっていた。血小板中程度減少の言葉に納得した。

 

 

そう言えば葬儀に来たババ友達が「ムスコンさんが掃除をしたら手が腫れたと言っていた」と言っていたし、ムスコン妹も「前に静脈瘤を切ってもらった病院の先生の所にもう一度連れて行ってくれないかと言って来たのでいいよと言った」と言っていたので、もしかするとムスコンは自分でも膠原病で血栓がたくさんできているのかもと思っていたのかもしれない。

 

 

しかしこの紙によるとかかりつけの内科では手の腫れについて取り合ってもらえてなかった模様。

 

 

後で聞いた話によると、ムスコンは大学病院で心臓の手術をした後に定期検診に通っていたが待ち時間が長すぎるから嫌だと言う理由で設備が整っていない近所の病院で定期検診を受けていたという。

 

 

心臓の手術をしたと言うのに何と不用心なんでしょうか。手術してない病院で術後のケアなんてできるんですかね。

 

 

いくら待つのが嫌だからと言っても小さな病院で診てもらって怖くなかったんですかね。

 

 

あのままずっと大学病院で診てもらえていれば手の腫れだってすぐに親身に診てもらえていたと思いますよ。ムスコンは病気の可能性があるのに医者にさじを投げられていたんですね。

 

 

ムスコンは自らの意思で自分の寿命を縮める道を選んだ。そして周りにはそれを止めてくれる人がいなかった。ムスコン弟もハイエナも「ムスコンが待つのが嫌だから近くの病院に通うことを尊重した」という感じだったから。

ムスコンが常々言っていた「血は汚い。身内の言うことは何でも尊重される」という教えがこんな形でムスコンに返って来たんですね。

 

 

 

仮に高リン脂質症候群だったとして早いうちから治療をしたらムスコンは死なずに済んだのでしょうか。でも心臓の手術をしてワーファリンを飲んでいたのでどんな治療になったんでしょうね。

 

 

 

全ては自業自得です。

 

 

 

そしてハイエナと一緒にムスコンの通帳を見てみると少ない金額でしたが一年前に全額引き出されていました。それと一緒に宗教団体へ持ち込んだようなメモがありました。

 

 

「あいつ全部宗教に持って行ってる!!!おかんを悪く思わないでやってくれ!!!あいつは寂しかったんだと思う!!!あいつは最後の最後まで一体何をやっているんだ!!!」

 

 

悪く思わないで欲しいと言われても無理ですね。

 

 

息子と孫を失った寂しさを宗教の教祖へ貢ぐことで解消しようとしたムスコンの所業に私は返す言葉が見つかりませんでした。

 

 

 

続く