Ty Jeffreyの海外出張報告 -2ページ目

序章:アメリカ駐在へのあこがれ

今日はThanksgiving Dayで祝日。ヒューストンは昨日まで28 ℃くらいだったのが、今日の朝は10℃くらい。

 

 

朝からテレビでヒューストン・ダウンタウンのパレードをやっているが、なんか寒そう。

 

さて、今ヒューストンに単身で赴任しています。

 

定年間近なので、そのまま何となく会社で過ごして、定年後はシニア社員で淡々と過ごそうと思いましたが、それでは人生面白くないと思い、会社に折衝して、今回自分の夢だったアメリカ駐在を実現しました。58歳6か月、そして会社生活35年で初めての駐在、これまでそのようなケースは無いようです。他の会社は知りませんが。。。

 

今回初めての駐在ですが、アメリカに住むのは2回目。

前回は1972~1974年ですので、約50年ぶり。

 

前回住んだところはシカゴ。ここは私にとっての第二の故郷。

エバンストンという場所で、今でも残る下記のアパートに住んでいました。(※下記写真は今年1月です)

 

 

アメリカに行ったときは5歳(くらい)私のキャリアでは、小学校はアメリカ入学です。ちなみに、その後に奈良県・斑鳩小学校に転校が私の経歴です。

 

学校も当時のままです。

 

小学校2年生の時のクラスの写真。日本と違って、全員ではなく個人です。こういうところが文化の違いでしょうか?

 

 

 

ちなみに、下記は息子です。今は24歳の息子が、上の写真の私と同じくらいの時の写真。関係ないですが、まー、同じです。笑

 

小学校では、英語がまったくできない状況で行き、辛い思いもしたのでしょうが、他の事は結構記憶がありますが、シンドイ記憶はありません。なので、楽しかったのではないかと思います。30年くらい前に”1973年当時の自分”が英語を話しているテープを聞きましたが、早すぎて、発音良すぎて何話しているのか分かりませんでした。笑

 

たった3年弱でしたが、私の現在のマインドの基礎はこの小学校、そしてアメリカの生活で築かれました。

なので、アメリカで仕事をしたい、赴任したいと長い間思っていました。

 

ただ、アメリカから帰国後、奈良県生駒郡斑鳩町には当時英語教室なんかなく、そして「英語できるんやろ、話して?」って同級生から言われるのも嫌で、英語に対する拒否反応が出てきたところに、大阪の塾のようなところに行かされ、イギリス出身の先生に発音を全否定されたので、一切英語にかかわるのを止めました。

 

その結果が、会社入社時のTOEIC点数が280点で、バブル入社360人の中でほぼ”ベベ”でした。笑

 

アメリカで仕事をしたい夢は、出張ベースですが17年間も携わる事できたので達成ですが、駐在は少し心残りというのが正直な気持ちでした。なので、今回夢が実現して嬉しいです。

 

と、その時は思いました。。。でも、今はちょっと少し違う感覚。。。それはまた書いていきます。


素晴らしい場所、オーストラリア・パース。そして今。。。

さて、今年2月のシカゴを最後に止まったままのブログ。それから沢山の事がありました。

 

2月にオーストラリア・パースに出張し、それが日本からの海外出張としては、最後になりました。たぶん。。。

 

さて、そのパースですが、本当に良いところです。

 

パースは、中心地から電車で30分行っただけで、ごらんの景色。

 

 

レストランも凄くカッコいいし、おしゃれ。

 

 

2月はオーストラリアは夏、だからビールもおいしい。

 

 

最後の海外出張は、仕事もフリーの時も大満足でした。

 

 

そして、今私は何をしているか? 60歳になる来年を前に、5月から初めての駐在をしています。

場所はヒューストン、テキサス。

 

大変っす。

シカゴ in 2025 (2)

(2)に行くまで、だいぶ時間が経ってしまいましたが、シカゴ続きです。


アメリカの3大美術館の一つ。モネ、ゴッホ、シャガールなんかが展示されていて、全然そんなの興味がない私でも結構楽しめます。

そして、ライオンのトレーナーやエコバックなどがある、お土産屋さんもお気に入り。妻はエコバックを使い、息子はトレーナーを気に入って着てくれています。





そんな美術館の目の前に、かの有名なルート66の出発点があります。ルート66はシカゴが出発点なのは知っていたのですが、まさかこことは。。。


カルフォルニアのサンタモニカまで3,755kmの国道。なぜ有名なのか? ググってもらえればと思います。爆笑


ループ地区のビルの裏側は暗いのですが、昔のようにゴミが無くて”え!?”って感じ。


この街は本当に私を癒してくれます。