SNSを開くたびに、誰かと自分を比べてた

 

しばらく、Facebookに投稿できない時期があった。

 

 

 

開くたびに、誰かの投稿が目に飛び込んでくる。

 

 

 

セミナーの報告、クライアントからの感謝の声、充実した日常の写真。

 

 

 

あの人はあんなに活躍してるのに、自分なんて…。

 

 

 

そう思うと、指が止まる。

 

 

 

「どうせ自分の投稿なんて、誰の役にも立たないよな」

 

 

 

という声が頭の中でこだまして、結局何も書けないまま閉じる。

 

 

 

そしてまた翌日、開いて… 比べて… 閉じる…。

 

 

 

自己否定と卑下の悪循環。

 

 

 

気づいたときにはもう、Facebookはスマホの中で一番見えない場所に追いやられていた。

 

 

 

 

 

 

 「比べちゃいけない」と思えば思うほど、比べていた

 

「比べるのをやめよう」と思っていた。

 

 

 

でも、やめようとすればするほど、自分の内側は戦場になっていった。

 

 

 

「自分なんて…」という声

 

「そんなことないよ…」という声

 

 

 

だいたいの場合、「自分なんて…」が勝つ。

 

そして投稿意欲は静かに削がれていく。

 

 

 

Facebookを開くたびにその繰り返しになるから、もう開かないようにした。

 

 

 

逃げたわけじゃない、と自分に言い聞かせながら。

 

 

 

 

 

 比較をやめようとするのをやめた

 

転機は、ジャーナリングだった。

 

 

紙に自分の気持ちを書き出していくうちに…

 

あることに気づいた。

 

 

自分の中にたくさんの「自分」がいる。

 

 

そして、「自分なんて…」と言い続けている自分に名前をつけてみた。

 

 

「自分なんて…」の声のあとに必ずついてくるワード。

 

 

それは——「価値がない

 

 

ずっと、無価値感を持ち続けていた。

 

 

だから名前は「ムカチーくん

 

 

 

ムカチーくんは、何かしようとするたびに必ず発動する。

 

うまくいっても、うまくいかなくても、関係なく…

 

うまくいったら——「次はもっとうまくやらないと…」

 

うまくいかなかったら——「そんなんじゃ、人は離れていくぞ…」

 

 

 

結局いつも、何かに駆り立てられて行動させられる感覚があった。

 

でも、まずそこに気づけたことが大きかった。

 

 

 

「自分=ムカチーくん」だと思っていたのが、

 

「自分≠ムカチーくん」に変わった瞬間。

 

 

 

この同一視がなくなったことが、比較をやめていく本当のきっかけになった。

 

 

 

 

 

 比べる自分を「悪い癖」ではなく「信号」として見始めた

 

物事には、陰と陽がある。

 

それは例外なく、ムカチーくんにもそうだ。

 

 

陰の要素——自分を駆り立て、焦らせ、不安にさせる。

 

陽の要素——自分を幸せに導こうとしている。

 

 

邪魔だと思っていたムカチーくんは、実は自分のために発動していた。

 

 

 

自分から人が離れていかないように。

 

自分が困らないように。

 

自分が誰かの役に立てるように。

 

……そう考えると、ムカチーくんは、

 

自分以上に自分のことを心配してくれていた存在だったんだ。

 

 

 

邪魔者でも、悪い癖でも、ダメな自分でもなく。

 

誰よりも近いところで、ずっと自分を案じてくれていた仲間だった。

 

 

 

 

 

 読者へ|比べてしまう自分を、責めなくていい

 

誰かと比べて、自分を責めてしまうあなたへ。

 

 

いきなり「比べるのをやめよう」としなくていい。

 

 

ただ一度、立ち止まって問いを立ててみてほしい。

 

 

なぜ、自分は比べていたんだろう?

 

 

 

 

もしかすると、自分の中に——

 

自分を本当に心配してくれていた「もうひとりの自分」が、

 

ずっといてくれていたことに気づけるかもしれない。

 

 

 

その存在を邪険にするんじゃなく、

 

自分を幸せにするための仲間として見てみたらどうだろう。

 

 

 

目的は同じだ。

 

「自分を幸せにしたい」——そのゴールは、あなたとまったく同じ。

 

 

 

親よりも近いところで、

 

ずっと寄り添ってくれていた仲間が、

 

自分の中にいる。

 

 

 

比べてしまう自分は、責めなくていい。

 

 

 

その声の奥にある、やさしさに気づいてあげてほしい。