気づいたとき…こう思う。

 

 

 

 

「またやってた…」

 

 

 

 

そして、すぐにこう続く…。

 

 

 

 

 

「自分は何も変わっていない…また同じことしてる…」

 

 

 

 

 

 

この解釈が、長い間しんどかった。

 

 

現に今もその状態…

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、本当にそうだろうか。

 

 

「またやってた…」と言えるということは…

 

 

 

 

一度目に気づいた自分がいないと「また…」という気づきはない。

 

 

 

 

ということは——

 

 

 

 

「またやってた」という言葉の中には

 

すでに気づいた自分が宿っている。

 

 

 

 

 

気づいていない人は「またやってた」とすら気づけない。 

 

 

 

 

言葉にした瞬間、もう少し抜け出しかけている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二つの解釈は、全然違う矢印を持っている。

 

 

「また同じ失敗をした自分」

 

 

 

「また気づける自分になっていた」

 

 

 

 

前者は、過去に向かう矢印。 

 

 

 

後者は、今の自分の深さを示す矢印。

 

 

 

 

 

 

同じ「またやってた」という言葉が

 

 

 

どちらの解釈を選ぶかで、全く別の意味になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 螺旋のように、深まっていく。

 

同じ場所に戻ってくるように見えて

 

毎回少し景色が変わっている。

 

 

 

 

一年前の自分には

 

今日気づけたことが言葉にできなかった。 

 

 

 

 

 

言葉にできなかったことは

 

まだ見えていなかったということ。

 

 

 

 

 

 

今見えているということは

 

それだけ深いところに来たということ。

 

 

 

 

「またやってた」は…後退じゃない。 

 

 

 

 

また違った視点が増えた自分への報告だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 統合とは、完成することじゃないのかもしれない。

 

「いつまで続くんだろう」と思うことがある。

 

 

 

 

 

 

でも今は、こう思う。

 

 

 

 

 

 

続いているんじゃなくて

 

深まっている。 

 

 

 

 

終わりに向かっているんじゃなくて

 

毎回違う自分で同じ問いに出会っている。

 

 

 

 

 

 

そのたびに少し景色が増える。

 

 

 

 

それでいいのかもしれない。

 

 

空

 

 

 

毎日1つの問いと、3分だけ向き合ってみてください。


「良くしよう」としなくていい。ただ、気づくだけでいい。

 

それだけで、自分への見方がそっと変わっていきます。

 

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