もしかするとこの体調不良には | 丁寧に生きる、ということ

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自覚なきまま、気がつけば50代後半にさしかかって感じる、日々の思いを書き留めます

自分自身ではわかっているつもりでも、実際にその状況に陥らない限り、本当の意味で理解することはできない。わかったことにはならない。そんなことは、きっとこの世には、あまた存在するのだ。

 

おそらく理解することと同情すること、寄り添うことはまったくの別物だ。

想像力だけでは、相手と同じ景色を見ることはできない。

 

行政の仕事では、新たなイベントや事業を立ち上げる際には、まず、その目的と必要性をプレゼンテーションする必要がある。

また、スタートした後には、それらの成果や達成した事柄を明確にし、評価を行わなくてはならない。

すべてはお預かりしている大切な税金を投じて行うことだから、当然といえば当然だ。

 

僕が行政薬剤師として働いていた頃、一番長く携わることとなったのは、このプレゼンテーションや評価のための資料作りを行う仕事だった。

担当者の方々と充分に話し合い、その目的を明確にするなかで、アンケートを設計し、発送し、回収し、データとして入力し、集計し、報告書としてまとめあげる。

あの頃、ドクターや保健師さん、栄養士さん、歯科衛生士さん…、いろんな職種の方々とチームを組み、一緒にお仕事させていただく貴重な機会を得た。

 

ある時、難病(特定疾患)の患者さんとそのご家族を対象に、その現状とニーズを把握するための調査を行うこととなった。

 

それまでの「普通の生活」が発病により一変し、家族をも巻き込んで、当たり前だった日々が根元から崩れていく。

 

アンケートを集計していくなかで、これまで僕自身が知らなかった様々な「生活」「生きざま」が見えてきた。

その現状に、気持ちがどんどん沈んでくる。

だが、その感情に引き摺られてはならない。

自分自身に与えられた仕事は、あくまでも淡々と、客観的な「事実」のみを浮き彫りにしていくことなのだ。

 

介護保険など、まだなかった時代の話だ。

なかでも僕が大きな衝撃を受けたのはアンケート最後の「自由記載欄」に記されたある一文だった。

 

ご家族の代筆によるというその一文。

「今となっては体を動かすことができず、自分の命を自分で絶つ力さえ残っていない。そのことがただただ悔しい」。

 

ご本人の気持ち。

そしてそれを代筆するご家族の気持ち。

ショックだった。

こんな人生もあるのだ…。

 

だが、このときの僕が抱いたのは、まだまだ「同情」レベルの感情にすぎなかった。

ショックを受けても、それでもなお、それはあくまでも他人事だったのだ。

それから数年後、健康だった僕の母が難病と診断されて寝たきりの状態となり、僕自身がその「家族」となったときに、はじめて僕はそのことを痛いほど思い知る。

 

自分自身ではわかっているつもりでも、実際にその状況に陥らない限り、本当の意味で理解することはできない。わかったことにはならない。そんなことは、きっとこの世には、あまた存在するのだ。

 

ここ数年、自分でも原因がわからない体調不良に悩まされてきた。

これまで意識したことはなかったが、今、こうして考えると、これまでの僕はかなりの健康体だったのだろう。

学生時代、皆勤賞とは縁がなく、年に数回は学校を休んだが、記憶に残る「それらしい病気」といえば、高校一年のときに感染した風疹、高校二年のときのインフルエンザ、社会人になってからは4年目の麻疹、この三つくらいのもので、あとはただ「今日は行きたくない」というだけの「ズル休み」がほとんどだったのだ。

それがこの数年のうちに生まれて初めての入院と2回の手術を経験し、この年末年始は体調が整わず、そのほとんどを寝て過ごすこととなった。

 

インフルエンザに感染した、などというのなら、まだいいではないか。

原因はわかっているし、いずれは必ず快復して元気を取り戻す。

だが、今の僕の場合は、おそらく「不定愁訴」と一言で片付けてしまわれる類のものに近いのだ。

熱はない。検査値に異常を示すものもない。

「今日も元気ですね」と職場で言われても、「う~ん、実際のところは今、こうやって立ってるだけでギリギリ精一杯なんですけど…」というのが正直なところなのだけれど。

 

自己診断的には、まず低体温がベースにあるのだろう。

そして今、学んでいる漢方の知識に照らし合わせると気虚、血虚、そして水滞。

 

気虚の原因には3つあり、「虚弱」と「労」と「老」がそれにあたるのだという。

「虚弱」は生まれつきの体の弱さ。まあ、これは該当しないだろう。

「老」は老化だが、これはある程度は受け入れざるを得ない。

問題は「労」=働きすぎ、だ。

 

薬剤師というのは「頭で仕事する」生き物だと思っておられる方は多いかもしれないが、実のところは、なかなかの肉体労働であることが多い。

特に調剤薬局の現場では、一日中立ちっぱなしの仕事だし、休憩時間は不規則で、ほとんどとれない日もある。

仕事が終わるのも夜の7時や8時で、夕食を摂るのはだいたいがいつも9時頃になるし、週休二日制であっても、ほとんどが連休にはならない。

力仕事も多く、60歳手前の年齢にして、デスクワーク中心の他業種から正社員として転職するのには、なかなかハードな分野だといえるのだ。

 

だが、どうなのだろう。

今頃になって僕自身、「健康は思いどおりにはならないものなのだ」ということを思い知る一方で、その原因がわからず、周囲からも理解を得られないたいへんさに直面する、ということには、なにか「意味」があるのではないだろうか。

 

僕は冷淡な人間だ。

二十代の頃、医療の現場で働いていたあの時でさえ、自分自身や身近な家族がまったくの健康体であった僕は、優しくあろうとしながらも、心の奥底では冷めていて、病気を抱える方々の苦しさや悩みとはすこし距離を置いた場所にいたのだと思う。

 

だが、きっと今は違う。

悩みを同じ自分の痛みとして受け止め、寄り添うことができるのではないだろうか。

同じ目線で同じ景色を見ることができるのではないだろうか。

同情でもわかったつもりでもなく。

 

傲慢ですぐに上から目線になりがちな僕自身に新たな視点を与え、進むべき方向性を指し示すためのきっかけ。

ここ数年の体調不良には、意外とそういう「お取り計らい」が働いているのかもしれない。