50才のわたしへ
お誕生日おめでとう
気づけばもう
50年も生きてきたのね
心からのお疲れ様
いま 気分はどうですか
それは
想像していたものとは全く違う
理想とはかけ離れた
疲れたわたしが鏡に映る
子育て全盛期の
30代
難病にかかった
40歳
病気を乗り越えた
42歳
あの日
光の中に立っていた
自分を思い出す
たくさん
もがいてきた自分だから
50代のわたしは
更年期も
思っていたより
ずっと軽やかに越えられると
元気にかけぬけていけるのだと
そう 信じていた
やりたいことも見つかった
だからもう大丈夫って
心からそう思っていた
それが40代後半
思わぬ時代の流れと共に
今まで蓋をしてきたものが
一気に噴き荒れた
愛する人を助けたい
救いたい
愛する人の心を
これ以上 傷つけずに
立ち直らせたい
体当たりで
傷だらけで
頼まれもしない自己犠牲
全身全霊で
立ち向かった
あの時のわたし
親子関係が
浮き彫りになるたび
向き合わない
夫のことも疑った
父を頼りに相談すると
どうしてなの?
毎回毎回
感情の壁で押し返された
寄り添いや励まし
ひとつもない
父も受け入れられなかった
その時にはじめて
気づいた
40代では気付けなかった
父への未消化の思い
問題が少し落ちついた頃
こころ
からだ
癒えないものを抱えたまま
何より家庭に疲れきり
自由を求めた
飛び出したかった
発散したかった
これだけ耐えてきたんだもの
我慢したんだもの
頑張ったんだもの
自由になりたくて
変わりたくて
変われそうだと思えた場所に
少し華やいで見えた場所に
気持ちが軽くなるような世界へ
身を置いてみた
合わない場に行き
気づいたのは
やっぱり私は
以前のまま
自信のない“わたし”
変われたようでいて
わたしは
なにも変わっていなかった
違和感を抱えたまま
無理な自分を続けるうちに
生活の歯車は
少しずつずれていく
仕事も
思うように進まない
ある日
からだの痛みに
立ち止まらされた
立ち止まらざるを得なくなったあとも
後悔と自己嫌悪で
ますます体は重くなっていく
痛みは一向に引かない
怒りの行き先を失い
ふたたび
現実の家族関係に
心が揺さぶられた
思いを向ければ向けるほど
その影響の中へ
わたしは
深く沈んでいく
気づけば
自分を
「可哀想な存在」として
にぎりしめていた
でも
もう良い大人になったわたしが
50歳にもなったわたしが
一体いつまで
犠牲者になりきり
生きるのだろう?
痛いからだを感じるたび
心の中の幼いわたしが
助けを求めて顔を出す
ああ このままでは
わたしは
ず・・っと変われない
今、毎日のように
たくさん涙が出るのは
からだの痛みを通して
長く目をそらしてきた影から
必死に抜け出そうと
もがいているのかもしれない
それはわたしがこれから
生き直すためのあらたな道
距離があったら
少しは違ったんだろうか
近くで生きるからこそ
甘えも絡まり
今は ゆっくりでしか
進めない時間
他者をも傷つけ
自分も傷つける連鎖
二重にも三重にも
苦しくなりながら
よくここまで
生き抜いてきたね
ぐしゃぐしゃの泣き顔で
自分の体を
ひたすらさすり続ける
自ら追い込んだ
こころとからだを
今は
何をどうして
あげてよいのか
わからない
けれど
せめて今日だけは
憎しみではなく
自分への愛で
痛い体を
優しくさすってあげたい
そして
苦しいこともあったけど
幸せなことも沢山あったはず
様々な喜怒哀楽を経験し
今もなお
もがいているけど
50才のわたしへ
50年間生き抜いてくれて
本当にありがとう
からだの
60兆個の細胞たちに
いつくしみの手のひらで
ひとつひとつ
ありがとうを伝えるように
痛い体をさすり続ける
人の手を借りず
そう わたしの手で

※私two-miracleの綴る詩は
わたしの心の内や創作の中に
同時に存在する、いくつもの
愛のカタチを描いています。
誰かを裏切ったり
否定する意図はなく
ただ、一人の人間の記憶として
心を込めて紡いだものです。
この詩に触れた方が
それぞれの心にある愛の記憶と
静かに響き合えますように。
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