大好きだった友がいた
今 思い浮かぶのは
3人の笑顔
もちろん
半世紀生きてきて
様々な時代
様々なシーンで
他の友人たちと
出会うことはあった
こんな言い回しをすると
その3人以外で
これまで
「友」
として
私と
付き合ってくれた人たちには
失礼極まりないかもしれない
でも それくらい
その 3人の友は
私にとって
特別な存在だった
別格だった
それは
私の一途さゆえ
私が愛しすぎるがゆえなのか
性別関係なく
人を愛すると
嫉妬
執着
依存
傷つき
傷つけあったりが起きる
今
様々な事情によって
大好きだった
3人の友とは
離れてしまった
病気になり
私から離れたもの
相手から離れたもの
どちらともなく
様々に
離れていった
人は変化していく生き物
だから
どんな理由であれ
互いの波動(エネルギー)が
変わっていったことは
間違いない
自然な成りゆき
ともいえる
一方で
私の未熟さが
招いた部分も
一部ある とも思っている
友だけには
恵まれていたと思い込んできた
自分の人生に
心からの友だと呼べる人が
いなくなってしまった喪失感は
とてもおおきかった
この感情は
長いこと続き
引きずった
それが
ある日
ある時
突然に
3人
それぞれの顔が思い浮かび
感謝の気持ちと
優しさに包まれた
涙が溢れ
こんなに こんなに
大好きだった
と思わせてくれたこと
それぞれの時代で
心からの友でいてくれたことに
感謝した
私の人生に
ここまでに
大好きだったと思える人に
巡り会えたことに感謝した
事実、心底憎み合い
いがみ合って
離れたわけではない
でも
この先
ひょっとすると
もう 会うことは
ないのかもしれない
それでも
どこか
私の幸せを
遠くで祈ってくれているような
そんな感覚は
なんとなく伝わっている
私も彼女たちに
同じ思いを
放つことができるように
なったからだろうか
3人の友へ
ありがとう
あなたたちが
だいすきでした
3人 それぞれの人生が
幸せであること
祈っています
私も これから
病気が治っても
治らなくても
どちらであっても
幸せになってゆくと
誓います
そして
もし
もし
私にまた
大好きな友に出会える
チャンスが訪れるのならば
過去の失敗を教訓に
その時は
相手と
対等の関係を
築いてゆきたい
こうして
綴っていると
いつの日か
出会えるような
気もしてくる
まだ出会えていない
未来の友へ
今 どこに住み
何をしていますか
歳はいくつですか
(私は友の年齢は問いません)
いつか
あなたに
出会える日を
楽しみにしています