前回は、長女が日本の助産院で生まれた日のことを書きました。
今回は、次女が台湾で生まれたときのお話です。
次女を授かったのは41歳のとき。
今度は「パパが立ち会いしたい!」ということで、台湾で産むことに決めました。
ちょうどその頃、台湾でマンションを購入したのですが、なんと目の前が町の産婦人科病院。
次女は、そこで取り上げてもらいました。
当時は仕事が忙しくて、なんと出産の日まで働いていたんです。
その日の終わりごろ、なんだかお腹が痛いな…と思って、残業せずに帰ろうとしたら、
周りの同僚が心配してくれて、主人を呼んでくれました。
そのまま病院へ。
18時すぎに病院に着くと、もう陣痛が始まっているとのことで、そのまま即入院。
台湾の病院では、粉ミルクを自分で用意する必要があったので、
当時よかった明治の粉ミルクを、パパに買いに行ってもらうことに。
「早く帰ってきてねー!」とお願いして…。
ところが。
パパがミルクの買い出しと、義理の兄弟を迎えに行っている間に、
なんと2時間で生まれてしまいました。
立ち会いたいから台湾で産んだのに、また立ち会えず…(大笑)
2回とも間に合わなかったパパです。
私は次女を産んだあとは、震えが止まらなくて、全身に力が入らなかったのを覚えています。
でも台湾の病院は、家族が一緒に寝泊まりできるので、主人が3日くらい付き添ってくれました。
ここからが、日本と台湾の大きな違いです。
まず、産後のパンツ。
すごく簡易的(画期的!)で、汚れても気にならないものが、病院でセットでもらえました。
日本では自分で買った記憶があるので、ちょっと感動。
そして、赤ちゃんとの過ごし方。
日本では、生まれたあとはお母さんが赤ちゃんのお世話を全部自分でしましたが、
台湾では、生まれたあと抱っこもできないまま、赤ちゃんと離されてしまいました。
正直、ちょっとさびしかったです。
その日、やっとミルクをあげに行ったら、次女は「あなた誰?」みたいな顔。
ミルクも全然飲んでくれず、先生も困ってしまって、念のため大学病院で診てもらう騒動に。
結局、何も問題なし。
ただただ、のんきな子だっただけでした(笑)
台湾では、産後のお母さんは「とにかく動かないこと」。
本来は、お風呂もシャワーも2週間以上禁止と言われました。
病院での3日間の食事も、漢方系のものが多く、鶏肉を使ったものがたくさん出ました。
長女のときの、栗の渋皮煮が出てくる日本のごはんとは大違い(笑)
台湾では、退院後に「月子センター」という産後ケアセンターに行く人が多いのですが、
わたしは義母が「面倒をみるよ」と言ってくれたので、家で過ごしました。
義母が作ってくれた漢方の料理を食べて、漢方を飲んで、体を休める毎日。
これが台湾の「坐月子(ズオユエズ)」です。
(台湾では、月子をしっかりすると更年期障害になりにくいと言われているみたいだよ)
ただ、本来なら月子は3週間〜1か月ほどなのですが、
わたしは仕事があったので、なんと1週間で仕事に復帰。強靭パワーだよね(笑)
お風呂も1週間は我慢したけれど、仕事に戻るので、しかたなく入りました。
次女が生まれた日は、マヤ暦でKIN133「赤い空歩く人」、青い猿の13日間の音3。
赤い空歩く人は「探求」「自由」、そして「天と地をつなぐ」と言われる紋章。
日本と台湾をつなぐ家族に生まれてきた子に、ぴったりだなと思います。
青い猿は「遊び心」「ユーモア」。大騒ぎの中でも、のんきにマイペースだった次女そのものです。
そして、実は長女も、パパも、次女も、みんな音3。
音3は「つなぐ」と言われる音です。
海をはさんで暮らしていても、家族をつないでくれている3人が、同じ音を持っているなんて。
マヤ暦を知ってから、なんだか心があたたかくなりました。
日本と台湾、2回の出産。
どちらも大変だったけれど、それぞれの国のやり方で、たくさんの人に支えてもらいました。
そしてそして2回とも、パパは間に合いませんでした
(笑)