□1867年:大政奉還
↓1年
□1868年:戊辰戦争


やむな(1867)く大政奉還。残党処理で戊辰戦争

□1868年:五箇条の誓文・五榜の掲示・政体書

やろうや(1868)接待(政体書)、GO(五箇条の誓文)GO(五榜の掲示)!

□1869年:版籍奉還…旧藩主を知藩事に任命
□1871年:廃藩置県…親兵を使って実施


いやーろく(1869)にきっちり反省(知藩事・版籍奉還)する気がない。

鼻息(1871)あらく、身辺(親兵)の藩廃止(廃藩置県)。

□1870年:工部省設置
□1873年:内務省設置…大久保利通が初代長官


嫌な大人(1870)が子供ぶ(工部省)つ。

花見(1873)でナム(内務省)ナム、大久保(大久保利通)ナムナム。

□1873年:徴兵令…山県有朋が実現
□同1873年:地租改正


花見(1873)の(山県有朋)に徴兵令ちっ、疎開(地租改正)しておけば…。

□1881年:日本銀行創設
□1885年:銀本位制
□1897年:金本位制


母と一(1881)緒に日銀設立発行(1885)した(銀本位制)、苦難(1897年)のすえ(金本位制)。

□1871年:日清修好条規
□1875年:江華島事件
↓1年
□1876年:日朝修好条規…釜山・仁川・元山の三港を開港


嫌な一(1871)日辛(日清修好条規)抱する。

嫌なム(1876)ードの(日朝修好条規)に(仁川)(釜山)(元山)。

□1882:壬午事変…大院君と結んだ反乱、済物浦条約
□1884年:甲申事変…独立党のクーデター
↓1年
□1885年:天津条約…伊藤博文と李鴻章


岩屋に(1882)事故(壬午事変)って大病院(大院君)へ。(済物浦条約)難だ。

闇夜(1884)に行進(甲申事変)、独立(独立党)のため。

天津(天津条約)で伊藤(伊藤博文)と交渉(李鴻章)。

□1894年:甲午農民戦争から日清戦争
↓1年
□1895年:下関条約…伊藤博文・陸奥宗光と李鴻章、遼東半島(三国干渉で返還)・台湾・膨湖諸島の割譲


役者(1894)の皇后(甲午農民戦争)妊娠(日清戦争)。

下関(下関条約)で陸奥待(台湾)(膨湖半島)の遼東半島ゲット。干渉(三国干渉)されてとられた…。

□1894年:日英通商航海条約…陸奥宗光による

焼くよ(1894)うな思いで日英ツーショット(日英通商航海条約)。ようやく(陸奥宗光)が見えてきた

□1872年:琉球藩設置…藩王尚泰
□1879年:沖縄県設置


罠に(1872)かけられ、琉球(琉球藩)の正体(尚泰)は泣く(1879)泣く沖縄(沖縄県)になる。

□1873年:明治六年の政変(西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣)
↓1年
□1874年:民選議院建立の建白書(西郷以外の4人中心)


花見(1873)の迷路(明治六年の政変)で(民選議院建立の建白書)閉まる。

□愛国公党(1874)→愛国社(1875)→国会期成同盟(1880)→自由党(1881)→立憲自由党(1890)→自由党(1891)→憲政党(1898、旧自由党と旧進歩党が合同で設置)→憲政党(旧自由党が設置)→立憲政友会(1900、伊藤博文)

愛国(愛国公社・愛国党)者は帰省(国会期成同盟)して自由(自由党・立憲自由党)なので権勢(憲政党)ふるって声優(立憲政友会)になった。

□立憲改進党(1882)→進歩党(1896)→憲政党(1898)→憲政本党

改心(立憲改進党)して進歩(進歩党)した(憲政党)ど本当(憲政本党)かな?

□1871年:新貨条例…両・分・朱の4進法から円・銭・厘の10進法へ
↓1年
□1872年:国立銀行条例…渋沢栄一が推進


屋内(1871)でも深海(新貨条例)でも円・銭・厘(円・銭・厘の10進法)は使えるそうだから国立銀行(国立銀行条例)で借り(渋沢栄一)ることはないか。

□1880年:工場払下げ概則

パパを(1880)工場に払下げ(工場払下げ概則)。

□1877年:西南戦争

西郷さんがバナナ(1887年)を食べて西南戦争

□1881年:明治十四年の政変…国会開設の勅諭

ハワイ(1881)で国会(国会開設の勅諭)重要(明治十四年の政変)だ。

□1884年:華族令…上院選出母体
↓1年
□1885年:内閣制度…長官伊藤博文
□1888年:枢密院設置
↓1年
□1889年:大日本国憲法発布…黒田清隆内閣の時
□同1889年:衆議院議員選挙法制定…直接国税15円以上納める満25歳以上の男子に選挙権
↓1年
□1890年:第一回衆議院議員選挙…民党過半数を占める


パパよ(1884)、家族(華族令)が乗員(上院選出母体)の中にいない。(内閣制度)に行っと(伊藤博文)るのかも。

ややや(1888)!秘密(枢密院)にしてた憲法(大日本国憲法)が(黒田清隆)の組織に!

早く(1889)選挙(衆議院議員選挙法)に行こ(15円)うよ2号(満25歳以上の男子)。初めての選挙(第一回衆議院議員選挙)は民主党(民党)が過半数
□1603年 徳川家康が征夷大将軍に。
□1605年 徳川秀忠が征夷大将軍に。
□1623年 徳川家光が征夷大将軍に。
□1651年 徳川家綱が征夷大将軍に。(文治政治へ)
□1680年 徳川綱吉が征夷大将軍に。


ヒーローおっさん(1603)家康お子(1605)さん秀でた(秀忠)やつ。兄さん(1623)は家三つ(家光)持ってた。分地(ここから文治政治)にはコイ(1651)を家に繋(家綱)いでた、歯を(1680)繋いでたよ(綱吉)。

□1609年 島津家久の琉球侵攻+己酉約条。

廊下腐(1609)った家に久(島津家久)々に有給(琉球)休暇(己酉約条)で帰る。

□1615年 一国一城令、武家諸法度、禁中並公家諸法度。

一国(1615)一城令に、武士も公家さんも、はっと(武家諸法度)(禁中並公家諸法度)驚く。

□1624年 イスパニア船の来航禁止。
□1639年 ポルトガル船の来航禁止。
□1641年 オランダ人を出島へ移す。
□1688年 清国人を唐人屋敷へ移す。


西(1624)のいす(イスパニア)、(1639)除されたっ(ポルトガル)い。よい(1641)、おら(オランダ)は島を出る(出島)。(1688年)も(唐人屋敷)だしな。

☆鎖国までの、外交の流れを一つにまとめました。イギリスは、イスパニアが来航禁止になる一年前(1623)、外交を自ら撤退しました。

□1637年 天草四郎時貞が島原の乱を起こす。松平信綱が鎮圧。

泥みな(1637)かぶれ、島原の乱四郎(天草四郎時貞)はまっ平らに死ん(松平信綱)だ。

□1643年 田畑永代売買禁止法。

虫さん(1643)と田畑でバイバイ(田畑永代売買禁止法)。

□1651年 由井正雪の乱(慶安の変)

むごい(1651)が蹴りあ(慶安の変)って優勝(由井正雪)できるかな?

□1643年…田畑永代売買禁止法成立。

虫さん(1643)が田畑にいるから売買禁止(田畑永代売買禁止法)。

□1687年…綱吉が生類憐みの令を始める。

む、花(1687)に綱で縛(綱吉)った生き物(生類憐みの令)が。

□1715年…海舶互市新例。

なあ行こ(1715)うよ、海の市(海舶互市新例)へ。

□1716年…享保の改革。

ナイロン(1716)持って、競歩(享保の改革)をしよう。

□1772年…田沼意次が老中になる。

非難何(1772)くそ、田沼が老中

□1792年…ラックスマンが根室に来航。大黒屋光太夫を送還。

泣く人間(1792)と楽する(ラックスマン)ために眠ろう(根室)。大きな黒い屋敷(大黒屋光太夫)で。

□1808年…英軍艦が日本にきたフェートン号事件。

八百屋(1808)が増えとる(フェートン号事件)、ええ(英)ことや。

□1811年…ゴローウニン事件勃発。高田屋嘉兵衛が抑留。

はいぃ(1811年)!?ゴロン(ゴローウニン)としてたら高台(高田屋嘉兵衛)から落ちた!?

□1825年…異国船打払令。

いやに強(1825)引に打払う(異国船打払令)。

□1837年…大坂町奉行の元与力で、洗心洞で陽明学を教えていた大塩平八郎の乱。生田万の乱、モリソン号事件。

嫌味な(1837)大塩余力(与力)なく戦死(洗心洞)。余命(陽明学)も少なく、生きた(生田万の乱)くても無理(モリソン号事件)だった。

□1839年…蛮社の獄で尚歯会を処罰。

はっさく(1839)を馬車(蛮社の獄)で諸市(尚歯会)へ届ける。

□1844年…オランダ国王が開国要求。

はよ要(1844)求に答えろ。日本は俺んだ(オランダ)。

□1846年…ビッドル浦賀来航。
□1853年…フィルモアの国書を持って、ペリー浦賀来航。


しろ(1846)降参(1853)、は(ビッドル)(フィルモア)(ペリー)ほ。

□1860年…五品江戸廻送令。雑穀・水油・ろう・呉服・生糸。

やろう(1860)かね。雑穀を食べながら、を固めてロウを作る。ロウで照らして呉服生糸で縫う。
□1467年 応仁の乱始まる。

寄るな(1467)(応仁の乱)!

□1485年 山城の一向一揆。

しばこ(1485)う、やましい(山城の一向一揆)奴を。

□1488年 加賀の一向一揆

四匹の母(1488)鹿が(加賀の一向一揆)登場。

□1510年 三浦の乱。

後藤(1510)君と散歩(三浦の乱)へ。

□1523年 寧波の乱。

交付さ(1523)、忍法(寧波の乱)を。

□1543年 種子島に鉄砲伝来。

以後予算(1543)が足りない、種子島鉄砲

□1549年 フランシスコザビエルが鹿児島にやってきた。

以後よく(1549)来るよ、カッコ(鹿児島)いいザビエルが。

□1560年 桶狭間の戦い。信長が今川義元を破る。

一個六十円(1560)の(桶狭間の戦い)。今買わ(今川義元)なければね。

□1570年 姉川の戦い。信長が浅井長政・朝倉義景を破る。(翌年、両氏に加勢した延暦寺を焼き討ち)

こんなお(1570)(姉川の戦い)さんでも(浅井長政・朝倉義景)に弱い。

□1573年 室町幕府滅亡。

一期涙(1573)の室町幕府滅亡

□1575年 長篠の戦い。足軽鉄砲隊の使用。武田勝頼を破る。

粉々(1575)に為し(長篠の戦い)て、鉄砲(足軽鉄砲隊)で勝つより(武田勝頼)ほかない。

□1580年 石山本願寺、顕如と和睦。

小判を(1580)石山(石山本願寺)に捨てるのはいけんぞ(顕如)。

□1582年 明智光秀による本能寺の変。(その年、秀吉が山崎の戦いで、明智光秀を破る)

イチゴパンツ(1582)で本能寺山切り裂き(山崎の戦い)て、光秀倒す

□1583年 賤ケ岳の戦い。柴田勝家を破る。(本能寺から一年後の後継者争いと覚えよう)
□1584年 小牧・長久手の戦い。織田信雄・徳川家康と和睦。(賤ケ岳の戦いの一年後に、家康たちが遅れて戦うと覚えよう)


静か(賤ケ岳の戦い)に縛った(柴田勝家)。

コマ鍛(小牧・長久手の戦い)えるのは家康の部活(織田信勝)。

□1587年 バテレン追放令を博多で発布。

以後やな(1587)バテレン謀って(博多)追放。

□1588年 刀狩令・海賊禁止令。

いこーバンバン(1588)、刀狩りに、海賊禁止

□1590年 秀吉の天下統一。

国土を(1590)統一秀吉さん。

□1591年 人掃令。

極意(1591)で人を掃う(人掃令)。

□1592年 文禄の役。
□1597年 慶長の役。


異国に(1592)ブログ(文禄の役)、(1597)と警察庁(慶長の役)運営。
○1335年 北条時行による中先代の乱。

さんざん攻(1335)撃して泣かせた(中先代の乱)。いい気(足利時行)はしない。

○1336年 湊川の戦+建武式目制定。

ささっとむ(1336)こうへ皆かわ(湊川の戦)す。けむ(建武式目)たいから。

○1338年 足利尊氏が征夷大将軍になる。

耳輪(1338)を付けた尊氏さん。

○1368年 明の建国。

見ろや(1368)明り(明)を。

○1391年 明徳の乱で、山名氏清(六分一殿と呼ばれていた)を滅ぼす。

作為(1391)でクラスメート(明徳の乱)を山の中(山名氏清)に六分間(六分一殿)。

○1392年 後亀山天皇から御小松天皇へ譲位して南北朝合一+李氏朝鮮建国。

さ~国(1392)統一(後亀山天皇から)ッコ(御小松天皇)いい。

○1399年 応永の乱で、大内義弘を討つ。

サンキュー、食(1399)おう!」「ええ(応永の乱)、お家(大内義弘)に帰ったらね」

○1401年 日明国交の開始。
○1404年 勘合貿易の開始。


用意(1401)はよーし(1404)、勘合貿易

○1411年 足利義持が日明国交断絶。
○1432年 足利義教が日明国交回復。


いい(1411)(義持)朝に(1432)海苔(義教)つける。

○1419年 応永の外寇。李氏朝鮮による対馬への攻撃。

よい車(1419)を応援(応永の外寇)。(朝鮮)強い馬(対馬)みたい。

○1428年 正長の土一揆。近江の馬借が蜂起。初めての大規模な徳政一揆。私徳政を認める。

世に初(1428)めての徳政一揆終え(近江の馬借)た後の今後を象徴(正長の土一揆)する(私徳政)。

○1429年 播磨の土一揆。赤松満祐が鎮圧。

死にて苦(1429)しむ針山(播磨の土一揆)地獄だ、あかん、待つ(赤松満祐)んや!

○1438年 永享の乱。足利義教が関東管領上杉憲実と結んで、足利持氏を討つ。

シミは(1438)影響(永享の乱)するよ。洗濯ノリ(足利義教)つけ、上をすすぎ(上杉憲実)、持つ(持氏)んだ。

○1441年 嘉吉の乱。赤松満祐が、足利義教を討つ。

しょい(1441)込んだ(嘉吉の乱)が(赤松満祐)くなって残り(足利義教)ました。
□1192年 頼朝が征夷大将軍になる。

いい国(1192)作ろう、源頼朝

□1203年 比企能員の乱。

家におっさん(1203)、ひっ、昨日(比企能員の乱)から!?

□1213年 和田義盛の乱。

兄さん(1213)は誰(和田義盛)?

□1221年 後鳥羽上皇による承久の乱。

夫婦一(1221)緒に上級(承久の乱)問題で言葉(後鳥羽上皇)を失う。

□1225年 北条泰時が評定衆・連署設置。

家ににこ(1225)にこした表情(評定衆)を。連勝(連署)がやっと来(泰時)たから。

□1232年 北条泰時が御成敗式目を制定。

踏みに(1232)いくよ泰時を。成敗(御成敗式目)しよう。

□1247年 北条時頼が、宝治合戦で、三浦泰村を滅ぼす。

仁科(1247)って、時より(北条時頼)法事(宝治合戦)で休むよな(三浦泰村)。

□1249年 北条時頼が引付衆を設置。

家によく(1249)、いや、時より(北条時頼)、火をつけた(引付衆)。

□1271年 元建国。

(元)々の担い(1271)手。

□1274年 文永の役。
□1281年 弘安の役。


家に(1274)。「ぶえっ(文永の役)、まず!やい(1281)、もっと考案(弘安の役)ないのか?」

□1285年 霜月騒動。北条貞時の時に、平頼綱が、安達泰盛を滅ぼす。

家に夜行(1285)性のしなびた(霜月騒動)が寄り集(平頼綱)まる。「定め(北条貞時)だね…。あたし休もう(安達泰盛)」

□1297年 永仁の徳政令。

肉な(1297)しが続きそうだ、永遠に(永仁の徳政令)。

□1324年 正中の乱。
□1331年 元弘の乱。


西(1324)のサイ(1331)はしょっちゅう(正中の乱)結婚(元弘の乱)。

□1333年 鎌倉幕府滅亡。

悲惨さんざん(1333)、鎌倉幕府滅亡