テリィとキャンディが再会する前の物語です。
本編未読の方には、若干のネタバレになります。
11年目のSONNET
スピンオフ
ジュリエットとオフィーリア
★★★
初めての扉を叩く時、少しの高揚感と共に新たな出会いに思いを馳せる。
古巣の扉なら、待っているのは温かい言葉か熱い握手か。
しかし、いま目の前にある扉はどちらでもない。
重い扉を後押ししてくれるのは、愛する人の思い出の笑顔。
それがあれば、一歩踏み出せる。
それがあるから、一歩踏み出さなくてはいけない――
その男が稽古場に現れた時、一瞬誰もが息を呑んだ。
驚きの瞳が次第に誹謗めいた輝きに変わったのは、男が起した惨事を思い出したからだ。
「・・お久しぶりね。もう、懺悔は終わったの?」
口火を切ったのは、一番の被害者であるカレン・クライス。
初めての主演舞台をロミオ役が足を引っ張り、早々に討ち切られた屈辱は、一年半たっても忘れた日はない。
「よく戻って来られたわね。あなたにはプライドがないのかしら」
嫌味の一つも言わないと気が済まない。
「今日から・・また宜しくお願いします」
四方から注がれる批判的な視線を遮るように、テリュースは深々と頭を下げた。
いくら待っても言い訳一つ返ってこない状況が、団員たちをいらだたせた。
「おい!面だけで芝居ができると思ったら大間違いだ!モデル事務所にでも移ったらどうだ」
「残りたいというなら、何でもやってもらうぜ!ああそうだ。劇場の清掃員から始めろよ」
ニ期先輩であるオルガはペッと床に唾を吐いた。
「モップを持ってこいよ」
ココを拭けと言わんばかりに、あごを突き出している。
「おおかた中部の女に甘えていたんだろ?ますます中部なまりが取れなくなるぜ」
「――中部なまり?俺が?」
初めて聞いた言葉に思わず反応した。
「田舎者っ!中部のド田舎に帰れっ」
加勢するように、他の団員が怒鳴った。
「いや違う、こいつの母親は確かニューヨーク出身だった。な、テリュース・ベーカー?」
反射的にテリュースはオルガを睨みつけた。
「な、なんだよ。首になっていないのは、恩赦があったからだろ!!ロバート先生とエレノア・ベーカーが旧知の仲だから!」
「――やめなさい!!」
テリュースの背後から持ち前の声量で口を挟んだのは団長のロバートだった。
「お前たち、何度言ったらわかる!あの事故はテリュースのせいじゃない」
「だが、公演の失敗はこいつのせいだ」
「愛する人の一大事に、冷静でいられる人間がどこにいる!キャストの変更が遅れた私の失態だ」
「愛する人?ウソよっ」
カレンから漏れた言葉が真実なのは、団長以外の誰もが分っていた。
あの雪の夜、金髪の少女がスザナの命を救った事、その子がテリュースの恋人であり、中部に住んでいることを知っていたからだ。
その情報源ともいえる人物がスッとテリュースに握手を求めた。
「また一緒に頑張ろう」
同期のアルフレッドの一言で、その場は収まったかのように見えた。
熱いようには見えない握手をする二人を横目に、ロバートは団長室の方を指しテリュースに言った。
「丁度これからマーロウ夫人が来ることになっている。すまんが君も同席してくれ」
事故の賠償金などの請求で頻繁に劇団を訪れていたマーロウ夫人は、この日もアポイントを取っていた。
ロバートに続いて部屋に入って来た人物を見て、マーロウ夫人は絶句した。
無言の二人をとりなすようにロバートは言った。
「スザナと君の仲は夫人から聞いている。心の整理が出来たから戻って来た、そうなんだな?テリュース」
「はい」
スザナとの仲――
それがどんな仲なのか、恋人なのか、被害者と加害者なのか。
(――加害者?)
しっくりしない響きだった。自分はその場に居合わせただけだ。
しかし、そんな言い訳などマーロウ夫人の前では通用しないと分かっている。
「宅にはあなたの荷物がまだあってよ。どうするの?出ていくなら取りに来てちょうだい」
目くじらを立てながらマーロウ夫人は強い口調で迫った。
「マーロウ夫人。あなたの気持ちもわかるが、彼はまだ十代です。一人で抱えるには重すぎたのです。そもそも事故も公演の失敗もテリュースの責任ではありません。我々全体で招いたことです」
「娘はこの一年、事故後の自分と独りで向き合ってきたわ。この男は逃げ出したのよ!」
「ですが、彼は戻って来たのです。スザナを支えるために」
「こんな落ちぶれた俳優が戻ってきたところでっ」
「まぁ、そうカリカリしないで。幸いマスコミはテリュースの復帰を待望視しているようです。若いカップルに降りかかった惨事に同情しているのでしょう」
「同情なんて、何の役にも立ちませんわっ」
「大衆は彼の味方だということです。・・とはいえ、失踪騒ぎを起こして直ぐに無罪放免となっては、他の団員に示しがつきません。しばらくは下働きで我慢してもらう必要がありますが、禊が済んだら必ず」
「・・・それはどういうことですの?出世を保証されたという事ですの?」
「彼を見捨てるつもりはない、ということです。後は彼の芝居次第です」
陽の射さない山の中を徘徊していたようなテリュースにとって、ロバートの言葉は目の前に一本のつり橋が見えたような光景だった。
渡れるか分からない朽ちている橋だとしても、とにかくそこが道なのだ。
「彼のような逸材をこんなところで埋もれさせはしません」
テリュースの実力を高く評価しているがゆえに自然に出た言葉だった。
そしてそれは、テリュース・グレアムの不確かな復帰プロジェクトが密かに交わされた瞬間でもあった。
「まぁ・・!」
感嘆の声でテリュースを迎えた人物は一人だけだった。
思わず車いすから立ち上がった瞬間、片足を失っていた事に気付き、ガクッ「キャァ!」と悲鳴を上げたが、「スザナっ!」床にたたきつけられる前にガッチリとした腕が華奢な体を受け止めた。
二人が接近する。
きりりとした眉に海の色の瞳。理想の全てを兼ね備えたその顔立ちに、スザナは思わず見惚れた。
「あ・・・ありがとう。私ってば駄目ね」
舌を出しておどけてみせるスザナの顔は、以前より痩せたように見える。
「・・おかえりなさい。――ずっと・・待っていました」
そう口にした瞬間に実感したのか、スザナの瞳からは雨上がりの花びらに残るしずくのような丸い涙が、後から後からこぼれてきた。
その透明さに引き寄せられるように、テリュースは優しく伝えた。
「・・心配をかけてすまなかった。今日劇団ヘの挨拶を済ませてきたんだ。明日から劇団に通う」
思いがけない言葉に喜びを隠せないスザナだったが、心の奥では隠さなければならない感情が一瞬で渦まいた。
――キャンディと会ってきたの?
キャンディの所で暮らしていたの?
なぜ、私のところに戻ってきたの?
・・・私は、選ばれたの・・?
「また一緒に・・暮らしてくださるの、、ね?」
おそるおそるスザナは尋ねた。
運命を受け入れ、責任を取るために戻ってきたテリュースとしては、アパートに戻りたい、という本音が、どれ程わがままかは分かっていた。
「マーロウ夫人さえよければ」
後方に立っていたマーロウ夫人にテリュースはチラッと視線を移した。
「・・・心配には及びません」
マーロウ夫人にとってテリュースほど複雑な存在はなかった。
将来有望な俳優だったあの頃とは違い、今は無職に近い状態。
それでもロバート団長の言葉を聞いた後では、どこか投資に似た期待が芽生えてくる。
約束されたのだ。”テリュースは再び脚光を浴びる”と。
何より、娘のスザナはテリュース無しでは生きていけない。
毎夜涙に暮れながらこの男の帰りをどれほど待ちわびていたかは知っている。
今はただの介添え人でも、いるだけましなのだ。
「――期待していてよ、テリュース・グレアム」
睨みながら言った後、「あなたの寝室はニ階。スザナの隣の部屋でいいわね。スザナをサポートしてあげて」と、召使に指示するかの如く言った。
「ニ階?」
(足が不自由なのに?)
不思議そうな顔をするテリュースを、スザナは見逃さなかった。
「去年記者が庭に侵入して盗み撮りされたでしょ?なんか、怖くて・・」
「障がいを見世物にはさせないわ。食事以外の生活の拠点をニ階に移したのよ」
「滅多に外出しないから、さほど不自由じゃないわ」
「今日劇団に行ったのは、エレベーターの設置費用の相談。ギルが膝を悪くしてね。スザナをおんぶして二階に上がるのは、きついって言うものだから」
「覚えてる?執事のギルバート。健康の為に毎日ランニングしていたでしょ?それで膝を壊していたら、意味ないわね」
スザナは茶化すように笑った。
もっと若くて体力のある男に――と言おうとして、テリュースはやめた。
スザナの若い男に対する警戒心の強さを思い出したからだ。
女優スザナ・マーロウは、男連中のアイドル的存在だった。選べる女性は、簡単には男を近寄らせない。その半径三十センチ以内に入れるのは、半世紀以上生きた執事か相手役だけ。
「あなたは今日からギルの代わりをしてちょうだい。エレベーターより先に、台所の移設をしてもいいわね。今は足やら腕やらを失って帰国する兵士で溢れているから、エレベーターの設置には時間が掛かるのよ」
マーロウ夫人の言葉の語尾にはことごとく『あなたのせいで』と、付いているかのようだった。
「・・足がないなんて、今は普通のことかもしれないわ」
スザナはテリィを気遣うように微笑んだ。
出戻りに与えられた最初の仕事は、劇団の事務室の手伝いだった。
「この売れ残ったチケットを売りさばいてくれる?」
年配の事務員の女性は、デスクの上に雑多に置かれたチケットの束をトンッと指ではじいた。
「・・・どうやって?」
「知り合いに買ってもらうのよ」
「――知り合い・・」
「いないなら、劇場近くのバーやショップに宣伝して来ることね。はい、これがチラシ」
チケットよりも高い頂きを、短い指でバンバンと叩いた。
「いつもこんな風に?」
「あなたがしくじってからは特にね。高いお金を払って、散々な舞台を見せられた観客はたまったもんじゃないってこと」
事務員は正直だった。
(しくじり・・)
自分の失態が多方面に与えた影響はどれほどだったのか。劇団員たちの態度は、ごく当たり前の反応なのだと実感する。
「それから、このファンレターを皆の楽屋に配達してくれる?掃除しながらでいいわ」
バケツとモップ、そして手紙の束を渡しながら事務員は言った。
「あなたが第一線で活躍していた頃は、この十倍届いていたと思うわよ。そうそう、毎日のように同じ名前の子から来てたわよね」
「・・そうでしたか?」
「すごくかわいい名前の子。え~と・・ショコラ?だったか」
ファンに注意が向いたことがなかったテリュースには、ピンとこなかった。
「スザナにもファンレターが多く来ていたっけ。毎日事務所までわざわざ受け取りに来て。楽しみだったんでしょうね」
「スザナが?」
そんな一面もあったのか、とテリュースは意外に思った。
「覚えてないの?あなた宛てのファンレターを楽屋に届けていたのもスザナだったでしょ。会いに行くきっかけがあれば、なんでも良かったって感じ。あの頃からあなたに惚れていたと思うわよ」
事務員は茶化すようにそう言うと、「スザナは元気にしてる?」と尋ねた。
好奇心の赴くまま問いかける中年女性の厚かましさ。劇団員の誰ひとり訊いてこないその質問に、若干の可笑しさを感じる。
「ええ、元気ですよ。家に引きこもっていますけど」
「君宛てのファンレター」
「あら、ご苦労様」
化粧台の前に座っていたカレンは、メイクをしながら鏡越しにテリュースに話しかけた。
「掃除はいいわ。今、忙しいから。・・へぇ~、そーいう格好も似合うのね」
鏡に映った灰色のつなぎ姿は、今の自分に似合いすぎてるな、とテリュースも思った。
「そうそう、スザナがあなた宛てのファンレターを破いている現場を見たことがあるわ」
カレンが突然振り返り、思い出したように言った。
「まさかっ・・」
「ホントよ。ライバルを一人でも減らしたかったんじゃないの?彼女、あなたにご執心だったから」
スザナとライバル関係にあったカレンの言葉にどれほど信憑性があるのか、テリュースには分からない。
「今の俺にはファンレターは来てないから。もうその心配はないよ」
テリュースは、この話題を終わらせることを選んだ。
「さぁ、どうかしら?この雑誌にあなたの復帰の記事が載ってるわ。扱いは小さいけど」
カレンは化粧台に置かれた雑誌を見せようとしたが、テリュースは首を振りながら「インタビューなど受けてないのに、どこからその情報が」と苦笑した。
「・・あなた、マーロウ家に戻ったの?」
記事に書いてあったのか、カレンは半信半疑で訊いたのだが、否定しないテリュースを見て察した。
「そうなんだ・・ふ~ん。スザナ、喜んでいるでしょうね。あなたを手に入れることが出来て」
「俺は――・・文無しのただの居候だよ」
「そんな言い訳が通用すると思ってるの?男女が同じ屋根の下に住んで」
竹を割ったような性格のカレンという人物は、スザナとはことごとく正反対のように思えた。
「スザナは策士よね。あなたの慈悲深さを利用するなんて」
「違う、俺の意思だ。スザナはとても純粋だ」
「純粋な人は他人のファンレターを勝手に破いたりしないわよ。ひょっとして、あなたの大切な人からのラブレターだったのかしら?」
一瞬、ギクッとしたテリュースだったが、キャンディの手紙は専らアパートに届いていた事を思い出し、「それはないよ。手紙の件はスザナも反省していた。もう以前のスザナじゃない」と返した。
スザナを信じ切っているようなテリュースに、カレンは苛立ちを覚えた。
「どこがよ、全然変わってないじゃない!あなた気付いてないの?自殺未遂、あれは自作自演よ!」
「考えすぎだ」
「公演が終わる時間を選んでいるあたり計算じゃないの!あなたに見てもらう為のお芝居なのよ。悲劇のヒロインのね!」
「まさか、そんな――」
「邪魔をしたかっただけよ。あなたと恋人の夜を!」
「――っ!」
病院の屋上で起きた惨劇に居合わせたのはキャンディだけ。
吹雪のスクリーンに映し出された映像がどんな光景でどんな会話だったのか、テリュースもカレンも見ていない。
「”恋をする人と狂人の脳は煮えたぎっている。冷静な理性では考えられない妄想を生む”。我らがシェークスピアもそう云っているじゃない」
「・・・『夏の夜の夢』か」
「冬の夜の夢よ。スザナの描いた妄想が現実になったんだわ」
カレンは確信めいた口調でそう言うと、議論に見切りをつけたように鏡の方に向き直り、「本番の時間が迫ってるの。出てってくれる?」と真赤な口紅をひいた。
次のドアをノックすると、舞台衣装を身に着けたオルガが腰に手をあて鏡の前に立っていた。
テリュースは一通のファンレターを差し出したが、オルガの手はぴくりとも動かず、鏡台の前に置けとばかりに鼻先を向けた。
「――自分の方が多かった、とでも言いたいのか?」
オルガは瞬間、足元のゴミ箱を蹴り倒した。
「おっとすまん、片付けておいてくれ」
テリュースはチッという音が口から出そうになるのを抑えゴミをかき集めたが、その傍から足元にペッとガムが飛んできた。
「悪い、紙が無くてさ。ガムもキャンディみたいに消えてくれればいいのにな」
黒い瞳をギラギラさせ、うすら笑いを浮かべている。
キャンディみたいに消えてくれれば――
偶然だとしても、気分のいい言葉じゃない。
「では、どうぞこれを」
テリュースは掃除用具の中にあったトイレ用の紙を無造作に渡し「ガムはチョコレートと一緒に食べると消えますよ。参考までに」と、栗色の髪と共に踵を返した。
「ちっ、お高くとまりやがって、下っ端のくせに!!」
テリュースにはどこかインテリジェンスの香りが漂っていると、オルガは常々思っていた。
黒人を祖父に持つ南部出身のオルガにとって、テリュースという人物は劣等感を自覚する対象でしかない。
いずれ主役に返り咲くであろう脅威の存在――。
男優なら誰もが抱くテリュースへの対抗心は殆ど嫉妬に近いものだった。
劇団の雑用は多岐にわたった。
楽屋や劇場の清掃はもちろんだが、大道具や小道具の手配や修理。
本番では役者たちの着替えなどのサポート、大道具小道具のセッティングや舞台装置の操作など、休む暇など無かった。
それでも、団員たちが夜遅くまで稽古をする中、テリュースは自分の業務をこなしながらも稽古の様子を観察していた。
他の団員より早く帰るわけにはいかない。劇団の演目の段取りは一部始終頭に入れたい。
この性分は入団以来の事で、テリュースにとって当たり前だった。
「がんばってね、あなたの実力は私が一番知っているわ。必ず報われる日が来ると信じてる」
スザナは優しかった。励ましの言葉をかけて毎日送り出してくれた。
スザナ自身、自分の身体に起きた現実に慣れたとは云えない状態だった。体調がすぐれない日、眠れない夜はテリュースが付き添うこともあった。
お互いがどこか不安定な者同士。誰かに必要とされ、役者として辿り着きたい場所があるだけで今のテリュースには十分だった。
そんなテリュースにチャンスが巡ってきたのは、食中毒が発生し団員の幾人かが数日間舞台に立てなくなった時だ。
そう、芝居の世界にはこれがある。
不意に訪れるチャンスをものにできるか否かは、運であり実力だ。
「パック役を僕が、ですか?」
アルフレッドは困惑気味に言った。
周りの団員がくすくす笑っている。
「パックって、、妖精ですよね。女性か男の子が演じる役だと思いますが・・それに衣装が、、踊りが、、どうなんでしょうね、僕に出来るとは」
アルフレッドは、プヨプヨの自分のお腹を見ながら、額から吹き出してくる汗をぬぐった。
「いくら喜劇とはいえ、登場した瞬間に爆笑の渦じゃ芝居がぶち壊れるぜ」
適役じゃないとばかりに、主要キャストであるデミトリアス役のオルガが異存ありげに言った。
『夏の夜の夢』に登場するいたずら好きの妖精パック。
この演目の中では物語をかきまわす重要な役柄だが、ベテラン俳優がやるような役柄ではない。
「十代の役者がいいんじゃないですか?」
誰かが提案した。
「そうだ、お前、テリュースやれよ。十代だろ?それに場を引っ掻き回すのが上手い」
劇場の隅で舞台装置の調整をしていたテリュースの体が、ピタッと止まった。
適役だから推す、というわけではなさそうなオルガの言葉に、周りからもせせら笑いが洩れている。
「周りが上等の衣装を着けている中で、裸同然の姿だ。演じて見せろよ」
「・・・パック」
それはストラスフォード劇団に入って初めて与えられた役柄だった。
当時十七才だったテリュースは、パンフレットに名前を載せて貰えたと喜んだものだ。
それからフランス王、ロミオと、一度は主役の座を射止めた俳優にとって、今、再びのパック役をどう受け止めていいのか・・――いや、選択の余地はない。
「俺でよければ」
その返事に劇団員は目を丸くし、ロバートは耳を疑った。
「・・本気かよ」
オルガは呆れたように言った直後、バカにしたような笑い声をあげた。
アルフレッドが慌てて助言する。
「テリュース、少し考えろ。なんでもやればいいってもんじゃない。君のファンがどう思うか――」
「ファン?そんなのいないさ。やらないより、やった方がいいに決まっている」
テリュースは着ていたシャツを脱ぐと、腰に巻き付けた。
「セリフはとっくに頭に入っています。いつでも行けます」
決意に満ちた声に劇団員はたじろぎ、「め、目立ち過ぎないように、バランスを考えろよ!」と吐き捨てるようにオルガが言った。
脇役に主役級の役者を起用することはある意味リスキーだ。他の役者を喰ってしまう恐れがある。それ以上に、陽気なパックのイメージとは異なる俳優を起用することは、劇にとってどうなのか。
今のテリュース・グレアムのイメージとは違う役柄は、本人のマイナスにならないか。
この配役が吉と出るか凶と出るかは、団長ロバートにも分からなかった。
「――少し演出をいじりますか?」
そばにいた演出家が提案したが「いや、そんな時間はない。やれるか?テリュース」
「もちろんです!」
ロバートは賭けてみることにした。
テリュース・グレアムの復帰作――と触れ込む暇もなく数日間のピンチヒッターとして舞台に立ったテリュースは、その存在感で観衆の目を引き付けた。
テリュースのパックを見たロバートは、自分がいかに保守的だったのかを思い知った。既存のイメージをいい意味で裏切り、どこか小悪魔的な魅力を放つ妖精役に新たな脚色の可能性を見つけたのだ。
そして元からのファンの間では、肉体美が見られると口コミで広がり、当日券はあっという間に完売してしまった。
パンフレットに名前は載らなくても『夏の夜の夢』の舞台でテリュースの好演が目立ったことは、復活の兆しとしてブロードウェー界隈では認知された。
とはいえ、マスコミのテリュースへの関心は既に失せ、他の旬の俳優たちのスキャンダルを追っていた。それほどこの世界は流れが速かった。
ロバート邸で行われた打ち上げパーティでの出来事だ。
たった三日しか舞台に立たなかった者が参加するのは分不相応と断ったのだが、君にも参加する権利があるから、とロバートは譲らなかった。
パーティ嫌いも手伝って遅れ気味に会場入りしたテリュースを迎えたのは、エントランスの隅に置かれたピアノのポロンポロンというぎこちない音だった。
数人がふざけるように人差し指で鍵盤をたたいている。
その横を通り過ぎようとした時、「へい、パック!いま流行りのジャズは聴いたことはことはあるだろ?」グランドピアノにもたれているオルガが、両腕を組んでニヤついている。
「・・・聞いたことなら」
「ジャズをリクエストする。風来坊のお前にピッタリだ。弾けるんだろ?」
「曲を知らないので」
弾けない、という返事を期待していオルガにとって、目論見とは違う答えが既に癪に障った。
「全ての役柄のセリフを頭に入れて、隙あらば役を盗んで行くお前なら、聞いただけで弾けるだろ」
「そんな才能はありません」
「お前は天才だろ?入団一年で主役の座を射止めたロ・ミ・オ」
オルガは嫌味が言いたいだけなのだ。
生まれてこの方、公爵家の跡継ぎだなんだと常に嫉妬の対象に晒されてきたテリュースは、嫉妬との付き合い方は熟知していた。
無視するか、木端微塵にする。
――今回はどっちだ。
続いてしまう。
。。。。。。。。。。。。。。
ワンポイントアドバイス
『夏の夜の夢』の妖精パックを演じた(と思われる)入団当時のテリィ
カレン・クライス
漫画ではたった3コマしか登場しませんが、二次小説界隈では重宝されるキャラです(笑)
マーロウ家の執事ギルバートについて
実在するモデルがいますが、無許可なので言いません😷バレバレ?
1話で収まらなかったので、2話に分けました。
後編は既に完成していますが、公開はTG の生誕祭(来年1月28日)を予定しています。😑シレッ
「もっと早く出せ!」とイカ🦑やタコ🐙が投げられた場合は、善処します。
※たくさんの🦑と🐙の投げ込みをありがとうございました。