代々伝わる宝石箱
あのひとの家に代々伝わる象嵌細工の宝石箱。
「代々」という表現は、他に一箇所テリィの実家に対して使われています。
「グランチェスター家先祖代々の厳めしい肖像画」下巻83
スコットランド移民のアードレー家より、グランチェスター公爵家の方が歴史があるものと思われますが、だからアードレー家ではない、とは言えません。
装飾に使われている希少価値の高いマザーオブパールは当時の富の象徴・貴族のステータスでしたが、それをアードレー家が所持していても不自然ではありません。
マザーオブパールには、「母性」という意味があるので、前の持ち主は女性――ベタに考えると母親の所持品(形見)でしょうか。
アルバートの母は他界していますが、テリィの二人の母は存命です。
このような品がキャンディに渡るということは、「嫁として認められた」という意味合いも含むと考えます。
アードレー家の場合
アルバートの母親はアルバートを産むと直ぐに亡くなっています。下巻299
受け継いだかもしれない姉のローズマリーも、その数年後に亡くなっています。
つまり、その後宝石箱を保管していたのはエルロイ大おばさまが最有力です。
嫁を連れて来た時点で、アルバートに渡したという映像が見えてきます。
「あのひとの家に代々伝わる」って、そもそもあのひとの家って、とっくにキャンディの家だよね、この日本語おかしくない?――と、屁理屈を言いたくなるような状況ですがそこは流します。
キャンディは十代後半でシカゴの本宅にアルバートから自分の部屋を贈られた、という記述があります。下巻307
容認したであろうエルロイ大おばさまとの和解の雰囲気も感じます。
ただ総長の嫁・・・となると、・・エルロイ大おばさまは一度は反対しますよね。
それでもなんとか事実婚を認めてもらい、本宅に住み始めたキャンディを想像すると、宝石箱は20代半ばには贈られそうです。もしその時点でこの発想を持っていたのなら
「わたしが使うには贅沢すぎるのその箱には、だから、私の大切なものだけを入れている。思い出の品々。新聞や雑誌の切り抜き、そして手紙の束」下巻149
真っ先に入れてるの、テリィグッズ!しかもタイミング的にテリィからの手紙が一番上に置かれていそう。大おばさまに中身を見られたら 追放まちがいなし!
グランチェスター家の場合
テリィと仮定した場合、何故そんな品を二人の母を差し置いてテリィが持っているのか、というところから考察する面倒があります。
実母のエレノアがその昔公爵から譲られ、テリィ(キャンディ)に渡した?関係が悪い義母から?それとも公爵から?
テリィとキャンディの再会には最低でも10年は要しますし、テリィは実家には反抗的で、半ば家出のような形でアメリカに渡っています。
「代々伝わる宝石箱」がキャンディの手に渡るには、キャンディと再会し、二人がイギリスへ渡り、テリィが実家と和解してからになるので、30代に突入しているかもしれません。
あのひとがイギリスに住んでいることともリンクしてきますね。
ちなみに『思い出の品々』という言葉を、『二度と会えない人・既に終わった人』との思い出の品、と受け取る人もいるようですが、ウエディングフォトや我が子の入学式の写真も、時がたてば『思い出の品』になりますので、永訣とは限りません。
また、プレゼント=アルバート、と連想する人もいると思います。
プレゼント攻撃はアルバートの十八番ですが、この場合「代々伝わる品物」なので、今までのような財力を駆使したプレゼントとは全く別、と考えます。
それどころか、原文には「プレゼント・贈り物」という文字は出ていません。
「だったら、きみの好きなように使えばいい」下巻149
なぜ宝石箱?
代々伝わった品を愛する女性に贈る。真っ先に思い浮かぶのは指輪やネックレスやブローチなどの宝石ではないでしょうか。しかしあのひとが贈ったのは宝石箱です。しかも「大きな」です。
そうでなければならない理由が原作者にあったのでしょう。
ステアの幸せになり器も入れていますから、かなり大きな宝石箱のようです。
30代のキャンディは、この宝石箱からアニーの婚約式の招待状やスージーからの手紙などを取り出しながら回顧録を進めていくので、進行役としての役割もあるようですが、もう一つ別の意味があります。
そう、宝石箱の中にすこぶる大切な物が入っているのです。
それを入れたいが故に「大きな宝石箱」が選ばれた、とブログ主は考えます。
テリィの切り抜き
これが一番の宝なんだよ、と主張しているように感じるのは、その切り抜きに対して具体的な描写が多いからです。まず切り抜きの全文(見出し)がきちんと紹介されています。
期待の大型新人!輝ける新星現る!テリュース・グレアム!
ストラスフォード劇団公演 「リア王」でのフランス王に異例の大抜擢!下巻185
キャンディがアメリカへ戻って初めてテリィの消息を知ることになる記事です。
しかもこの切り抜きは、アニーから送られてきた切り抜き、と設定がわざわざ変更されています。
それまでの旧小説や漫画では、いずれもキャンディが街で偶然テリィの記事を見つけた、とありました。
ハッキリ言って読者にはどちらでも大差ない様に思えますが、切り抜きの存在を際立たせるために、アニーに一役買ってもらったと捉えることもできます。
切り抜きを見た時のキャンディの様子は次の通り。
雪崩のように押し寄せてくる感情に立っていることさえできず、思わずしゃがみ込んでしまった‥‥涙でかすんでよく見えない。こぼれ落ちる涙で濡らしたくなくて・・手を伸ばして離した。そうすると、テリィが遠ざかっていくようで、慌てて抱きしめた 下巻186
いたいけな恋心がひしひしと伝わってきます。キャンディは涙でいっぱいです。
その切り抜きを、その後どうしたか?
あれから長い歳月どこに行こうとその切り抜きを持ち歩いていたので、かなり傷んではいたが、凛々しいテリィの写真は今もまだはっきりしている― 下巻186
キャンディは「長い歳月」それを持ち歩いていたのです。この切り抜きを入手してから別れるまでは実質半年しかありません。つまり別れてからも持ち歩いていたのでしょう。
アードレー家の本宅でもマイアミのホテルでも、「どこに行こうと」です。
他に好きな人ができていたら、これは無いでしょう。
テリィが近くにいるから持ち歩くのをやめ、宝石箱に入れた、と読む方が恋愛小説としてはきれいです。
もちろん、他の人と結婚したから収めた、とも考えられます。
その場合「今」宝石箱の蓋を開けて、若かりしテリィの写真を「凛々しい」と見ているのですから、かなり未練がましいキャンディ像が見えます
あのひとがアルバートなら、かなり懐の大きな男でしょう。好きに使っていいと言ったとはいえ、昔の男の写真を後生大事に保管しているのを容認しているわけですから。
そしてキャンディは未練がましい上に、かなり肝が据わっている女、ということになりますね。
申し訳ありませんが ・・こんな嫁、ごめんですっ※個人の感想です
パートナーがいる方は、ご自身に置き換えて考えてみてください。
自分の贈った豪華な宝石箱に、昔の想い人の手紙や写真を保管し、目をうるうるさせて眺めているパートナ―の姿を。
申し訳ありませんが ・・こんな夫、離婚ですっ※個人の感想です
この宝石箱の中には「マーチン先生が描いたイケメンアルバートの似顔絵」も入っています。
「自然にほほ笑みが浮かんできて、その似顔絵を取り出した」下巻239
この表現を、アルバートへの熱愛の目、と読む人もいるようですが、文脈から、自分の描いた稚拙な似顔絵やジョルジュの「名前のつけられない名作かと・・」という発言を含めた一連のエピソードを回想して、キャンディは目を細めているのだと分かります。
ちなみにキャンディが描いたブーな絵を、『ひどくに気に入ったウィリアム大おじさまは、仕事部屋に飾ってしまった』下巻239 と30代のキャンディが振り返っています。
この絵、「今」はどこにあると思いますか?
おそらくテリィファンならシカゴの本宅の仕事部屋にそのまま―と自然に考えると思います。
30代のキャンディの口調からは、その後移動させた、というニュアンスを感じないからです。
しかしアルバートがあのひとなら、剥がして移動させる必要がありそうです。
何故ならアルバートは、何らかの事情でシカゴの本宅を捨てているか、帰れない状況にあるからです。
この絵はアルバートのお気に入りですから、エイボン川沿いの家にある可能性が高いわけですが、そのように感じないのは、私だけでしょうか
入っていない二つの宝物
宝石箱に入っていない二つの宝物にお気付きですか?
ファイナルのキャンディの宝物は、ポニー先生の十字架、銀のバッジ、テリィの白いタイです。下巻144
銀のバッジ
6才の時、ポニーの丘で王子さまが落としたバッジ。キャンディはずっと身につけていました。
丘の上でのカムアウトの際、アルバートはキャンディにバッジの返却を求めています。そして贈り直しています。
アンソニーもバッジを持っているとファイナルには書かれていますが、直系には直系のデザインがあるようです。上巻203
キャンディはアルバートの養女ですから、同じ一族としてバッジを贈ったのでしょう。
ファイナルではカットされていますが、旧小説にはこのようなアルバートの言葉があります。
「あのバッジを、きみはお守りにしてくれていた。これからもきみを守り続けてくれるように」
復刻版528
30代のキャンディは「御守り」として今も身につけているのかもしれません。
白いタイ
白いタイは、テリィがキャンディの腕に巻いたものです。五月祭の時、荒々しく馬でキャンディを連れまわした際に負わせてしまった怪我の手当てに使いました。
その後キャンディはテリィに返そうと思いつつ、機会を逃します。
そして、学院を離れる際、机の引き出しから取り出しバッグにしまいます。
「テリィ・・・・・いつか返せる日が来るわよね」下巻144
とつぶやきながら。
テリィのタイについての記述は、この後プッツリ途切れています。
二人はNYで再会を果たしているわけですが、その際もその後も「タイを返した」という記述がありません。
宝石箱の中にはテリィの手紙や切り抜きを入れている、と書かれているのに、なぜか白いタイには触れられていません。入ってない・・・っぽい。
・・・つまり、テリィに返せたのでは?
仮に返せてなかったら必ず宝石箱の中にあるはずです。なのに、名木田先生はしりませ~ん
スっとぼけています
ロンドンの蚤の市で買ってきた 昔のポニーの家の絵
このエピソードの意味は、望郷の念と物語のテーマの強調ように思えます。
何故なら絵を描いたスリムは、旧小説にも漫画にも登場していないファイナルで初めて登場する人物で、キャンディとはいまだ生き別れの状態にあるポニーの家の子だからです。
絵を描くのが好きなスリムは、キャンディが「ポニーの家に戻ったとき」上巻9 既に鍛冶屋に貰われていました。この表現から、キャンディが留守にしていた(レイクウッド~シカゴ時代)に生き別れた可能性が高いと思います。
そしてある日、あのひとがスリムのサインが入った絵を蚤の市で見つけ持ち帰ってきます。
スリムの油絵と再び向き合う。
(スリム・・今、どこにいるの?生きていてくれればいいけど)
捜してもらったが、スリムの行方は分からなかった。大きな戦争があった。世界情勢は今も落ち着かない 上巻233
捜したのが生き別れた直後なのか、スリムの絵を見つけた後なのか、分かり難い書き方になっていますが、生き別れた後ならアメリカでアルバート(アードレー家関係者)が捜索を手伝った可能性がありますし、絵を見つけた後ならば、絵がロンドンにある=スリムがロンドンに居る?と考えて、ロンドン周辺で「あのひと」が捜索したのかもしれません。
「捜してもらった」という言い方は、捜査機関(興信所・探偵)などに依頼した、とも解釈できます。
いづれにせよ、生き別れ状態のスリムの絵がキャンディの元へ来るという事は、スリムとキャンディの密かな再会を描いたエピソードであり、「生きていればいつかきっと会える」という想いをキャンディは抱いたのではないでしょうか。
そしてまた、今は遠く海を隔てていてもキャンディの心にはいつも故郷があり、あのひともその想いを共有している、というエピソードだと感じます。
しかし悲しいかな読者はどうしても、何故ロンドンの蚤の市に?テリィはポニーの家だと一発で見抜ける?――と論じてしまうようです。
このエピソードの注目ポイントは3つ。
②手製の額に入っている
ロンドンの蚤の市
アルバートはイギリスの大学を卒業し、キャンディの留学中もロンドンに住み、動物園に勤める傍らアードレー家の仕事もこなしていたので、ロンドンの地理にも長けているでしょう。アードレー家の事業はイギリスでも展開されているようなので、ロンドンの蚤の市に現れても不思議ではありません。
テリィはロンドン育ちでなので、蚤の市が開催されるような場所はテリィの庭でしょう。
実家もロンドンですから、通りがかったので覗いてみた、という感じでしょうか。
高貴なテリィにそんなイメージはない、と感じる人もいるようですが、そもそもテリィは貴族の身分を鼻にかけ、下賤とは交わりたくない人・・ではありません。それはニールお坊ちゃんです。
階級社会に反抗的なテリィは、町で酒を飲み、ナイフを持った大勢と喧嘩をし、授業をエスケープし動物園に何度も通ってしまうフランクな人物として描かれています。
そして大人のテリィは貴族ではなく、一般人だと思われるので上流階級の人間ではありません。
漫画で中古車に乗っていたことから、中古と言えばアルバート!という発想もあるようですね。
ただ、原作者が「漫画絵と決別した」と言った後に書いたファイナルですから、その30年前に書かれた漫画だけに登場する1コマが、あのひとのヒントになるようなことは無いと思います。
仮に原作者が蚤の市でアルバートを誘導したいなら、「中古志向」であることを必ずファイナルのどこかに入れてくるはずです。しかし実際のアルバートは、金持ち特有の散財体質です。
キャンディの為にサラブレッド二頭を買い戻したり、本宅の部屋を改装したり、テーブルの上にたくさんのプレゼンを置いたり。下巻306
テリィも貴族故にそのようにイメージされがちですが、実際には高価な物を買う描写はありません。
「ロンドンの蚤の市に現れたあのひと」というエピソードの意図は、「どちらが蚤の市に似合うか」ではなく、ロンドンの通りや広場にふら~と立ち寄れる環境にあのひとが暮らしている、という事だと思います。つまり「エイボン川の町」がイギリスという裏付けにもなっています。
あのひととキャンディは「そばを離れたくない」ので、一瞬でも海を隔てることはありません。
手製の額は誰が作った?
アルバートなら、日曜大工は間違いなく得意でしょう。漫画でも椅子をトントンカンカンしている場面があります。ですが、そのシーンはファイナルには無いので、アルバート=DIYは成立しません。
また、蚤の市に出品されている時点でその絵は転売品なので、むき出しのキャンパスではなく、既に額装されていたと考えられます。
ファイナルには「あのひとが手作りした」とは、書かれていません。
しかしわざわざ「手製の額」としたからには、絵の作者スリムのお手製だと匂わせたかったのかもしれません。
というのも、スリムが鍛冶屋の養子になった、という文章は上巻9に2回も出てくるからです。
(あのトムでさえファイナルでは、どこに貰われていったか全く触れられてないのに!)
アニメでは大活躍のトム
鍛冶屋に引き取られたスリムなら、そのような作業はお手のものだと思うので、額を手作りする可能性が高いのは、三人の中ではスリムだと感じます。額は木材ではなく、金属素材かもしれません。
手製の額で飾られた10号の油絵。あのひとはどこからでも見える場所に飾ってくれた。上巻7
「手製の額で飾られた」という表現になっています。
仮にあのひとが作った事が大前提なら「飾った」となりそうな気がします。
微妙なニュアンスの違いですが「飾った」の方が主導的になります。
蚤の市で偶然に見つけ、嬉々としてキャンディに報告し、一番いい場所に真っ先に飾るあのひと
額をモタモタ手作りするエピは必要はない気がします・・
貧しいながらも故郷の絵を描き続けているスリム。その絵を額装したスリム。
そのように想像すると、スリムにとってもポニーの家は特別なのだと感じられます。
この絵がロンドンやニューヨークの画廊にある方がむしろ場違いなので、蚤の市が一番しっくりするように思えます。
ロンドンの蚤の市は歴史が古く、週末になればあちこちで開かれているようです。
一発で見抜ける?
アルバートなら疑いの余地はありません。問題は、昔のポニーの家をテリィが一発で見抜けるか、です。
ポニーの家の増改築は、大学院へ進んだアーチーへ宛てた手紙の中に出てくるので、キャンディが21歳頃です。下巻258 テリィとの再会は25歳以降という仮説を元にすれば、つまりテリィが肉眼で昔のポニーの家を見たのは1回きり、となります。
1回見ている時点で「テリィは見抜けない」という意見は客観性に欠けます。
テリィはニューヨークから往復3日ほどかけて訪れています。
(当時のNY⇔シカゴ間は片道30時間前後)
キャンディの育った家を見る為に、ポニーの丘に上る為に、キャンディの故郷を目に焼き付ける為に、です。
訪ねて来てくれてありがとう、テリィ…(中略)ポニーの丘をめぐってくれたこと、先生たちから聞きました。あなたが触れたかもしれない木々、佇んだ丘――わたしにはいっそう大切になりました。
下巻175
漫画では降り出した雪に足跡が残るまで丘でじっと佇んでいます。ファイナルには「雪」の記述はありませんが、その振る舞いはファイナルの世界でも同じだと思われます。景色に自分の想いを重ねているわけですね。
ファイナルのテリィは、キャンディが大西洋密航中に訪問しています。下巻276
訪れるタイミングが漫画よりずっと早いので、季節は冬ではなく晩秋だと感じます。
しかもテリィがみた景色はスリムの描いた絵と同じアングルです。
(ポニーの丘から見下ろした改築前の昔のポニーの家の全景 上巻8)
だからこそテリィは一目で見抜ける、昔のポニーの家だからこそ――そう読みたいところです。
昔の姿だから見抜けないと読むのは、本末転倒のように思えます。
スリムの絵は「きんぼうげと白つめ草におおわれた5月」上巻10🌱🌷で、テリィが見た季節と違うから、一発で見抜くのは無理、という説をよく目にしますが・・
絵のメインのモチーフは建物です。
個人的には、清水寺を囲む山が春でも秋でも、清水寺だと分かります。
「絵が5月」と判断したのは、そもそもキャンディ。あのひとは昔のポニーの家と山の稜線などで判断できるでしょう。
いつも近くにいて欲しいと望む人
「いつもわたしが近くにいることを望んでいるあのひとのそばをわたしも離れたくない」上巻233
床に臥せっているポニー先生のお見舞いに行くことを、キャンディが思いとどまっています。
片時も離れたくないほどキャンディはあのひとが好きで、あのひともキャンディが大好きなのですね。
あのひとがアルバートの場合、それだけの感情で終わってしまう気がします。
過去にキャンディは、行方不明になったアルバートを2度(シカゴ自然公園・ロックスタウン)懸命に探したことがありましたが、それは愛する人を追いかけるというより、消息を掴みたい、という一心だったように思えます。
恋心があったと仮定しても、その後、大おじさまのカムアウトを経てアルバートと同居できる状況にも関わらず、自ら村に帰っているわけですから、「離れたくない」などの強い感情は、アルバートには持っていないと推測できますし、作中にも書かれていません。
これはアルバートも同じです。
生来の自由人であり今や大総長として世界中を飛び回る実業家で、実際そのような記述があります。
「このところ、仕事がおもしろくてたまらない。僕にはやはり父ウィリアムの血が流れてるのだと思う」下巻311
何より、人を束縛するようなキャラとして描かれていません。自身も放浪癖があるキャラです。
「僕もシカゴに用事があるから一緒に行こう」「すぐ行っておやり、君は看護婦だ」と言うのが、誰もが知るアルバートだと思います。
妊娠や戦争が近いので一人で行かせたくないのでは、読む人もいるようですが、少なくとも文脈やレイン先生との手紙を読む限り、キャンディ側の不安定な事情は書かれていないので、結びつけなくて良さそうです。
仮にそうだとしても、テリィも全く同じ状況だと仮定できるので、アルバートのアドバンテージにはなりません。
テリィはどうでしょうか。
テリィは昔から独占欲が強く、数々のすれ違いの経験や10年以上の離愁経験が前提にあるので、不安が付きまとい、一人で帰るな、帰る時は一緒に、と考えるでしょう。しかし今は公演中で抜けられない。
葛藤しながらもキャンディに「そばにいて欲しい」と切願してしまうでしょう。
そしてキャンディはそんなテリィの心情を嫌と言うほど理解できるでしょうし、キャンディも離れるのが怖い、という感情を持っていることは容易に想像できます。
だって、そう書いてあるので。
今はなにより、いつもわたしが近くにいることを望んでいるあのひとのそばをわたしも離れたくない
キャンディがポニーの家に帰らない理由は、これ以上でもこれ以下でもありません。
説明は要らないと感じます。「離れたくない」って言ってますよね?
あのひと考察④に続きます。
※考察③ー3は、考察⑨「ファイナルストーリーの読み方」という元々の記事を下書きにリライトした為、
古いコメント(PC画面コメント1~96番/2021年11月12日まで)の内容が記事とかみ合っておりません。
コメントを残すことを最優先した結果ですので、ご容赦ください。🙇♀️