★★★8-8
グランチェスター家の封印が押された手紙が届いたのは、それから間もなくだった。

父さんの直筆で書かれたその手紙には、たった一言『帰国せよ』。

外国在住でしかも外国人との結婚は異議が多く、議会の承認が下りないと書かれた弁護士の書簡も同封されていた。グランチェスターの名を捨てることは絶対に認めないとも。

不肖の息子とはいえ公爵家の長男であることはゆるぎない事実。どこか納得している自分もいた。

実家と縁を切り結婚話を進めることも出来たが、もうそんな必要もなかった。

マーロウ夫人を諦めさせるのに、手紙は体のいい口実になった。

『――貴族・・長男?あなた跡取りなの!?結婚どころか、帰国しろと書いてあるじゃない!』
『・・帰国を促す理由は僕にも分かりませんが、体面ばかり気にする家柄ですので』
『テリュース、帰らないわよね、行かないわよね・・?』
『大丈夫、帰らないよ』
『信用できないわ!来年イギリス公演があるじゃない!逃げるつもりなら――』
『ママ、そんな風に言わないで!私、結婚なんかしなくてもいいの、テリィさえいてくれれば・・!』
『僕は帰りません。ロンドンに帰る場所など有りませんから』


そう言って二人の前で手紙を破り捨てた。
公爵家という壁の高さに萎縮したのか、マーロウ夫人は正式な結婚を諦めたようだったが、スザナは薬指の指輪を外すことはなかった。
マーロウ夫人は何年たっても俺を信頼することはなかった。
かわいい娘の人生を狂わせた元凶。結婚を翻意し、娘を心から愛する素振りもなく、義務で同居しているような俺を面白く思わないのは、親としてむしろ当然の感情だろう。



「・・スザナが俺を必要としなくなる日を僅かでも望んだのは、キャンディを諦めていないとか、そういう意味じゃない。・・スザナを心から愛してくれる人が現れるなら、俺なんかといるより幸せだと思ったからだ。俺に縛られることなく、・・女性としての幸せを、掴んで欲しかった」
「――テリィ・・、あなたはそれで・・よかったの?幸せだったの・・?」
「役者として、最高の評価を貰っていた。きっと神は、二種類の幸せを同時には与えないようにしているんだろうって―・・・でなきゃ、世の中つけあがる奴で溢れちまう」
テリィは、それが自然の摂理だろ、とでも言いたげに苦笑すると、キャンディを見詰めた。
「・・それに、全く希望がなかったわけじゃない」
「希望?」
「・・・――俺は・・・君に・・」
「わたしに?」
「・・いつの日か、君に――」
ためらうテリィの口から出た言葉は、キャンディの頭に浮かんでいたものとは違った。


「・・・芝居を観てもらいたかった」


一流の役者に全く似つかわしくない言葉―・・いや、一番役者らしい言葉なのかもしれない。
今まで何百万人もの観客を魅了してきたであろうテリィの、あまりにもささやかな希望――
初めて聞いたことではないのに、キャンディの瞳は熱くなった。
「変装してでも、、観に行けばよかった・・。スザナに見つからないように偽名でファンレターを送って、ハムレットを観たって・・、すごくすてきだったって・・伝えればよかった・・」
「君はそんな事できないさ。・・偶然すれ違うことも避けられたと知った時、全て分かった。だけど、俺はやっぱり伝えたくて、・・君のおかげで今の俺がいるんだと。共に生きる未来が叶わなくても、君は俺にこうして役者として生きる未来をくれた。・・記憶に残る最後の君は、みぞれのような涙を流していた。・・だから、笑って欲しかった。一瞬目が合うだけで十分。役者と観客として・・いつか――」
「・・・テリュース・グレアムともあろう者が・・いつからそんなに謙虚になったのよ・・、」
キャンディの憎まれ口が、これほど弱々しかったことはない。
「少なくとも、幕が上がっている間だけは、君は俺を見てくれる。何時間も独占できる。俺の奴隷になった君を、舞台の上からちらっと確認する。――どうだ、謙虚だろ?」
テリィの憎まれ口が、これほど愛しいと思ったことはない。
「・・・自意識過剰ね、私が・・、奴隷になるわけないじゃない・・っ」



『私が戯曲を・・?』
『ああ、応募してみないか?採用されれば上演してくれるそうだ。小さな劇団だけど、どうかな?』


俺はスザナの出来そうな仕事を探し出し、幾度となく声を掛けては外の世界へ連れ出した。
ナレーターや戯曲の執筆など演劇関連が多かったが、スザナも徐々にやりがいを見出していった。


『同じ舞台に立つことは叶わないけど、一緒にお芝居を作ることは、出来るかもしれないのね・・』
『決めつけるのはまだ早いよ。車いすの少女の役なら、君も舞台に立てるかも』
『あ、そうね!』
『間違えた、車いすの少女じゃなく、おばさんだよな?』
『まぁ、テリィったら!――私、あなたの物語を書きたいわ・・。いつかテリィが演じてくれたら』
『いいよ。とびっきりかっこいい男に書いてくれたらね』


その頃のスザナの顔は、俺が知るどんな時よりも輝いて見えた。
俺にとってスザナは、だんだんと家族のような、同志のような存在に変わっていった。


ある日スザナは、弁護士のパッカードから届いた手紙を俺に渡しながら言った。

『私生児って言うから、てっきり母方で育ったのかと・・しかも貴族だなんて。あなたの超然とした言動はそこから来ていたのね。――この、グランチェスターが本名なのね?こんな事も知らずに私―』
『・・その名前はもう捨てたんだ。手紙は捨ててくれ』
『でも何度もこうしてお手紙が――、こんな立派な家を出る理由なんて、いったい何が』
『過ぎたことだっ、今更関係ない』
『公爵という爵位が貴族の最高位であることぐらい、私だって知っていてよ?まして長男なら――』
『――俺は跡取りじゃない。この話はもうよそう』
『・・・私には・・何もお話ししてくださらないのね。・・――もしかして、あの人が関係あるの?』
『――あの人?』
『・・ええ・・あの人。あの人ならどう思うかしら。・・お手紙を再三破くあなたを見て、帰らないって言葉を聞いて、私のように安心するかしら・・』


スザナは名前こそ出さなかったが、俺は直ぐに分かった。
どんな気持ちの変化か知らないが、スザナが聞きたいのなら答えようと、俺は思ったまま口にした。


『・・たぶん、俺を叩いて怒鳴るだろうな。何故今すぐロンドンへ行かないのかって。殴り合いの喧嘩をしてでも、とことん話し合って来いって、俺を叱るだろう・・(緑色の瞳に涙を溜めながら―)』
『・・・・・――そう。ずいぶん乱暴な人なのね』
『逆だよ・・。家族を大切にして欲しいんだ。・・あいつには、生まれつき家族がいなかったから』
『・・・・――今は、新しい家族が出来ているといいわね。その人に』


究極の問いかけのように聞こえたスザナの言葉に、思わず声を詰まらせたのを覚えている。
 ――キャンディが他の男と結ばれ、そいつの子供を抱いている。
時はそれが現実になるほど流れたというのに、俺は考えたこともなかった。
 ――いや、考えるのを避けていた。
キャンディに幸せになって欲しいという俺の願いは、全く地に足がついていないのだと痛感した。


『・・・――愛されているさ。
・・あいつは、いつでも、・・・笑ってる―』

 

©いがらしゆみこ・水木杏子 画像お借りしました

「・・唯一想像できた事を口にした俺がどんな顔をしていたのか。・・キャンディの事となると途端に顔に出るとRSCの連中に散々言われた今となっては、考えるだけでも滑稽だよ。・・俺の答えは、スザナの期待を裏切ったんだろうな。目じりの涙を隠すように、車いすを漕いで部屋を出て行ったスザナにはハッキリと見えたのかもしれない。キャンディを忘れられない俺、・・忘れることを諦めている俺が―」

その時キャンディの瞳に溜まった涙が、テーブルの上にぽたりと落ちた。
婚約報道がでた頃のそれぞれの想い・・。
あの記事で、テリィとの思い出を封印した自分・・。
そしてテリィは、私を忘れることを諦めたと言った。
スザナは・・・そんな私たちを感じながら、必死に自分の生きる道を模索していた。
それぞれが自分の選んだ道を、懸命に生きていた。

「――翌年のイギリス公演を終えた頃、スザナの体に異変が起こった。最初は足の怪我との関連性が疑われたが、ある時全く違う命に関わる病名が告げられた」

 

『・・こんな病気になるなんて・・。手術なんていやよ、子供が産めなくなるのはっ』
『命に代わるものはない。子供が欲しいなら、いずれ養子でも』
『だけどあなたの子じゃないっ・・!いいえ、そんなこと最初から分かってたっ、私はあなたの子は産めないっ!ああ、それなら手術してちょうだいっ、、きっと彼女の呪いだわ、あなたを奪ったりしたから』
『――っ!スザナっ!言っていいことと悪いことがあるっ・・!』
『ムキになるのね、テリィ・・!・・いいわ、今から孤児院に行って探してきて!ブロンドの女の子はいや、栗色の髪で青い瞳なら誰でもいい!そして私達の子だって発表してっ、彼女に届くように!!うあああぁぁぁ』
『―・・スザナ、・・そんな理由で引き取られた子は、幸せになれない・・。――ゆっくり考えよう』


枕を濡らして号泣したスザナ。あれほど取り乱したのは初めてだった。
キャンディに対してあからさまに嫉妬したのも。死という言葉を前に正気を失ったのだろう。
度々情緒が乱れるスザナに、俺は海外公演や巡業など、長期不在になる仕事はセーブして、少しでも身体が回復できるよう八方手を尽くした。
そんな俺の姿は皮肉にも内縁の夫婦としての関係性を、世間に広く知らしめる結果になった。


 スザナ重病!?事故の後遺症か。テリュース、海外公演キャンセルし献身看護 結婚延期


発病から二年が経つとスザナは急激に衰弱していき、木の葉も寂しくなったある日、病室の窓越しにぼんやり空を眺めていたスザナは不意に言った。


『あなたは・・もうすぐ自由になるわ。・・・好きな所へ・・行って。思うまま、羽ばたいて』

『何・・?鳥かい?』

『あなたよ・・、、だけどあなたの為に言っているんじゃないっ・・!私は、私の為に言ってるのっ」

『・・・スザナ?』

『・・これは私の贖罪なの。・・そうしてくれないと、私――』


泣き崩れるスザナに、俺は何の言葉も返すことができなかった。
贖罪――・・

隠した手紙を指していると思うと、慰めることも否定する事も、スザナの罪を知っていた俺には無理だった。
そんな俺の態度で全てを悟ったのか、スザナは痩せ細った指からスルリと指輪を外し、俺に渡した。

『ありがとう・・テリュース・・』


死期を察していたのか、その会話がまともに言葉を交わした最後になった。
翌日からは昏睡状態が続き、うわごとのようなことばを繰り返すだけ。
「キャンディ、ごめんなさい」「テリィ、ゆるして」
何度も何度も・・。
マーロウ夫人には聞き取れなかったようだが、俺には分かった。
スザナは理性や自我が無くなった混濁した意識の中で懺悔を繰り返していた。
それほどの苦しみを背負っていたことに、俺はこの時ようやく気が付いた。
スザナの方が、俺より一枚も二枚も役者として上だったことも。

 

悲運のジュリエット・スザナ 

愛するロミオ・テリュースに抱かれ永眠

未入籍はテリュースへの愛


・・結局スザナは最期まで隠していた手紙のことを話すことなく旅立っていった。
スザナから返された指輪は、白い花で埋もれた棺の中に一緒に納めてもらった。
胸元の十字架を照らすように――

 

 



8-8 スザナの最期

 

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ワンポイント・アドバイス

 

スザナへの讃美歌として

※日本では『星の世界』の曲名で知られています。

 

 

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