★★★5-10
ここにも敗北を悟った人物がいた。ロミオ役を争ったジャスティンだ。
ロミオ役を射止めたのはテリュース・グレアムだった。
オーディション会場に現れたテリィは、ロミオに模して髪を切り、学生のような容姿になっていた。
斜に構えたような本来の雰囲気が完全になりを潜め、入れ替わるように前面に現れた生来の色香で、恋に一途な青年を見事に演じきる。ついこの間まで危ういほどの狂気を漂わせた人物を演じていたというのに、その演技のふり幅は圧巻としか言いようがなく、審査委員の満場一致で即日決定した。

「何だ、あいつ!この演目はトラウマだとか言って油断させておいて、ちゃっかり合格してやんの」

配役の掲示が貼りだされた劇場の出入り口付近でナイルがふて腐っている。
「・・負け犬の遠吠えにしか聞こえない。歴然たる実力差だ。認めろ、ナイル」

そう、それは潔く認める。
「ふんっ、トラウマとやらは克服したって事か?かわいい愛妻に傷を舐めてもらったか?!」
「その言い方はやめろ・・!気分が悪い」
だが、こっちの事案は認められない。ジャスティンは諦めの悪い人間だった。
「だいたい、少し興行が振るわなかっただけでトラウマだなんて大げさな!軟な野郎だぜ」
「ミセス・ターナーはそうは言ってなかった。確か残酷なほど不運が重なったって・・・残酷な不運?」
ジャスティンは首をかしげた。よくよく考えてみれば強烈な言葉だ。
しかもキャンディはそれを知っているようだった。
タイミング的には別れていてもおかしくないはずなのに―・・?
「・・なんかおかしい・・。あいつのあの時の言葉も―」


 ――俺はずっと本気だ・・!


全くと言っていいほど状況にそぐわない言葉・・。
別れ際に聞いた、慟哭のようなテリィの叫び声も、未だ耳に残っている。
あの時のキャンディも、どこか哀愁を帯びていた。
(・・勢いだけで結婚したように見えたが、傍から見るより単純じゃないのか・・?)
ジャスティンがそう思った時、
「おーい、そろそろ代表の部屋へ行く時間だ」
団員から声が掛り、集められた七人の若者たちは重い足取でRSCの代表の部屋へと向かった。

 



「今度やったら即刻解雇だ」
ジャスティンが退院し、ようやく自動車事故に関係した団員全員が出揃ったタイミングで、お偉方からお説教を喰らった。
事故の真相は巧みに操作された。事故原因は車の整備不良によるもので、運転者と搭乗者に過失はない。
巻き添えになった通行人とは示談が成立。高額の示談金を支払う代わりに他言無用との条件が付いた。
若い団員達は胸をなでおろしつつ、嘘まみれの世の中を嘲笑った。

 


「調査報告という内容で掲載されたらしい。全く出版社なんてちょろいもんだね。どれどれ・・」
ナイルは自分の楽屋で雑誌を広げた。

「あ~、結構扱いが小さいな。でもこの場合、小さい方がいいのか?ほう、テリュースも載ってる。『ハムレット千秋楽・無事代役を果たす――結婚・お相手は学友』・・ふ~ん、無難な事しか書いてない。死別の前妻のことは総スカンか。出版社は奴の味方か?」
ナイルの言った言葉が、ジャスティンの耳を捕えた。
「――そうか、記事になったなら、調べれば分かるのか!」
ミセス・ターナーが『テリュースは話題に事欠かない人物』と言っていたのを思い出したのだ。

 




その日の晩、ジャスティンは街外れのパブでとある人物と会っていた。
「役者になって得した事は?と聞かれたから、以前より女の子にモテるようになったと答えたら、なぜか “女の子にモテたくて役者になった” と記事が化けた。その記事のストレスで、俺は呼吸困難で死にそうになった。――なのになんだ、この当たり障りのない記事は!テリュースに弱みでも握られたか!?」
ジャスティンは皮肉たっぷりの口調で、手にしていた雑誌をテーブルにバンっと叩きつけた。
「ひがむなジャスティン、かえってお前の知名度が上がった。感謝して欲しいぐらいだがね。テリュース・グレアムの扱いについては上からお達しが出ているんだ。慎重に、と」
この街出身のジャスティンの旧友は、ロンドンの新聞社の編集員でもあった。
「・・もしかして劇団か?」
「どちらかというと、こちら側の勝手な忖度だよ。不確かな情報は載せないようにしている」
編集者は煙草の煙を大きく吐き出しながら、家系図のような紙をジャスティンに見せた。

エドワード、ジョージ、ヘンリー、エリザベス・・・

イギリス王室にしか見えないその家系図が、そうではないことに気付くのに、少し時間が掛かった。
「なるほどね、奴の父親は国王とはいとこ・・。公爵家への配慮という訳か。だからって前妻スザナのことが一切表に出ないのもおかしな話だ。事実なのに」
口を尖らせるジャスティンに、編集者は目をパチパチとさせた。
「お前どこからそんな話を聞いた?スザナとは婚約はしたようだが、入籍はしていない」
「えっ、そんなはずは・・ミセス・ターナーは確かに結婚式をしたと―」
すると編集者は手のひらを天井に向けた。
「貴族の長男たる者が極秘に入籍できるシステムなど我が国にはない。結婚式はどうだか知らんが、入籍してない以上、そんなのは単なるままごとだ」
アタッシュケースから厚みのある大きなファイルを取り出した編集者は、読めとばかりにジャスティンの前に突き出した。
「これがテリュース関連の記事か?・・さすが、仕事が早いな」
「ハっ、お前の代役だっていう奴がどんな人物なのか、埃の一つでも出ないかと思ってとっくに調べたさ。ニューヨークの有力紙と雑誌のスクラップだ。確かに埃はいくつも出てきたが、どれも霧のように不確かで掴めない。最新の記事は、新恋人との密会スクープ」
編集者は一番上にあるその切り抜きを指差した。


 熱愛!テリュース・グレアムに新恋人 スザナ・マーロウとの死別から1年半! 

「キャンディだ―」
「キャンディ?結婚した女か?・・なるほど、本命だからこんなに堂々としているのか。スザナとのツーショット写真など殆どなかったのに、これは撮ってくれと言わんばかり。この記事には新恋人と書かれているが、本当は元恋人で十年来の仲だって?ロンドンの名門校からアメリカへ駆け落ちしたらしいじゃないか。どんだけ熱い奴だ。当時若干、十七・八才だろ?」
「どうだか、本人達はそう言っているがそれこそ怪しい」
「・・二人は確かに在籍し、恋愛絡みの問題行動を起こした直後に相次いで学院から姿を消している。同じ学院の出身だという女性の編集者がいてね、事件を記憶していた。シスターへの取材も既に済んでいる。『当時から手を焼いていて、逃げ出すことに長けた二人だった』と語ったそうだ」
それを聞いたジャスティンはぐうの音も出ない。
「お前らの、あの救いようのない自動車事故からわずか十日、台本と好きな女だけを携えて戦闘機のごとく海を越えてくるなんて、そういう気質は何年たっても変わらないと見える。代役を全うしてアメリカに戻るのかと思ったが、そのまま残留、RSCと本契約したって?看板俳優の座を奪われないように気を付けろよ」
編集者は激励のつもりで言ったが、悲しいかなジャスティンは反論できない。
「・・もう奪われたよ。次の演目、あいつがロミオに決まった」
「ほお、ロミオ!そいつは因果な巡り合わせだ。アメリカへ渡った若きロミオはジュリエットと出会い一目で恋に落ちる。昨日まであれほど恋い焦がれたロザラインのことなど忘却の彼方」
「キャンディがロザラインだっていうのか!?失礼だぞ、キャンディの方が―!」
鼻息をあげるジャスティンに、編集者は眉を寄せた。
「やけに肩入れするな、・・なんだ?彼女を知っているのか?」
「入院中の二か月間、偶然にも彼女は俺の片腕・・いや両足だったんだ。・・看護婦なんだよ」
「ほお~、それは奇遇だな。ぜひとも取材をさせてもらいたい、写真はないのか?」
(誰が見せるかよっ)
ジャスティンは「知るかっ」と言って顔をそむけると、編集者は二枚の写真を取り出した。
「ジュリエット役に抜擢された頃のスザナ・マーロウだ。どうだ、美人だろ?」
少女のあどけなさと大人の色気が合い混じった正統派美人―
「これがスザナ・・。研修生のオリビアに感じが似てる」
センターで分けたサラサラの長い髪、ふんわりした柔らかい雰囲気。
「へえ?それなら、その内その子に手を出すかもな。浮気現場を掴んだら、記事にしてやってもいいぞ。ついでにこっちはスザナの代役でジュリエットを演じたカレン・クライス。初期のハムレットでも共演している。違うタイプの美人だろ?一時期だが、彼女とも噂になってる」
その写真を見て、ジャスティンはギョッとした。
「うちの劇団のカレンに、、似てる。・・美人ってどこか似るんだろうか―・・え、代役って言ったか?」
「ほおおお!なら、浮気は時間の問題だな。好みのタイプはそう変わるものじゃない。選べる男がつきあう女は、みんな同じ顔ってね。さて、新妻はどっちに似てるのかな?」
ニヤニヤする編集者に、ジャスティンは鼻の孔を広げた。
「似てたまるかっ、キャンディは唯一無二だ!笑顔が最高にかわいくて、勇敢なのにどこか抜けていて、表情が豊かで、言葉がすごく温かい。一緒にいると、なんかこう~・・癒されるんだ!恋は目だけでするものじゃないって初めてわかった。テリュースだってきっと同じ想いで―」
口を極めて誉めたおすジャスティンから滲み出る明らかな恋心。

編集者の心はざわめいた。
「・・・恋は目でするものじゃない――そのセリフ、お前ロレンス司教でも狙ってるのか?いい女なのは分かったが、人妻に惚れてどうする。横恋慕の協力の為に俺を呼んだのなら」
「ち、ちがうさ!!ロミオのトラウマとやらを知りたいだけだ!次の舞台の命運が掛っている。それより代役って何だよ、スザナは途中降板したってことか?」
言い訳がましくジャスティンが言うと、編集者は急に真顔になり、くわえていた煙草の火を消した。
「・・主に束の下の方、古い切り抜きの方だ。ま、トラウマが残っても仕方がない事件だな」
「――分かったのか?」
「ああ、ガッツリ出てきた。デビュー当時からよほど注目されていたんだろう。連載のように実況中継されてるよ。内容も濃いが、足掛け十年、期間も長い」
「かいつまんで説明しろ・・!」
逸るジャスティンの言葉に、編集者はダイジェストで伝え始めた。
「稽古中の不慮の事故でジュリエット役に決まっていた恋人スザナが大けが負い降板。そのショックから初主演舞台に集中できず演技が乱れ、公演は打ち切り、その後失踪し一年ほど行方不明になる。重い後遺症が残ったスザナは女優を引退したが、そんなスザナの支えで復帰を果たし、ハムレット役が当たり二人は婚約するも、幸せもつかの間スザナは大病を患い、献身的な介護の末帰らぬ人となる。享年二十六歳」
映画のシナリオを読んでいるような展開に、ジャスティンは愕然とした。
「なるほど・・・・本当に、話題に事欠かない人物のようだな。・・しかしなんだ、奴にとってはトラウマかもしれないが、周りから見ればもはや美談だ。テリュースにエールさえ送りたくなる」
「ああ、美談だ。アメリカで最も有名なカップルだったと言っても過言ではない。誰もかれもテリュースに同情の嵐。スザナは女神と化す。こうなると正直、新しい女など世間が認めない。去年噂になったオフィーリア役の女優は、やれ売名行為だ色目を使っただのと叩かれ、途中降板しちまった。さぞ次の恋がし難かろうと思いきや、いつのまにか昔の女とよりを戻して結婚していたなんて、ファンじゃなくても狐につままれた気分だ」
全く同感だよ、と心で唱えながら、ジャスティンは記事のファイルを捲り始めた。
「・・『私生活を舞台に持ち込むテリュース。愛するスザナ・マーロウの事故が原因』・・しかし引退しなきゃいけないほどの後遺症って―」
「どうも足を患ったようだ。いくつかの写真に車いすが写っている。ほら、これとか」と言って、編集者はその記事を見せた。


 返り咲いたプリンス! テリュースの復帰を支えたスザナの愛 愛の巣へ帰宅する二人

テリィがスザナを抱き上げている。その背後に写り込んだ車いすと車―。
「ハムレットの初演の記事・・1917年10月か。随分長くこの演目に携わっていたんだな・・上手いわけだ」
ジャスティンはパラパラと記事の見出しを追い始めた。


 テリュース・グレアム&スザナ・マーロウ婚約! 貫いた愛!結婚へ 悲運の舞台事故から4年半

「・・婚約式の写真・・初演から1年半後の1919年4月。交際は極めて順調だった訳だ」
「ああ、公私ともに順風満帆。初演から三年後にはイギリス公演を実現させている」
「はんっ、入籍しなかったのなら、万時順調とは言えないさ」
「そこは、ほら、貴族だからな。親の反対にでもあったんだろ。自由恋愛が認められるほど、甘い世界じゃない」
「だったらフライングで婚約式なんてするんじゃねーよ!って言いたいね。かえって女を傷つけるだろっ。『ずっと本気だ』があだになってるってのっ」
イラッとしたように言うジャスティンの言葉に、編集者は顔をしかめた。
「・・テリュースがそう言ったのか?今でもスザナが好きだって?」
「あ・・っ?違う、間違えた、キャンディに対して言ったんだった」
「―・・・謎だな。聞き違いじゃないのか?」
「ハッキリ言ったさ!啖呵を切って俺を脅しやがった。キャンディに手を出すなって。アメリカと同様イギリスの大衆紙もデマばかりだと。役者なら嘘を見抜く目を鍛えろとも言われた。大きなお世話だ!」
「ほお~、つくづく面白い奴だな。じゃ、なんだ、この記事は全部でたらめだとでも?」
編集者は何事か推理でも始めるように、記事の束を見ながらおもむろに顎に手を当てた。
「・・テリュース・グレアムという俳優は、そもそも自分を全く語ってこなかった男だ。デビュー以来プライベートな質問は一切シャットアウト。劇団側もかん口令でも敷いたように事故の内容を詳らかにしていない。目を皿のようにして探したが、これだけ記事があるのに本人の談話や関係者の証言などは一切ない。つまりこれらの記事は、耳からの情報ではなく、目からの情報と記者の憶測で書き上げられている」
「一言も・・?しかし俺が見た限りでは、腹が立つほど開けっ広げで」
「・・みたいだな。もはや同一人物とは思えない。・・嘘を見抜く目ね」
編集者が婚約式の写真に目を凝らしていると、ジャスティンが捨て台詞のように言った。
「見る目を鍛えた方がいいのは、他ならぬキャンディだと思うねっ、男を見る目が全くないっ!」
「おっ?お前、目には自信があるんだな?それならこの写真を分析してみろ」
試すような質問に、ジャスティンは半ばムキになって婚約式の写真に目を向けた。
「イチャイチャしやがって。さすがの俺でも、お姫様抱っこはしたことがないぜ。巷でよく見る幸せ絶頂のバカップル!彼女の左手薬指、ダイヤだな。たいして大きくないから、まだ安月給の頃か」
「ハハ・・!本当にまだまだ青いな、もっと正しく読め」
自信満々の分析を茶化され、ジャスティンはおもわずイラッとした。
「なんだよ、俺は見た通りのことを正しく読んでいる―」
「――つもりか?じゃあ、聞くが、これは本当に婚約式の写真か?写真のどこに婚約式だと書いてある?」
「――えっ」
ジャスティンはギクリとした。
「もしかしたら、ただの誕生日パーティだったのかもしれないぞ。ほら、ここにロウソクが立てられたケーキが写っている。婚約式ならこんな数のロウソクはいらない」
編集者は写り込んだテーブルの上のケーキを指差した。
「・・いや、でも二人とも白い衣装だし、彼女の左手にはエンゲージリングが―」
「だが奥のおばさんも白い服を着てるぞ?本当に婚約式なら、普通は避けると思うね。そもそもこの衣装は本当に白いのか?カラー写真じゃないんだぜ?」
重箱の隅をつつくような物言いに、ジャスティンが口をへの字に曲げた時、ある事に気が付いた。
「あれ、これミセス・ターナー?・・出席者は劇団関係者なのか?」
「ほう?じゃ、単なる芝居の打ち上げパーティだったのかもな!ドレスコードが白の。ハハッ」
「思いついたことを端から言いやがって。打ち上げパーティなんてどこにも書いてないじゃないかっ!」
ジャスティンは自分の言葉にハッとした。
「そうそう、写真にはどこにも書いてないんだよ。この写真、スペシャルなシーンを捉えたように見えて、単に日常の一コマだった可能性はないか?スザナは足が不自由だったんだぜ?抱き上げるなんて、毎度じゃないのか?」
いちいち最もな意見だった。プロに矢継ぎ早に諭されると、ジャスティンは途端に自信がなくなる。
「記事を書いてる立場から言うと、鵜呑みにするのは危険だな。俺達よくやるんだ、こういう写真の切り取り方。記者はいくらでも記事をでっち上げる。穿った見方をすれば、この写真からは実は何も分からない。二人は白っぽい衣装で何かのパーティへ出た、としか―」
「・・・お前ら、クズだな」
「はは・・、そう言うなよ。そのクズに相手にされない方がよっぽど悲惨だろ?記者と有名人は常にウィンウィンの関係なのさ。こっちだって反論の余地を与えている。記事に不服があるなら抗議すればいい。それをしないのは、記事が事実と認めたか、嘘の記事にメリットがあるか、あるいは・・、後ろめたいことを秘めているか、どれかだな」
たしかにそれは一理あると思い、ジャスティンは思わず訊いた。
「テリュースが何も言わなかったのは、どれだと思う?」
「さあ?会った事もないんだ。俺には分からないね。・・ただ、他人の百の憶測より、一つの本人の言葉の方が説得力はある。無口な奴なら尚更な
。テリュースは言ったんだろ?ずっとキャンディに本気だったと」
「・・いや、そんな意味じゃ・・ない・・・のかも」
さっきまでのジャスティンの自信は、もうなくなっていた。


「次の演目、取材も兼ねて観に来るよ。お前のロレンス司教、楽しみにしているからな。ハハっ」
「誰がやるか・・!」
編集者は薄笑いを浮かべながらロンドンに戻って行った。


                                  

5-10 編集者

 


 

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