★★★5-6
髪を結んだその姿に一瞬別人かと思ったが、その声と威圧感は先日のハムレットそのもの。
「な、なんでお前がいきなり登場するんだよっ、、!」
テリィに高い位置から見下され、ジャスティンは思わずたじろいだ。
「悪いね、ここは私有地だ。・・気づかずに入ってくるネズミがたまにいるが」
「私有地?」
一瞬意味が分からなかった。
この森は公園の予定地か何かと思って深く考えたことはなかったからだ。
(・・ここが敷地だとでも?)
貴族の圧倒的な財力を目の当たりにし、思わず喉がゴクリと鳴る。
「テリィ、迎えに来てくれたの!?よくこっちだって分かったわね」
先ほどまでとは別人のようにキャンディの顔がみるみる回復していくのが、ジャスティンには分かった。
「キャンディ、乗れ」
テリィには既に何が起きているのか分かっていた。打ち上げパーティの時から薄々感じていたからだ。
(既婚者だと告知する約束はどうなっているんだ。それともこの男は承知の上か?)
テリィは奪うようにキャンディを馬上に引き上げると、入れ替わるようにセオドラから下りた。
「あ、待って、テリィ」
瞬間、キャンディはテリィの首に手を回し、引き寄せた。
「甘い匂い・・。もしかしてブルーベリーを煮てくれた?リボンに色が付いちゃってるわ。ほらっ」
テリィの髪のリボンを解き、紫色の部分を嬉しそうに見せる仕草は、
新婚ほやほやの夫婦そのもの。
「・・うっかりした」
「・・ふふっ、でも手伝ってくれたから大目に見てあげる。ジャスティン、ジャム持って行く?」
尻に敷かれている感が駄々洩れのやり取りに、テリィは軽く頭が痛くなる。
キャンディは匂いは嗅ぎ分けても、空気を読むことはできないらしい。
「悪い、・・コンロの火を消し忘れたかもしれない。見てきてくれないか。俺は彼と仕事の話がある」
「あ、それはまずいわ、先に帰るわね!じゃあね、ジャスティン」
慌ててセオドラの腹を蹴ろうとした時、テリィがその膝を抑え、
「――たぶん消したから、念のためだ。急がなくていい。・・セオドラ、キャンディを頼んだよ」
セオドラに言い聞かせるように鼻に頬ずりし、森の中へ消えて行くキャンディを見送った。


過剰なほどキャンディを案じているテリィの態度が目に余り、ジャスティンは苛立つように言った。
「心配ならお前も帰れよ。俺はお前と仕事の話なんてないね」
「――そうだな、君がしたいのは仕事の話じゃなさそうだ。・・で、キャンディがなんだって?」
乾いたようなテリィの口調が、ジャスティンの癇に障った。
「・・あと二、三年、前妻の喪に服すべきだったんじゃないのか!?」
「前妻・・?」
スザナを指しているのは分かったが、まともに話したことも無い奴から糾弾される謂れはない。
「妻はキャンディだけだ、前も後もない。・・どこの記事だ?英紙は少しはましかと思ったが、大差ないとみえる。どこもクソだなっ」
風刺するような態度が自分に向けられた気がして、ジャスティンは更にカッとなった。
「離婚しろよっ!!お前のような尻軽な男はキャンディにふさわしくない!」
「ご挨拶だな。女にモテたくて役者になった君に言われるとは、片腹痛いよ」
「そんな事を言った覚えはない!雑誌に載っていた記事を言っているのなら―」
「そうさ、なのに君は他人の記事は信じるってわけだ。君も役者なら嘘を見抜く目を少し鍛えたらどうだ?俺は何を書かれても気にしないし、君がどんな記事を信じようと勝手だが、この前のように軽はずみな言動でキャンディを巻き込むのはやめてくれ!あいつに傷一つでもつけてみろ、誰であろうと容赦はしない!!」
事情を話す気など毛頭ない。しかしこれだけは言わせてもらうとテリィは語気を強めた。
背後に炎が見えるような強い恫喝に、ジャスティンは思わず尻込みしてしまった。
「な、何ふざけたことを言いやがる!それはお前の方だろ、この浮気者っ!」
「俺はずっと本気だ・・!」
・・ギギギ・・・ガッシャーン!!
雷のような音を轟かせ、巨大な鉄の門扉は勢いよく閉められた。

 




コンロの火は消えていた。鍋の中のジャムはすでに粗熱がとれ、放置されていた。
それを確認したキャンディは、踵を返してテリィを迎えに行った。
小道を歩くテリィを見つけ、騎乗を促す。
「・・キャンディ、俺との約束覚えているか?患者に結婚していることを話せって言ったよな」
セオドラに飛び乗りながら、テリィはたまらず愚痴ると
「言っているわよ?どうして?」悪びれることなくキャンディは答えた。
「あいつ、知らなかったみたいだぜ?」
「知らなかったのは、相手がテリィだったってことよ。・・ねえ、それよりさっきの話きいた?彼は愛の言葉がポップコーンみたいにポンポン出せるんですって、俳優だから。あなた、弟子入りでもしたら?」
他人事のように笑っているキャンディに、どこまでも鈍感な奴だな、とテリィは呆れるばかりだ。
「あいつはプレイボーイだってあっちこっちで噂を聞く。担当患者だか何だか知らないが、もう退院したんだ。あいつと接触するのはよせ。劇団内で波風を立てたくない」
「・・何を勘ぐっているの?彼は優しい人よ。この街に来て、最初の友達だって言ってくれたの」
「そんなのはただの下心だ。男は女とは違うんだぜ?愛などなくても抱けるし、その為なら偽りの愛の言葉だって平気で言う。心と体が別物なんだっ」
達観したように言うテリィに、「・・テリィも・・・?」キャンディが確認するように言うと
テリィは一瞬口をつぐみ、「一般論だ」と気まずそうに顔をそむけた。
その時キャンディの中で、何か信じていたものが壊れた音がした。
「・・・記事なんて殆どねつ造だって言ってたくせに、ジャスティンのそれは信じるのね、確かめもしないで!」
「今の言動で十分に分かるっ」
ジャスティンを卑下されたからなのか、キャンディは耐えられなくなり、セオドラから跳び下りると
「・・少し森を散歩してくる・・、先に戻っててっ」
森の奥へ走って行った。
「キャンディ――!」

静かな森にこだまするテリィの声が、道を引き返していたジャスティンの耳に届いた。
「ハムレット・・!?」
それは先日の芝居の中で聞いたような、慟哭にも似た叫び声だった。

 


©いがらしゆみこ・水木杏子 画像お借りします
                                                                       

 

「・・勉強があって、起こしちゃうと悪いから、今夜は自分の部屋で寝るわ」
「分かった。おやすみ」
喧嘩をした、と言えば少し大げさになるのかも知れない。けれどこの夜は一人になりたかった。
おやすみのキスを避けるように書斎に駆け込み、その一角から一番分厚い医学書を抜き取ると、足早に二階に駆け上がる。
自分の部屋で就寝することは滅多になかった。
重なった自分達の姿が、大きな化粧台の鏡に映ってしまうからだ。
私たちは何をしているの・・?愛し合ってるの・・?・・愛し合うってこういう事・・?
ふと冷静な自分に戻る瞬間が苦手だった。

 



机に医学書を置き、偶然開いた “妊娠中の母体の変化” なる項目の字面だけを追っていた。
(・・確かに、男女では体の構造からして全然違うけど―・・)


 ――男は女とは違うんだぜ?愛などなくても抱けるし、心と体が別物なんだ。


きっと間違ってはいないのだろうが、このやりきれなさの原因は、その発言をテリィがしたからだ。
グランチェスター家で聞いた弁護士の話が頭をよぎる。


 『前科があるから申し上げているのですっ、妊娠騒ぎを起こしたことをお忘れですか!?』
 『分かってるさ!あの時はお前が俺の話を信じないからややこしくなったんだ!』


テリィはあの時、自身の潔白を主張した。
けれど、否定したのが行為そのものだったのか、妊娠に対してだったのか、ひどく曖昧な会話だった。
意外だったのは、それがスザナじゃないと分かって、ほっとした自分がいたことだ。
あの時―・・どうしてそう感じたのか。スザナと他の女性では何が違ったのだろう。
何度考えても答えが見つからない。
冷たいベッドに横になると、夜の静寂の中にいつも隣にいる人の寝顔がふと横切った。
扇状に広がる長いまつ毛を、スザナは知っていたのだろうか。
胸元にある古い傷に、スザナは気付いていたのだろうか。
寝付けないこんな夜は、つい余計なことを考えてしまう。
一瞬、化粧台の鏡に自分とは違う男女の抱き合った姿が映った。
「・・――いや・・っ」
キャンディは目をギュッと閉じ、思わず体の向きを変えた。
去年までとっくに受け止めていたことなのに、テリィの胸のぬくもりを知ってしまった今となっては、迷子のような感情がずるずると居座り続けている。
「・・これは、嫉妬――・・なの・・?」
次の演目に決まったロミオとジュリエット。
スザナと演じるはずだったその演目の向こうに、テリィは何を見ているのだろう。
傷を負ったスザナの残像なのか、酷評された舞台の呪縛なのか、それとも二人で暮らした日々なのか―
その時、ガタッとバルコニー側の窓が開く音がした。
テリィが入って来たのだと分かったが、キャンディはそのまま寝たふりをした。
テリィの腕がかすかにキャンディの体に触れた時、
「・・・愛してる――」
受け取り手のないテリィの独り言が背後から聞こえた。
キャンディの胸はズキンと鈍い音を立て、小さな罪悪感が顔を出した。
(・・ごめん・・・)
なぜ謝るのか、自分でも分からない。
「・・・テリィ―・・」
言葉も指輪もいらない。ただテリィが欲しい・・。テリィの心と体を。
「あ、ごめん・・起こしたか・・?お休みのキスを忘れ―」
「わたしを・・・、愛して。・・・何も見えなくなるぐらい―・・」
自分からテリィを求めたのは、この夜が初めてだった。

 


 

5-6 嫉妬

 

©いがらしゆみこ・水木杏子/画像お借りします

 

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