★★★5-2
今、狭い車内にバターと小麦粉の香ばしい匂いが充満している。
キャンディは忠告通り襟のついたワンピースという清楚なスタイルだ。
ロンドン郊外にあるグランチェスター家。
正式な結婚に向けての話をするためだが、テリィの心は今日の空の様に快晴とはいかない。

 



「着いたよ、ここだ」
「あら、普通の家なのね。お城かと思ってたのに」
学院ではテリィはお城に住んでいると噂が流れていた。確かアーチーもそんなことを言っていた。
「そうだな、アードレー家に比べたら普通の家だ」
「いっ、いえ、そんな意味じゃないわっ!ちょっとイメージと違っただけっ」
クスクス笑うテリィに、キャンディは立つ瀬がない。
たしかに想像していたような石造りの円柱や石壁の古城ではなかったが、到底普通の家には見えない。
「貴族はみんなお城に住んでいると思った?領地には城もいくつかあるけど、住むにはちょっとね」
イングランド貴族の中でも、一、二を争うほどの名家だと聞いたことがある。王立セントポール学院の創設に関わったというのも納得だ。
「・・宮殿、、みたいだわ・・」
「お、鋭い。元々は王室の離宮だったところを、二十六代目が移り住んで改修したんだ。十七世紀に建てられたからネズミもいるよ。すごく太ったのとか」
キャンディはごくりと息を飲んだ。アードレー家はアメリカに移り住んでまだ三代か四代だったはず。
「二十六代目・・?テリィは一体何代目になるの?」
「下手したら二十八代目かな。父さんは正真正銘のリチャード三世」
苦笑しながら説明していると、中から執事らしい白髪交じりの男性が応対に出てきた。
「これは―・・これはテリュース坊ちゃま、お久しぶりでございます!ようこそお越しくださいました」
執事は信じられない光景を目の当たりにしたとばかりに声を上げた。
女性同伴であることもそうだったが、テリィが微笑みを湛えていたことに。

 




応接室に通されると、大量の書類を抱えた顧問弁護士が直ぐに現れた。
「――さっそくネズミの登場か。・・相変わらずお前なんだなパッカード。よほど優秀なのか、この家の恥部を知るお前を外に出したくないのか」
テリィはいきなり挑戦的な口調だった。
しかしそんな挑発など意に介さないという様に、鋭い眼光の弁護士は何の挨拶もなく話し始めた。
「寺院から式を挙げたという連絡が来た時は、何のお遊びかと思いました」
「本気だからそうしたのさ」
「そうでしょうとも。確固たる信念は十分に伝わりました。田舎の教会でこっそり挙げることもできたでしょうに、わざわざ我々の息の掛かった場所を選び、律儀に遠回しに挙式の事実を伝えてきた。あなたの結婚が公になるまでのこの二ヶ月間、私に準備期間を与えて下さり感謝します―とでも言っておきますか」
「――前置きはいい。本題に入れよ」
テリィは鬱陶しそうに、弁護士から目をそらした。
「・・・外国暮らしが長かった為、 制度を知らなかった、――で通すしかないでしょう。結婚に必要な双方の書類は既に整っております。七十日のGiving notice
の期間で異議が出なければ、十月以降に諸々の婚礼の儀式、年内には入籍の運びになるはずです」※イギリスにおける古くからの結婚前の儀式。
段取りを無視するようなやり方は勘弁して欲しかったと、弁護士の尖った口元が語っている。
「異議なんかでないだろ」
「おそらく。良縁ですのでそれは回避できるものと。あなたの性格は分かっていたつもりですが、もう分別のつく歳でしょう。この先はあまり熱くならないで頂きたいものです」
過去に何度も不祥事の尻拭いをしてきた弁護士は、乾いた眼でテリィを見た。
「僕はいたって冷静だよ。良縁なんて上品な言葉じゃなく、キャンディの実家が金持ちだからとハッキリ言ったらどうだ。家柄しか見ないこの家の体質にはつくづく反吐が出るが、結局僕はこの家にとって理想的な花嫁を連れて来たわけだ。キャンディが金持ちの娘で良かった、って僕は喜べばいいのか?」
白手袋を投げつけるようなテリィの言い草に、弁護士はぐうの音も出ない。
「ちょっとテリィ、困ってらっしゃるわ。弁護士さんに食って掛かってどうするのよっ」
「そんなこと―」
「してるわよっ!いいかげん、その天邪鬼な所を直して。私たちの勝手でこの方の手間が増えているのは事実でしょっ、あなたは雇い主でもなんでもないのよ」
キャンディが一蹴りすると、テリィは押し黙った。
弁護士は驚いたように目を真ん丸にし、コホンと軽く咳払いをした後、「ご承知おきとは思いますが、法律的にはあなた方はまだ婚姻関係にございません。・・お世継ぎにつきましては・・その――」
と、言葉を濁した。
「要するに籍が入るまでは避妊しろって?大きなお世話だっ」
吐き捨てるようなテリィの言葉に、弁護士は身を乗り出した。
「テリュース様!!こう言ってはなんですが、同棲して五年、あのお嬢さんが子宮の摘出手術をした時はどれだけ安堵したことかっ!跡取り亡き後の公爵家が、どれだけ肝を冷やしていたか想像してみてください!」
――子宮の摘出!?
(スザナの病気のこと!?)
「そんなことまで嗅ぎまわっていたとは・・。紳士の国の弁護士とは思えない発言だな」
「あなたには前科があるからですっ!妊娠騒ぎを起こしたことをお忘れですか!?嫡出子でないことがどれほど争いの火種になるのか、あなた自身が一番ご存知でしょう!」
(―!!妊娠・・!?―まさかスザナがっ)
キャンディは真っ青になった。
「ああ、分かってるさ!あの時はお前が俺の話を信じないからややこしくなったんだろ!あんな女たちとキャンディを一緒にするなっ!!」
「―・・そうでしたね、あれは確かに女性側の虚偽でした。危うくお金をだまし取られるところでした。ただ、酔っぱらって暴れ、相手や店に賠償金を支払ったことがあったのも事実です。器物損害で私が何度学院に通ったか・・。あなたは時々見境が無くなる。信用しろと言われてもなかなか難しい―」
心底残念そうに弁護士は言った。
学院時代の話なのだと分かったキャンディは、大きく息を吐き出した。
テリィのそんな素行を耳にするのは初めてではない。
「――じゃあ、なんだよ。今俺たちに子供ができたらお前はまた疑うのか。本当に俺の子かとっ」
「ですから、そうならないよう気を付けて欲しいと申し上げているのです」
「俺たちはもう式を挙げた!父さんのように別れたりもしない!下種の勘繰りなど不毛だっ」
袋小路の会話に呆れはて、弁護士は諦めたように肩を落とした。
「やれやれ、この血の気の多さは遺伝ですかな。どうせ似るならお顔立ちの方を優先して欲しかった」
「おいっ・・!これ以上母さんを侮辱してみろ、この家の敷居は二度と跨がないぞっ!!」
(――顔立ち?ママの話だったの?)
キャンディは会話の流れについていけなかった。
話が過去と現在のあちらこちらに飛び火し、何の話をしていたのか、何が引っ掛かったのか分からなくなってくる。頭の中がどこかモヤモヤしていたキャンディは、早くこの話題を切り上げたくなった。
「弁護士さん、どうか心配なさらずに。口ではあんな風に言っていますが、テリィは分かっています。それに私が―・・、私があなたの言いつけをきちんと守ります」
キャンディは弁護士を慮るように微笑した。
「キャンディっ!こんな奴にへりくだる必要はないっ」
「テリィ、あなただって知っているでしょ?人生は何が起こるか分からないわ。どんなに固い絆でも、突然切れてしまう事もあるのよ。それが入籍するまでに起きないって確証がどこにあるの・・!?」
テリィはハッとした。
「・・何があっても、俺たちは、もう―」
確証はない。でも強い意志で抗う。二度と繰り返さない。テリィがそう思った時、
「本当にそう・・?今日私が妊娠して、明日あなたが死んでしまったら、その子は婚外子になるのよ?そんな事は起きないって言い切れる?突然はあっても、絶対はないわ・・!」
キャンディはアンソニーの事を言っているのだ。そう思うとテリィは途端に反論できなくなる。
「・・約束する事で周りの人たちが少しでも安心するなら、私はそっちを選ぶわ。信頼関係は一朝一夕には築けない、言葉と態度で示し続けるの。信じて欲しかったのなら、あなたは同じ信頼をこの人に返すべきだった。あなたは子供だったのよ。大人になったと言うなら、証明するべきだわ」
毅然としたキャンディの言葉にテリィは思わず瞳を落とし「・・・・分かった」と一言返した。
飼いならされた犬のようにおとなしくなったテリィを見て、弁護士は呆然とした。
「・・で、、では、私の話はこれで。次は公爵の病状について主治医からご説明がございます」
退出した弁護士は、「・・変だな?」とつぶやきながらドクターを呼びに行った。
                                    

「どうしてあんな態度をとるのよ、あの人は有能な弁護士さんのはずだわ」
「弁護士は現実だけを見て事実しか言わない。・・だから嫌いなんだ」
「現実って、、、それがあの人の仕事でしょ!弁護士が夢を語ってどうするのよっ」
キャンディは鼻の穴から大きな息を吐き出しながら、あまりに子供っぽい事を言うテリィを叱責した時、公爵の主治医という人物が部屋に入ってきた。
キャンディを見るなり退席を促すドクターに、テリィはその必要はないと突っぱねた。
「――ですが公爵様の体のことは極プライベートな事柄故、テリュース様にもまだ詳しい病状の説明をしておりませんし、このお嬢さんはまだ正式なグラン―」
「・・ボリス、相変わらず神経質だな。どうせこの後俺からキャンディに話すなら同じじゃないか」
「いいえ、いけません。物事には順序というものがございます」
「分からない奴だなっ!キャンディを追い出すなら、俺も出て行くっ!」
テリィがキャンディの手を引いて立ち上がろうとした時、「テリィっ!!」叱責するような声に驚いたのは、ドクターの方だった。
「お医者は神経質過ぎるぐらいじゃないと務まらないのよ!分かるでしょ?」
「その反動でボリスは毎晩大酒を喰らうのさ。自分の体形と肝臓の方にも少しは気を回した方がいいと思うぜっ」

瞬間、ドクターは風船のように膨らんでいる自分のお腹を触った。
テリィのふてぶてしい態度に呆れたキャンディは、ドクターの方に申し訳なさそうに顔を向けた。
「・・すみません、この人いまカッカしているし、病気には素人だから、先生のお話をどこまで正確に聞き取れるか心配です。私はずっと後ろの方にいますから、同席させてもらってもいいですか?」
控えめに言うキャンディに、ドクターは更に驚いた。
「・・素人?失礼ですが、あなたは?」
「はい、看護婦を十年ほど―・・専門は外科です」
キャンディの答えに、ドクターの顔がパっと明るくなった。
「それは心強い!公爵は生きる気力を見失っておられる。お二人の力添えで何とか救ってあげて欲しい」
ドクターはキャンディの手をきつく握ると、公爵の病状を二人に伝えた。

一通りの説明を聞き終えた時、キャンディは不意につぶやいた。
「・・お父様、もしかしたら歩けるようになるかもしれない・・」
「どうしてそう思うんだ?かれこれ七年ちかく小康状態なのに―」
その根拠を知りたいと思ったが、「病は気からって言葉、テリィも知ってるでしょ?」とのキャンディの答えにテリィは拍子抜けした。
「父さんの病気は気合で直せるものじゃないだろ、心の病じゃないんだぜ?」
「腫瘍や脊髄損傷が原因なら回復の見込みは薄いけど、脳血管の出血は部位や程度によって、回復には個人差があるのよ。血管が切れてしまったことより、お父様の気持ちが切れてしまったことが今は重要なの。・・気持ちは、信じることでつながるわ。テリィはその為にイギリスへ戻ったんでしょ?」
「RSCで芝居をする為だっ」
「あ~ほら、またその天邪鬼。素直じゃないのはお父様譲りとは言わせないわよ」
「俺は素直だっ」
「ええ、ええ、そうでしょうともっ。RSCで夢を売るために戻ってきたのよね~?」
キャンディはテリィの力んでいる頬をツンツンと触った。
若い二人の会話を小耳に挟みながらドクターが退室すると、中の様子が気になったのか廊下には執事と弁護士が残っていた。
「・・いま彼女に諭されてるよ。からかいまじりで」笑いながらドクターボリスが言うと
「私の時は叱られていた―・・論破したのは彼女の方だ」弁護士のパッカードは息をつき、
「笑っていましたよ、私が見た時は」執事のテイラーは思い返していた。
性根は変わっていない問題児を、かくも見事に操っている愛妻の存在感が際立っている。
「いったい彼女は何者だ・・?看護婦だと言っていたが、どこぞの令嬢じゃなかったのか?」
ドクターの問いに、弁護士は持っていた書類をガサガサとあさり始めた。

 


5-2 グランチェスター家の人々

 

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ワンポイントアドバイス

 

執事のテイラー

エイリアン通りの執事バトラーがモデルです。

 

弁護士のパッカード

ニールの父がモデルです

 

ドクターボリス

熊です。

 

 

 

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