★★★4-12
「じゃ、公演頑張ってね。微熱のせいで普段よりアルコールが回りやすかったのね。お酒は抜けたと思うけど、喉に痛みを感じるようならこれを飲んで。たばこは絶対ダメよ!もし熱が上がってくるようなら緑の瓶の方を飲んで。本当は飲んでほしくないけど、明日は休演日だから大目に見るわ」
ジェイの店の前で、母親のようにお小言を言いながらキャンディは車を下りた。
「待て、キャンディ。君の方こそ熱は大丈夫なのか?・・その―・・昨夜俺と、接触・・したのなら―」
言い籠るテリィに「私なら大丈夫よ、早めに対処したから!」
キャンディは大きく手を振りながらジェイのお店の中に入って行った。

助手席に残された二つの小瓶を見て、テリィは苦笑した。
「親切の押し売りは健在だな。確かにあのスープは効果絶大だ、アルコールがすっかり抜けた」
フェンダーミラーに映るキャンディにお礼を言いながら、テリィは昨夜の事を思い出していた。
夜の公演が終わり帰路につこうとした時、RSCの最高責任者であるミスター・ミラーに呼び止められたのだ。

 



「君に来てもらって本当に助かった。感謝するよ」
一通りの社交辞令を述べた後、ひと際広いその部屋でその人物は切り出した。
「・・何日か前に王宮筋から問い合わせがあってね。君の公演はいつまでかと。他にもこの数日、王侯貴族を名乗る筋から数件問い合わせが入っている。不思議に思って履歴を見させてもらったよ。本契約をする前に、このグランチェスターの名前について、説明がほしいのだが―」
書類を指差しながらミスターは言った。
「十年以上殆どコンタクトをしていませんが、生家は王家の遠縁にあたります。不都合でも・・?」
「いや、不都合という事はない。ただ遠いとも思えんな。公表のタイミングはこちらに預からせてくれ。君にしたって、コネクションで主役の座を射止めたと噂が立っては、本望ではなかろう」
「・・コネがきく世界とは思えませんが、・・お任せしますよ」
そっちから代役を依頼しておいてコネもクソもないだろうと、テリィは少し面白くなかった。
「それからもう一つ、君の女性関係の事だが、この女性は・・亡くなったという妻の名前かね?」
尚もミスターは書類に目を落としながらきいた。
「・・僕の事がどう伝わっているのか知りませんが、僕に“亡くなった妻”などいません。キャンディスとは、こちらに来たタイミングで結婚を―」
「ああ、そうなのかね。それはおめでとう」
ミスターはおめでたいという雰囲気を全くまとわずに言ったきり、しばらく顎に手をあて沈黙した。
「何か問題でも・・?」
「前任者・・、前期を担当したジャスティンだがね、独身で君とは同年代だ。女性に人気があって、ファンクラブっていうのかね?そんな集団がいるそうだ。チケットを大量に買ってくれる。おかげで彼の降板が決まった途端、後期のチケットが全く売れなくなって、かなり肝を冷やしたよ」
薄々話に聞いていたテリィは特に反応しなかった。
「二匹目のどじょうを狙っているわけじゃないんだが、君のアメリカでの人気も相当なものだと聞いている。結婚のことが公になったら、今後それがどう影響するのか気になってね」
ここまで聞いてテリィはピンときた。
「――伏せろ、とでも言いたいのですか?」
「そうは言っていない。しかし、君には最終日まで演じてもらわんとな。RSCの主役を担う人間として、軽はずみな行動は謹んで貰いたい」
「軽はずみ・・?」
(結婚が軽はずみだとでも言いたいのか、こっちの気も知らないで・・!)
「そんな覚えは一切ありませんが。・・僕にどうしろと言いたいのです」
「公表のタイミングを慎重にしたいと言っているだけだ。こっちで成功したいんだろ?人気を盤石なものにするまでは―」
「人気?僕はそんなものの為に芝居をしているわけではありません。芝居に必要なのは人気ではなく演技力です。僕にパートナーがいることが興行に影響を及ぼすとは思えません。妻の事をわざわざ公表するつもりもありませんが、隠すつもりもありません―!」
テリィが語気を強めて言うと、その気迫に押されたのかミスターの口元はひくひくと動いた。
「・・確かに、君にはずっと女性の影があったようだし、人気にはさして影響がないのかもしれんな」
皮肉交じりの言葉に、テリィは思わずこぶしを握りしめた。
「話が済んだのでしたら失礼します・・!」
テリィは一礼して退出し、すぐさま屋上へ向かった。



その夜も劇場の周辺には観劇を終えた客たちが、余韻を味わうようにあちらこちらに残っていた。
特に劇場の裏口付近は、花束を抱えた女性で一層ごった返している。
「まったく、いつまでこんな方法で帰らなくちゃいけないんだ。あいつに偉そうなことは言えないな」
テリィは屋外の非常階段で二階付近まで下りてくると、地上にいる客にばれないよう隣の樫の木の太い幹にヒョイッと跳び移り、いくつかの木を中継して駐車場まで下りて来た。
エンジンをかけようとした時、女性同士の言い争う声が聞こえ、通り過ぎるのを待つことにした。

「あ~、ブロードウェーの時の方が良かったわ、同じ話なのになんでこんなに違うのかしら!テリュース、アメリカにはもう戻ってこないのかしら、代役だもの、戻るわよね」
「ジャスティンの方が素敵だったわ。あなた、ジャスティンの芝居を観た事が無いから、そんなことが言えるのよ!RSCの演出に文句を言うのは筋違いだわ」
「あなたこそ、ブロードウェーのハムレットを観た方がいいわ!演出が凝っていて面白いのよっ」
「私は役者を見に来てるのっ!ジャスティンが復帰したらさっさとテリュースには帰ってもらうわ!」
二人の女性は喧嘩を始めそうな剣幕で立ち去った。
一部始終を聞いてしまったテリィは面白くない。
「ちょくしょう、どいつもこいつも勝手なことを・・!そんなに頻繁に行ったり来たりできるかっ!」
テリィはむしゃくしゃが納まらず、車を発進させジェイの店に向かった。


「――ジェイ、スコッチくれる?」
閉店間際、不機嫌そうな顔でやってきたテリィにジェイはお酒のボトルを渡した。
「家にたくさんワインとブランデーがあったはずだけど、もう全部飲んじゃったの?」
「全てキャンディの管理下だ。休演日前夜しか自由に飲ませないって。信用されてないんだ、俺」
「休演日は明後日だろ?今日買って怒られない?」
「明日は帰りが遅くて。う~ん、見つかったら没収されるかな。・・どこに隠そう」
「フフ・・、よっぽど酒癖が悪いみたいだね」
「昔はね。男と見ると喧嘩を売り、女と見ると夜通し口説く」
「あ~、兄貴もプレイボーイだったのかぁ。やっぱかっこいい男はみんなそうなのかな」
「それは心外だなぁ、酒の席で口説くのはアルコールによる一種の本能の解放、不可抗力さ。アルコールに関係なく本能を制御できない見境ない奴らをプレイボーイって言うんだよ。覚えておけ坊や」
それが真理なのか、単なる独善なのか。十五才のジェイには今一つピンとこない。
「ふ~ん。プレイボーイって言えば、あの病院にジャスティン・グレイスが入院してるって知ってる?」
「―・・ハムレットの前任者のことか?初耳だ。凄い人気があるんだってな」
「凄いよ!ファンの女の子が集団で病院に押しかけるのを何回も見たよ。女の子にモテたいから役者になったって、何かの記事に書いてあった」
「へえ?そんな奴もいるのか。大勢にモテたところで、しょせん一人しか愛せないのに。残りを断るのが面倒じゃないのかね」
その言葉にジェイは思わずピューと口笛を吹いた。
「兄貴は最初からキャンディに決めてたんだ?皆はその一人が決まらないから、モテたいんだよ」
ジェイが冷やかすように言うと、テリィは顔を赤らめた。
「決めたわけじゃない、気付いたらいたんだよ。大人をからかうな」
酒のボトルを手に店を出ようとした時、ジェイはテリィを呼び止めた。
「あ!兄貴、ついでにこの鍋をキャンディに返しておいて」
「・・・鍋?」
「この前、差し入れしてくれたんだ。うっかり作り過ぎちゃったからって十人分のシチューを!どうしてそんなうっかりができるんだか。兄貴の言うとおり本格的なおっちょこちょいだね!」
楽しそうに笑うジェイとは正反対に、テリィの顔は急速に陰った。
「・・違うジェイ・・。気付いたらいたんじゃない、俺が強引に連れて来ちまったんだ。あいつの暮らしを全部無視して。・・なのに、一方で俺は―!」
八つ当たりでもするように、テリィは手に持っていたボトルのキャップを開けて、一口飲んでしまった。
「あ、兄貴っ、車だよね!?運転する時は飲まない方がいいって教習所で習ったよ!」
「一口ぐらい平気さ―」
「ダメだよ、また事故で主役が交代したらRSCは今度こそ大変な事になる!」
「なら歩いて帰る・・。ちきしょう、俺は何て不甲斐ないんだ・・!既婚者だと告知しろとあいつに迫っておきながら、そのくせ俺はキャンディを隠すのか!?」
そう言いながら、更にガブガブと飲み始めた。
「ど、どうしたんだよっ、車、こんな所に放置されても困るよ!それに兄貴は立派だよ、堂々と代役を務めているじゃないか!」
「・・お前、免許はもうとれたか?ならお前が運転しろ。・・代役なんか断ったってよかったんだ、あいつらのせいで、キャンディに全部とばっちりが回ったって言うのに、・・お礼の一つでも言ったらどうだ・・!結婚の何がいけないっ」
「飲み過ぎだって兄貴・・!原液で飲んじゃダメだ!」
「キャンディは・・家族二十人分のパンと食事を作ってたんだ・・家族を置いて・・頭の切り替えができないほど訳の分からない状況で・・、あんな小さなトランク一つで。・・シチューだって、次の日にはポタージュスープと・・シェパーズパイに・・・化けた。どっちのパイもすごく・・・すごく―」
「・・どっちのパイ?一つしか出て来てないよ・・――兄貴?」
次第に支離滅裂になってきたテリィの話に焦りを感じたジェイは、「兄貴、帰るよっ!」とテリィからボトルを奪い、森の奥の邸宅へ車を走らせた。



「昨夜はありがとうジェイ。これ、今夜食べて」
キャンディは店内のカウンターに鍋を置いた。
「――その包帯どうしたの?・・やっぱりあの後喧嘩になった?」
キャンディの首の包帯に気付いたジェイは顔をゆがめた。
「え!?・・あ、そっ、そう・・なの!ちょっとやっちゃって。た、大した喧嘩じゃないわ・・ハハっ」
キャンディは顔を赤らめながらコホンと咳払いをする。
「飲むと喧嘩になるとか、女の子を夜通し口説くのは昔のことだって言ってたのに、直ってないじゃないか。酔っ払いに付き合うのも大変だね」
「――え・・?」
(夜通し口説く・・?テリィが―?)
これは自分のことじゃない、とキャンディは直感で分かった。
私と出会う前の事だろうか、それとも別れたあとの事だろうか。
どちらにしても、テリィはもう二十八才。過去の経験など、今更気にしても仕方がない。
自分にそう言い聞かせつつ、ガックリと肩が落ちていく身体はあまりに正直だった。
「あ~、キャンディさ、大変だったのは分かるけど、寝癖ぐらい直しなよ」
ジェイの一言で、キャンディの顔は火を噴いた。
「・・え、えっ、やだ・・どこ??」
キャンディは慌てて髪を手櫛で解く。
ジェイはクスクス笑いながら、「スープのお礼に」と、店から商品の赤いヘアピンを持ち出し、キャンディのはねた前髪にパチンととめた。
「あら、かわいい!はめるとハートの形になるわ」
ガラス戸に映った自分を見て、カラ元気を装うようにはしゃいでいると、不意にジェイは言った。
「・・・ねえ、キャンディには家族が二十人いるってホント?昨日、兄貴がこぼしてた」
キャンディは目をぱちくりさせた後、にっこり笑った。
「確かに二十人で暮らしていたわ。私、孤児院で育ったの。十七人の子供たちと二人の先生とは、血がつながってないけど、大切な家族よ」
あまりに意表を突く答えに、ジェイの口はポカンと開いたままになった。
「――だから僕にもきかないの?なぜ母さんがいないのか。そんな話は聞き飽きたから・・?」
「そんなんじゃないわよ。そういうのって大概親の事情だもの。子供にはどうしょうもないことよ」
「・・そんな風に言われたのは初めてだ・・。キャンディは本当にビックリ箱だね。あんなにクールな兄貴が、キャンディには形無しなのも分かる気がする・・」
「まあ、子供が知ったようなこと言っちゃって」
「分かるさ。いくらモテたところで、好きなのはキャンディだけだから、モテても面倒だって言ってたもん。昨日だってこの鍋を出した途端、兄貴は急変したんだから」
「鍋・・?何の関係が?」
「分からないけど、鍋を見たら急にしかめ面で飲み始めちゃって。時間にすると僅かだったけど、一気に酔いが回った感じだった。結婚の事で劇団と何か揉めたみたいに見えたな」
「劇団と揉めた・・?」
キャンディは首に掛ったテリィのリングネックレスをキュッと握りしめた。
  

 


 4-12  揉め事  

 

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ワンポイントアドバイス

 

シェパーズパイ

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シチューからのぉ~ ポタージュスープ&シェパーズパイ

に挑戦した方がいらっしゃいます。 (❁´◡`❁)

 

・・・決して、真似しないでくださいガーン

 

 

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