★★★4-8
「誰だ?朝っぱらから、しかも劇場の正面で」
劇場の警備担当者は呆れている。
「見ない顔ね。いいわね~、若い人は情熱的で―」
駐車場の掃除をしていたおばさんは羨ましそうに息をつく。
「ちょっ、ちょっと、、今のテリュースさんじゃなかったですか??恋人、ですかね?!」
玄関前を塞がれ、中に入れなかった研修生のオリビアが、戸惑いながら隣のミセス・ターナーに尋ねる。
「―さぁ?私に聞いても知らんがね。本人に聞いておくれ」
ミセス・ターナーはどこか投げやりだ。
「テリュースじゃないか。・・へえ、今は公演しか頭にないのかと思ったが、大した余裕だ。やるなぁ」
劇場の二階、稽古部屋の窓から見ていたリーチ・ジョンズ監督は素直な感想を述べる。
監督の隣にいたオフィーリア役のカレンは、ショックのあまり金魚のように口をパクパクさせている。
「・・え、、え・・?なに、今の!?―女・・?もう??」
窓ガラスにへばりついて見ていた他の団員達も一様に同じ反応をする中で、研修生のクリオネスだけは冷静に分析をしていた。
「前妻さんの事はさほど気を遣う事もないんでしょうか。恋愛には前向きな姿勢とお見受けしました。あの女性、馬を連れていますから地元の牧場の娘さんですかね?」 
その言葉が気に障ったのか、ナイルが揶揄するように言った。
「こっちに来てわずか二日で地元の女に手を出すとは、とんだ優等生だぜ!紳士は金髪がお好きってね、まったくどいつもこいつもっ」
「どいつもこいつもって、他に誰がいるのよっ」
どう見ても金髪ではないカレンが噛みつくと、ナイルはニンマリと笑った。
「ジャスティンさ。あいつ骨折で入院したっていうのに、金髪の白衣の天使に骨抜きにされてる。笑えないジョークだ」

 


劇場の入口付近で繰り広げられた熱いラブシーンは、殆どの人があらゆる角度から目撃していた。
――にもかかわらず、当の本人は涼しい顔で稽古場に現れ、大詰めの通し稽古に集中している。
ハムレットが乗り移っているような他を気軽には寄せ付けない威圧的なオーラに阻まれ、団員は誰一人としてテリィを冷やかすことが出来ず、『馬をつれた牧場の娘』は誰なのかさえ、裏付けがとれずにいた。

「アルフレッド、お前が訊いて来いっ!奴とは旧知の仲だったなっ」
稽古場の隅で、ナイルがアルフレッドの肘をつついた。
「・・奴って誰?皆、朝から何をひそひそ話してるんだい?」
遅刻ギリギリで出勤したのんきなアルフレッドにはよく分からない。
ナイルは説明するのも面倒に感じ矛先を変えた。
「そこの研修生、お前見てたよな、訊いてこい!」
先輩かぜを吹かされては、研修生のクリオネスなどひとたまりもなかった。
言われるまま、休憩に入ろうとしているテリィに及び腰で近づき、タオルと飲み物を忍ばせながら、ハムレットの顔色を伺った。
「・・グレアム・・先輩、宜しければ・・どうぞ」
「ありがとう。・・もう汗だく。―若いね。君、研修生?」
 ――ああ、近くでも見ると何という男の色気・・・
クリオネスはこの時初めて、色気という言葉は女性に限った言葉ではないと知った。
「は、はいっ!僕はクリオネス・A・ローウェンスタイン。クリオとお呼び下さい。宜しければ、その衣装をお預かりします」
脱ごうとしていた上掛けの衣装をさっとハンガーに掛ける研修生の機転の早さに、テリィは感心した。
金髪碧眼、この少年はどことなくアンソニーに似ている。
「みんなは君をクリオネちゃん、って呼んでるみたいだけど?」
「――クリオで結構です。僕などの為に先輩の声を余計に使う必要はありません」
妙にかしこまった言い方に、テリィの顔はフッとほぐれた。
「素晴らしい衣装ですけど、重いんですね。ブロードウェーの劇団ってどこもこんな感じなんですか?」
好奇心から、クリオはつい立ち入った質問をしてしまった。
「さすがに衣装だけは間に合わなくてね。リーチ監督の機嫌を損ねてなければいいけど。初演当時はもっと地味だったんだが、衣装担当が年々熱を帯びてきてね。衣装デザイン賞を目当てに」
苦笑しながら、テリィは舞台袖の階段に腰掛けた。
「・・グレアム先輩は何度も大きな賞を獲得したと聞きました」
「過去よりこれからさ。ブロードウェーとは芝居の土壌が違うし、観客が求めるものも違うだろう。俺も研修生と大差ないってことだ。クリオって言ったっけ?俺のことはファーストネームで構わないよ」
「あ、いえ、そんなっ、とんでもありません!」
クリオが遠慮するように両手を前に開いた時、テリィは気が付いた。
白く細い小指に偉く不釣り合いなシグネットリング。この少年は貴族だと。
「グレアムはミドルネームなんだ。どっちで呼んでも大差ない」
「あ、もしかして先輩の名前はステージネームでしたか?よかったらフルネームを教えてください」
クリオは指を組みながら懇願したが
「芝居をするのにファミリーネーム・・家柄は関係ないさ」とテリィはつれなく返事をした。
一瞬きょとんとしたクリオだったが、何やら共感したのか、じわっと畏敬の念が芽生え
「そう、そうなんです!役者に家柄は関係ないですよね!?だから僕はっ!!」
思わず笑顔が爆発する。
この少年も、堅苦しい実家からの脱出組なのだろうか。テリィの好奇心が少し刺激された。
「・・君、貴族だろ?この仕事、親は反対しなかったのか?」
小指を指すテリィのしぐさで、クリオはあっという間に自分の出自がばれた事を察した。
「いえ、うちは一代限りの・・。功績を評価された父が称号を与えられただけで、僕は関係ありません。貴族と名乗るのが、かえって恥ずかしいです」
一代貴族とはいえ、その折り目正しい受け答えから、教養の高さをテリィは感じた。
「・・生まれつき備わっていた物を、さも自分の手柄のように自慢する方が恥ずかしいさ。自分で得た物にこそ価値がある。君もお父さんを見習って頑張れよ」
さりげなく発せられたテリィの言葉は、うぶな少年の胸をドキュンと射抜いた。
成功者が言うと説得力が増し、半端なくかっこいい。
「先輩とは・・持っている素材も才能も違いすぎます。どうしたら先輩のような―」
大物を前にして感じる急激な劣等感。
そんなつもりも無かったのに、人生相談のような様相を呈してきた頃、
「グォホンッ、グォホンッ!!」
本題に切り込まず、いたずらに話し込んでいるクリオにしびれを切らし、ナイルはわざと咳払いをした。
槍で突く様な背後からの催促に、クリオは与えられたミッションをようやく思い出した。
「・・と、ところで、今朝の女性は恋人さん・・ですか?」 
「あ、いや、恋人・・とはちょっと違うな。俺の―」
テリィは気恥ずかしさを感じながらも答えたが
「休憩はここまでだー!第四幕のキャストは集まってくれ―!!」
メガホンを持った監督の声と重なり、クリオにはその音が拾えなかった。
もう一度お答え願います、などと言えるわけもないクリオは、髪を結びながらその場を離れる神々しい後ろ姿を、黙って見送るしかなかった。

「・・・で、クリオネっ、何て答えた、テリュースは」
遠目に様子をうかがっていた団員達が、やきもきしながらクリオに近づいてきた。
「――どうしたらもっと演技が上達するか、ですか?それとも―」
「今朝の女は誰か、の方だ!」
「・・あっ、え~と、恋人とはちょっと違うそうです」
聞いた通りに答えた。
「恋人じゃない!?」
皆一斉に声を上げる。
「じゃ、私達にまだチャンスがあるってことかしら・・?ね、オリビア?」
眉間にしわを寄せながら言うカレンに
「私達って、とんでもありません!・・あんな大人の男性、私なんかとても―!!」
オリビアは全力で遠慮する。朝の光景は未成年のオリビアには少し刺激が強すぎたようだ。
オリビアの言葉を聞いて、何かを思いついたナイルは豪快に言い放った。
「あー、そういう事か!つまり金髪牧場姉ちゃんとはいわゆる『大人の関係』って奴だ。ハハ、高校を卒業したばかりのオリビアちゃんとクリオネちゃんにはまだ少し早いな。それとも学校で習ったか?!」 
研修生の二人は顔を真っ赤にしてうつむいていると、大人の女性のカレンが言った。
「いやね、その表現やめてよナイル。発散は誰にだって必要よ?妻に先立たれ、こっちへ来たばかりで知り合いもいないなら、誰かが癒してさしあげないと」
カレンは男心が分かるらしい。
「だからってお前が癒すのは遠慮してくれよ、公演が終わってからだ!」
「昨日ミセス・ターナーにも釘を刺されたわ。私ってそんなに信用ないのかしらっ」
高笑いするナイルに、カレンはフンっと顎を上げた。

 


4-8 牧場の娘は誰?                                                                                                                           次へ左矢印

 

 

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