★★★3-14 

 

キッチンには、先刻ジェイが届けてくれた食材がにぎやかに並んでいた。 

「すぐ作るわね。待ってて」 

キャンディは慣れた手つきでエプロンをつけ、髪をリボンで結い上げて夕食の準備に取り掛かる。 

エプロンはジェイが結婚祝いにとプレゼントしてくれた、と言えば聞こえがいいが、お店に陳列してあった品をジェイが横領したと言った方が近いだろう。 

鼻歌を歌いながら野菜を切り始めたキャンディの肩に、背後からテリィが顔を乗せた。 

「何を作るの?」 

キャンディはハッとした。 

(この体勢・・、あの時の・・) 

別れた時、ヤコブ病院で後ろから抱きしめられた、あの時の記憶。 

首筋に伝ったテリィの冷たい涙―・・ 

心がズキンっと軋んだキャンディは思わず振り向いた。 

「ふ、、ふつうの家庭料理よ!アメリカの味だから、あなたの口にあ・・うか―」 

お互いの唇が一瞬触れた。 

(・・・あっ) 

相反する記憶と現実に混乱する。 

「おや?結婚したとたん、ずいぶん積極的だね」 

「ち、ちがうわっ、ア、アイリッシュシチューを作るの!子供たちが食べやすい様にミルクを入れて煮込んで、ヨークシャープディングと一緒に出すのがキャンディ風なの」 

「ふぅん~、ヨークシャーとアイリッシュがアメリカの家庭料理ねぇ・・」 

言いながらクスクス笑っている。 

「あ、言われてみればそうね。シカゴにいた頃に覚えたのかしら?」 

何気ないキャンディの言葉の意味を、テリィは瞬時に拾った。 

(俺に作ろうと思って覚えたのか・・?) 

テリィはたまらず後ろからキャンディを抱きしめ、ピンク色の頬にキスをした。 

「家庭料理か・・、いいね。初めて聞く響き」 

「・・初めてって、それなら今まで何を食べていたのよ」 

「寮母さんやシェフの作った料理しか記憶にないな。あれは家庭料理って言うのかな?」 

キャンディの胸はズキッと痛んだ。 

(・・テリィ、あなた・・―) 

――ご実家の継母は作ってくれなかったの?マーロウ家では・・? 

キャンディは料理の手を止め、テリィの方に向き直った。 

「ニューヨークの家でご馳走してくれたスープ、あれは家庭の味がしたわよ?」 

「ああ、俺一人で作っても家庭料理なのか、ハハ!傑作」 

「キャンディスさまは家庭料理のプロなの、食堂のおばさんになれる資格も持ってるんだから!これからは問答無用で私が作ったものを一緒に食べてもらうわ!」 

「いいよ、食べるよ。・・君も一緒に―」 

テリィは自分の言葉に従うように、キャンディに口づけをした。 

 

「・・・ん・・っ・・ちょっと、――待って、テリィっ!」 

終らないテリィの口づけに、キャンディは思わず遮った。 

心なしか体が調理台の方に押されている。 

「料理の邪魔をしてるの?これじゃ作業が進まないわ。暇なら切るの手伝ってよ、そこの玉ねぎっ」 

照れ隠しもあったが、確かに時間が押していた。 

「・・・玉ねぎ?」 

テリィはパッとキャンディから離れた。 

(立っている者は親でも使う主義か―) 

相変わらずムードのないキャンディ。 

「悪いが玉ねぎで泣いている暇はなくてね」 

テリィは逃げる様にカウチへ戻ると、先刻ジェイから受け取った大きな封筒をかざし中身を取り出した。 

「あー?本契約の書類・・じゃなく代役契約の条項?それだけで、なんでこんなにあるんだよ・・」 

とたん、頭を抱えだす。 

「・・どうしたの?泣いている暇はないって、今言ってなかった?」 

半べそでうなだれるテリィをよそに、キャンディはトントンと軽快なリズムで野菜を刻んでいく。 

「今、猛烈にジョルジュが恋しいよ。優秀な秘書がいてアルバートさんはいいよな」 

手にしている書類をぱらぱらと捲り、思わず愚痴をこぼす。 

「ああ、ジョルジュ?確かに彼は優秀よ。彼のおかげで九死に一生を得た事があったもの」 

大おじ様の正体が明かされるきっかけになったニールの事件を思い出し、キャンディの口が滑った。 

「なんだよ、それ。大げさだな。どんな事件?」 

そんな話など今日はしたくない。いや、一生したくない。キャンディはごまかすことにした。 

「えーと・・昔、遠くへ奉公に行くことが決まった時、ジョルジュが私を誘拐してくれたのよ。涼し気な顔してなんでもやっちゃうの。昔はワルだったらしいから秘書兼ボディーガードなのね」 

我ながらうまくごまかせたと、キャンディはニコッとわざとらしく笑う。 

「・・ますます欲しくなってきた。アルバートさんが喧嘩が強いのはジョルジュ直伝かぁ。企業のトップは命を狙われるって言ってたけど、そんな強者が側近なら、まぁ、安心だな」 

「―・・?命?なにそれ」 

「シカゴで会った時に言ってたぜ?命を狙われるから報道規制を敷いてるって」 

「報道規制?」 

心当たりがなさそうなキャンディを見て、どうやらこの件は内密のようだとテリィは思った。 

(・・キャンディに余計な心配を掛けたくないのか?) 

テリィは話を元に戻した。 

「そんなワルがどう転んだら天下のアードレー家の秘書になるんだか。いくらフランス語が達者だからって」 

「あら、ジョルジュがフランス人だってよく分かったわね」 

「フランス語のなまりがあったからね」 

「へえ、耳がいいのね。先代の総長がフランスで見初めたらしいの。ジョルジュはアルバートさんのお姉さまが好きだったんですって。未だに独身だし、アルバートさんを子供か弟みたいに思っているのね」 

「あぁ、君に似た女性ね。・・アルバートさんが弟なら、君はどう見られているんだろう・・」 

明らかにしなくてもいい邪推をしているテリィを見て、キャンディの作業の手が止まる。 

(相変わらず、やきもちやきねっ) 

「そんなことより、今日は劇団に挨拶に行かなくて本当によかったの?」 

テリィは一瞬黙りこんだ。 

「・・記事の内容を精査したくて。どうせこの時間じゃ稽古はもう終わってる。明日から合流するよ」 

「さっきジェイが届けてくれた新聞のこと?でたらめな事でも書いてあったの?」 

「いや、特に悪いことは何も。売れ残っていたチケットが完売したって」 

急に表情が陰ったテリィが気になって、キャンディはテリィの元へ歩み寄った。 

「何!?何か隠しているでしょ、記事見せてよ!」 

「本当に悪いことは何も書かれてないさ。むしろ、叩かれているのは前任者」 

「前任者が?どんな風に・・、代役を立てるに至った理由も書いてある?」 

「いいや、メッキがはがれただの、見掛け倒しの俳優だのと薄っぺらい内容だけだ。――かわいそうに、どうせ全部でたらめだよ。リーチ・ジョンズ監督に認められた人物が、面だけであるわけがない。・・ただ、俺の起用は、実力とはちょっと違うようだ」 

「・・何?どういうこと」 

キャンディは急に不安になる。 

「話題性だよ。今まで海の向こうで競い合っていたライバル役者だったからな。少なくとも経営陣はそう判断し、それを全面にうたって後期チケットを売り出したようだ。・・つまり最後まで俺がやるって事だろう。だったら始めからそう言えってんだ!」 

「元々その覚悟で来てるじゃない、何をそんなに―」 

「諸手を上げて代役を引き受けたわけじゃない。主役を演じられる役者がお膝元にゴロゴロいたのなら、俺じゃなくても・・、一番とばっちりを受けたのは君だぜ?俺だってやり残したことがあったんだっ」 

今にも手元の書類を破りそうなテリィに、力を抜いてとばかりにキャンディはスッと手を伸ばした。 

「――だけど、後からチケット買った人は、テリィのハムレットが観たくて買ってくれたのよね?買えなかった人も大勢いるんじゃないの?」 

キャンディの一言にテリィはハッとした。 

「私は看護婦だから、苦しんでいる人がいたら、誰であろうと、どこであろうと助けたい。テリィの仕事は何?良いお芝居を見せることだわ。起用の経緯やプライドが関係ある?あなたはチケットを買ってくれた人達や経営陣とやらに、最高のハムレットを見せて喜ばせてあげて!あなたのお芝居は最高だもの」 

テリィの中で絡まっていた糸が、一瞬にしてスッとほどけた。 

「最高って・・俺のハムレット見たことないくせに」 

テリィは苦笑する。 

「見てないけど・・、でも、一番見たがっていたのは間違いなく私よ!」 

キャンディはキッチンに戻りながら、「あ~、完売したってことは今回もまた観られないのかぁ~」独り言のように漏らし、玉ねぎを剥き始めた。 

(俺だって・・一番観てもらいたいのは君なんだけどね) 

「・・確かに、君にプライドはなさそうだ。でなきゃ看護婦の仕事の一環だからと豚小屋の掃除なんかできない」 

ププッとふき出すテリィに、キャンディは玉ねぎを持った手を振り上げる。 

「言ったわね~!?衛生面に気を配るのは医療の基本よ!ナイチンゲールだって、戦地の野戦病院で真っ先にしたのは掃除だったわっ」 

「ハハ!確かにそうだ。余計な事は考えないことにするよ。初日まであとわずか。集中しないと間に合わないからな」 

吹っ切ったようにそう言い「特等席を用意してあげるから」とキャンディに微笑んだ。 

その言葉を聞き、キャンディは急にドキドキし始めた。 

「・・なんだか緊張してきたわ。公演中に、、もし私の料理であなたがお腹を壊したりしたら」 

「そんなことを思うのは最初だけさ、すぐ慣れる。さ、料理、料理。俺も手伝うよ」 

テリィは袖を捲りながら立ち上がった。 

「あら、手伝ってくれるの?それなら髪を結んでね、ほら、私のリボン」 

はしゃぐようにテリィの髪をリボンで束ねていると、 

「・・ところでキャンディ、君は何人分のシチューを作っているんだい?」 

大きな鍋に泳いでいる野菜の量を見て、テリィが質問する。 

「そんなの二十人分に決まっているじゃない」 

即答して、ハッとした。慣れって怖いと思った瞬間だった。 

 

 

3-14 アイリッシュシチュー   

 

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ワンポイントアドバイス

 

アイリッシュシチュー

少し牛乳を入れるのがキャンディ風だそうです♡

(※当小説の中の設定です)

ラム肉のポトフ、という感じでしょうか。

 

ヨークシャープディング

プリンではありません。

 

 

生ビール

 

ジョルジュの恋バナは旧小説555頁に載っています。

 

「ジョルジュはね、キャンディ、ローズマリーを愛していたんだな、きっと…。

いや、絶対そうだ」

しかし、ファイナルではカットされています。

 

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