★★★3-12


 

門がある場所から、常緑性の広葉樹に囲まれた道を車で移動する。
童話に出てくる魔女の家かお菓子の家でも現れそうな雰囲気。
「・・本当にこの先に家があるの?」
「あるよ、マリーアントワネットの隠れ里、ハムレットって感じかな」
ブルーベルの鮮やかなブルーの花が、木の根元を埋めるように一面に咲き誇っている。
五月祭の頃学院の森にも咲いていた花。レイクウッドの草原にも咲き乱れていた―
「・・・初めて来た感じがしないわ・・」
「ブルーベルの花言葉、知ってるか?」
さも知っていると言うようなテリィの口調に、キャンディの期待が花と散ったのは早かった。
「調べて教えてくれ。たしか暖炉の上に、園芸の本があったと思う」
テリィと園芸。あまりのミスマッチに、キャンディは思わずプッと吹き出した。
「それ、テリィの本じゃないでしょ?」
「グランチェスター公爵の忘れ物だよ」
「・・公爵・・?―まさかここ・・」
「ああ、グランチェスター公爵の隠れ家さ」
奥に進むにつれ鬱蒼とした木々は姿を消し、自然と調和したような田舎風の景観に変わった。
門からどのくらいの距離があっただろう。緑と空に溶け込むように、その家はひっそりと建っていた。
テリィが隠れ家と言ったように、素朴さを演出しているようにさえ感じる二階建の家だ。
「・・なんとなく、ニューヨークの家に似ている気がするわ・・」
見上げるキャンディに、テリィはわずかに口元を上げ「さあ、シンデレラ。どうぞ中へ―」と案内する。
屋敷に一歩足を踏み入れた途端、「え?」思わず声がでて、キャンディの足が止まった。
「・・どうして?どうなっているの―・・」 
自分がどこにいるのか分からなくなりそうだ。
この家はニューヨークの家にそっくりだったのだ。

 


一続きのリビングとダイニング、同じ空間にあるキッチン、外のテラスへ続く大きな窓。
家の造りだけではなく、マホガニー材で統一された家具、ピアノや暖炉の位置、テーブルやソファの配置までも酷似していた。唯一違ったのは独立した大きな書斎だ。
別邸とはいえ、代々続いた公爵家の書斎らしく、本棚には歴史を感じさせる革張りの書籍が天井高くまでぎっしり収められている。主にイギリス、フランスの文学書のようだが、一角にはシェークスピア戯曲全集が何十巻もずらりと並び、圧巻としか言いようがない。
「・・この一面全てシェークスピアね。全部同じに見えるは気のせいかしら?」
「発行年度が違うんだ。各時代の公爵のコレクションとでも言えばいいのかな。取り壊す予定のスコットランドの別荘や他の別荘に散らばっていた蔵書を、戦火を避ける為にわざわざ移したみたいだ。中には博物館レベルの古い全集もあるぜ」
「・・・はぁ~・・・―」
思わずため息が漏れる。シェークスピアの町に来たのだと、肌で感じた瞬間だった。
「・・だけど、どうしてこの家はニューヨークの家とこんなに似ているのかしら?」
「この家の方が古いから、母さんの方が真似をした事になるな」
確かにニューヨーク家よりは古い感じがしたが、整頓された室内は特に痛んでいるようには見えない。
キャンディはふと思った。
「・・・ねえ、お母様はもしかしたらまだお父様を・・?」
「さぁね。一つ言えるのは、父さんのことが嫌いになって別れたんじゃないってことかな。でなきゃ、あんな家は建てたりしないだろう」
「・・たしかに・・そうね」
キャンディはチクリと胸が痛んだ。
かつての自分たちがそうであったように、想い想われたまま別れたとしたら悲しすぎる。
もう一つキャンディには聞きたいことがあった。今なら質問しても大丈夫だろうか。
「・・この家に住むことをお父様は知っているの?今はお父様とも上手くいっているってこと?」
一瞬テリィの動きが止まった。
髪をかき上げながら天井を見上げ、重たそうに口を開く。
「・・この家も土地も俺のものらしい。許可なんかいらないさ。父さんとは学院を出てから一回会ったきりだ。最初のイギリス公演の時、会場で偶然見かけて数分立ち話をしただけで。・・だけど結婚のこともあるし、一段落したら挨拶に行かないとな・・・」
憂いを帯びたテリィの顔で、父親との間にはまだ壁が存在しているのは分かったが、昔のような嫌悪感は持っていない様に見えた。
「お父様の事、・・まだ嫌い?」
キャンディは恐る恐るきいてみる。
「・・―あの時は俺も子供だった。父さんを理解できずに自分の理想を押しつけていた」


 ――俺は父さんのような愛し方はしない 愛する人を自分の手で幸せにしたいんだ・・!

子供まで授かった女性を捨て、家同士が決めた相手と愛のない結婚した父親。
家の為にと子作りに励み、次々に生まれてくる異母弟妹たち・・―
「今は、もう理解できるって事?」
「・・ああ、分かる―」
愛する人を手放し、別の女性と生きることを選択したかつての自分。
世の中には、どうしようもない事も有るのだと痛感した。
結局自分も父親と同じ轍を踏んでいると気付いた時、初めて父親の気持ちが分かった気がした。
「・・それならよかったわ」
テリィは多くを語らなかったが、その穏やかな口調から父親へのわだかまりが解けているように感じた。
移籍との関連性は分からないが、ここに住んでいれば公爵と会う機会もいずれ訪れるだろう。
その時自分は出来るだけの事をしよう、とキャンディは思った。

「キャンディ、こっちにこいよ」
テリィがテラスから呼んでいる。
ニューヨークの家の広いテラスからは海が見えた。この家のテラスからはいったい何が見えるのだろう。

 


「わぁ、広い川!・・まるで湖みたい」
「エイボン川だよ。少し上流の対岸に移籍先の劇団があるんだ。ここからは角度が悪くて見えないけど、敷地の端からならシェークスピア・メモリアル劇場のシンボルであるレンガ色の展望塔が見えるよ」 
「この川の対岸にあるの?」
川の流れは穏やかで、ほとんど止まっているかのようだ。
ステアの白鳥のボートが浮いていないか、思わず探しそうになる。
アメリカの大自然の透明な急流に見慣れていたキャンディの眼には、この川がとても新鮮に映った。
テラスの横に植わっている樹齢のありそうなナラの太い枝が、川に掛っている。
真っ直ぐ空に向かって伸びている故郷のナラの木とはだいぶ形が違うが、二階の屋根をゆうに越えている大木は、まるでこの家の守り神のようだ。
「この木なら、あなたが昼寝しても川に落ちるだけね。ニューヨークの家のくすの木よりは安心だわ」
キャンディは軽い気持ちで言ったのだが
「バカなこと言うな!水温は低いし、流れが速い時もあるんだ。結構深いから侮っちゃいけない。勝手に泳いだりするなよ!」
テリィは本気で否定する。
(・・自分だってスコットランドの湖を泳いでいたじゃない・・)
テリィのお説教などどこ吹く風のキャンディは、はぐらかすように声を上げた。
「・・あら?あんな所にかわいいお花が」
「ああ、ラッパ水仙か。今頃咲くとは、ずいぶんとのんきな奴だな」
木の影になっている川岸に、数本の黄色い水仙が取り残されたように咲いている。
季節が過ぎたのだろう。辺りには同じ植物の葉がだらしなく垂れ、花びらが所々に落ちていた。
キャンディは学院の草原に寝ころんで水仙の香りを楽しんでいたテリィを思い出した。
「・・テリィは昔から水仙が好きだったわね」
「イギリス人にとって、長い冬の終わりを告げる春の象徴のような花だ。町中いたるところに植わってる。・・あの黄色い水仙は、父さんと俺が植えたらしい。昔のことで覚えてないが、冬に来た時ジェイの爺さんが教えてくれた」
「テリィとお父様が?」
予想外の言葉に、キャンディの興味が増した。
「ああ、俺が五、六歳の頃、最後に二人で訪れた時だったそうだ」
「どうしてわざわざ最後に?」
「その時は最後になるなんて思ってなかったのかもな。もっとも、父さんはその後も何度か一人で訪れていたらしいけど」
「ちょっと見てくる。テリィは来ないでっ、モーニングを汚したら怒るわよ」
ウエディングドレスを着ている自覚があるのかないのか、キャンディは無造作に川岸へ下りていった。
「・・フっ、減らず口が・・。ま、いいか。既に泥だらけだしな」
好きにさせてあげようと思い、テリィはキャンディを残して居間に戻った。

ラッパ水仙の目の覚めるような黄色が、バラの淡い色に慣れていたキャンディには新鮮だった。
「なんてかわいい花なの」
絵の具をそのまま落としたような鮮やかな黄色に、ラッパの様な愛らしい形―
ばらとは全く異質の植物に感じる。
「私たちを迎える為に、待っていてくれたのね・・」
幼いテリィが植えた花―
川辺に目をやると、水仙の緑の葉が数十メートル先まで延々と伸びていた。
「来年は群生で見られるのね。きっと黄金色の絨毯みたいになるわ。楽しみ!」
キャンディは来年の春に思いをはせた。
   

                             
 
3-12  ラッパ水仙

 

 

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