★★★1-9

 

ニューヨーク州郊外―小高い丘陵地にある高級住宅街の中腹。
夜半過ぎ、木立に囲まれた一軒家に静かに車が滑り込んだ。
「・・――無いか・・」
お目当てのものがポストに入ってないことを確認すると深いため息が漏れる。
公演の後で疲れてはいたが、疲れの原因はそれだけではなかった。
・・手紙を投函してから十日以上経つ。
目的地はここから千キロ以上も離れた村。到着にどれほどの時間を要するのか―
そもそも本人の元に届くかどうかも定かではない。
届いていたところで、返事などくれないかもしれない。
「・・まるで判決を待つ囚人だな」
かすかに笑う。
頬に触る深夜の空気が刺すように冷たい。
白樺の木々の隙間から輪郭のやけにはっきりとした下弦の月が覗いている。
両手で月を仰ぎながら大げさにつぶやく。
「君の愛を失ったら、死んだも同じ。ひと思いに殺してくれ・・!」
言った直後肩の力が抜け、ストンと腕が落ちる。
「何のセリフだったかな・・」
苦笑しながら、家の中へ消えていった。



©水木杏子・いがらしゆみこ 画像お借りします


この家の家主は実母エレノア・ベーカーだった。
生粋のアメリカ人であるエレノアは、映画やミュージカルといったエンターテインメント分野に積極的に活躍の場を広げていた。
独身で通っている美人女優。

公にできない間柄だから、というわけではないが、アメリカに来てから会ったのは、五本の指でも余る程度だ。
長く同居していたマーロウ家の人にも、事実を知らせることはなかった。
そんなものだから、一年半前のスザナの葬儀の席で、黒いベールの帽子を深く被ったエレノアを見つけた時は、さすがに目を疑った。
葬儀にはスザナが生前に取り組んでいた仕事の関係で、スポンサー企業の関係者、映画監督や俳優も顔を揃えていたが、スザナとエレノアが同じプロジェクトに参加した事はない。
とはいえ、この不自然な状況に気付くのはストラスフォード劇団のロバート先生ぐらいだ。
エレノアはそのオーラを隠すように出来るだけ地味に振る舞っていたが、モデル仕込みの完璧な体型は隠しようがなく、本人の意思とは裏腹に誰よりも目立っていた。
スザナの事実婚の相手、伴侶としてのテリュースに弔慰を述べる参列者も後を絶たず、なかなか接触できずにいると、すれ違いざまエレノアが素早く封筒を渡してきた。
目を合わせずにそれを受け取ったテリュースは、無駄のない動作で内ポケットにしまう。
後ろ目でそれを確認したエレノアは、何事もなかったように会場を後にした。
一流の役者同士が見せた暗黙の短いコンタクトに気が付いた人間がいたとしたら、その者は今すぐ連邦警察の捜査官になれるだろう。
一人になったタイミングで開封すると、中には手紙と一緒に鍵が同封されていた。

 

へんぴな所にあるけれど、車好きなあなたなら毎日快適なドライブが出来ると思うわ。

落ち着くまでここを使いなさい。 ニューヨーク州・・・28番地
 
危険を冒してでも葬儀の場に足を運び、気にかけてくれた母親。
「・・何も言っていないのにさすがだな。助かるよ・・」
スザナが亡くなり、マーロウ家に縁がなくなったテリュースは、速やかに荷物をまとめて出て行こうと決めていた。借りっぱなしの昔のアパートに戻ろうかとも思ったが、記者連中が金魚の糞のように付け回しているこの状況では、アパート周辺の住民にとって迷惑この上ないだろう。
ほとぼりが冷めるまでホテルに身を寄せようと考えていたが、追撃がいつまで続くとも限らない。ホテル側の負担を考えると何軒も転々とすることになるのか――

考えるだけで頭が痛かった。
母親のこの誘いを断る理由など有るはずもない。

 



 

新しくも古くもない二階建てのその家は築二十年ぐらいだろうか。
元々あった山の木々を活かし、宅地は最小限に抑えられ、避暑地の別荘のような佇まいだった。
客をもてなすというより、単にくつろぐ為といった感じの造りで、一階は一続きの広いリビングにキッチンとダイニングルーム。そしておまけ程度の書斎が別に備わっていた。二階には寝室が三部屋あるだけだ。
家主が訪れなくなった家にしては手入れが行き届き、マホガニー材で統一された細工の美しい家具は、どこか懐かしささえ感じられた。
大きな暖炉はスコットランドの別荘にあったものとよく似ていた。
母のピアノの腕はおぼろげだったが、置かれているスタインウェイのグランドピアノが似合うほどではなかった気がした。
リビングの大きなガラス窓を隔てた向こう側には、中の空間と一体になった開放的なテラスがあった。
遠くに見えるニューヨーク港ののどかな風景は一枚の絵画のようで、日々の疲れを癒すのに役立ちそうだ。
テリュースがこの家を気に入ったのは言うまでもない。
だがしかし、確かにへんぴな場所にあった。
ブロードウェーを拠点にし、セントラルパークに程近い場所に立派な本宅を構える女優にとって、マンハッタン区外というだけで不合理極まりないのだろう。この別宅はもはや無用の長物のようだった。
大きなコンソールには数々のトロフィーや盾が残されたままで、そこに刻まれた年号はどれも十年以上前だったので、どうやらその頃には今の本宅への引っ越しが完了したようだ。
十年前といえば母親とスコットランドで再会し、自分がアメリカへ来た時期と重なる。
それに気付いたテリュースは一瞬ある考えが浮かんだが「まさかな」と、直ぐに却下した。



1-9 ニューヨークの家

 

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ワンポイントアドバイス

 

スタインウェイのピアノ

1854年NYで設立された「STEINWEY&SONS」は最高級のグランドピアノを製造する会社。

日本で言えば、YAMAHA、KAWAI と言っている感じです。

 

テリィの居住地

あるフォロワーさんによると、ウエストチェスターが怪しい、との事です(笑)

有力な情報をお待ちしています。

 

 

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