以前の私は勘違いされたり嫌われたりすることを恐れていました。誰かにそうされる度にとても悲しくなって、ただ傷ついてやるせない気分に陥って。だけど、今は思うのです。それでも別にいいし、構わないなぁって。

 

私自身、人を誤解してしまうことがあります。がっかりしてしまったり、裏切られたと感じたり。でも、それって全て、一人で勝手にドラマチックに物語を繰り広げていただけだって、ある時ふと気づいたのです。英語のスラングで、「ドラマクイーン(※)」というものがあるのですが、まさにそれをやっていただけだと知ったのです。

 

(※)自分がドラマのヒロインであるかのように、大袈裟で同情を誘うような、感情的な振る舞いをする女性を指して、批判的に用いられる語。時に男性に対しても用いられると言う。(Weblio辞書より)

 

結局、全てが自分自身の反映であるのだと心に深く落ちました。そして同時に、誰もが誰かを好きになったり嫌いになるのは自然なことで自由だし、それは時期によっても変化するのだし、全く問題などないのだと思えました。

 

だから私も、現在の私が好きになれない人がいてもいい。ただ以前と違うのは、その人が悪い訳ではないとわかっているところ。相手はそのままでいい。きっと、その姿がその時点での最善だから。事実は、私がその人の何かに反応している、単にそれだけのこと。そして、そう感じるからこそ、私を避ける人がいても理解できるし、嫌われたとしても、「わかる、私も嫌いだもん♪」と軽い気持ちで思うのです。(もちろん、好きな自分もちゃんといます♪)

 

色々と目にしてきて今、心から思うのは、全部が自由だということ。全部がそのままで良いのだということ。様々な色があるからこそ、違いがあるからこそ、この場所をより楽しめる。日々を過ごしていくうちに、自分が少しずつ軽くなっていることを実感できていて、それって何だか生きていく醍醐味だなと感じて笑ってしまいます。過去と似たようなことが起きても、その時とは異なる反応や対応に変化している自分がホントに面白くて。これも「地球の遊び方」のうちの一つなんだろうなって、感じています。