私は自分自身がとても欲張りなのだとある時に気がつきました。そして、それを満たしてもらえるような状況を選んで生まれてきたし、今もその欲を叶えられるよう、意識的にも無意識的にも自ら選択して進んでいることを自覚しています。

 

私は自分のことを好きだし善人だと思っています。同時に、嫌いだし嫌な人間だとも思います。自分を好きでいようというメッセージが広く伝わっている中、こんな風に自分のダメさ加減に時々がっかりしてしまう私はまだまだなんだなと思っていました。天狗になってしまうのが怖いからだろうか?とも考えたり。けれど、私の中ではこれが正解なのだとさっきわかったのです。これで良いのだと。

 

私は全部を知りたかったのです。物事の両面、裏と表を。それが、この文の最初に書いた私の「欲」なのです。どこでも何でも見てみたいし経験してみたいのは、そうやって深く世界を知りたかったからで、それは実は人に対しても同じことだったのです。私自身に関しても同様なのです。好きも嫌いも両方ある、それこそが真実なのです。

 

(人と比較してはいけないと言う人もいますが、その言葉を表面上だけで受け取ってしまうと勘違いしてしまう恐れがあります。そう、それは確かに本当のことです。人と比べる必要はありません。自分には自分だけにしか出せない色というものがあり、それはそれぞれに素晴らしくて誰が一番というものではないのです。けれども、それと同時に、他の人や周りの物事は自分の立ち位置を教えてくれる大切な指針だったりもするのです。)

 

もし、私が嫉妬をしない性格だったなら、そういう人達に哀れみを感じていたかも知れません。もし、私が仏様のように何に対しても怒りが湧かない性格だったなら、怒る人達を嫌悪していたかも知れません。もし、私が自分を守りたいという気持ちがなかったら、自分勝手に見える人達を排除していたかも知れません。もし、私が・・・・。

 

自分の好きになれないところ、それは私のために存在していたのです。他の人の好きではないところは私の中にもある、だから理解できる。許せるというか、そうだよねって、そういうこともあるよねって同じ目線で見ることができる。私が聖人君子じゃなくて良かったって、今日、初めて思えました。