昨日の記事で、こんなことを書きました。

 

『しっかりアク抜きして宇宙エネルギーを流せるようになると、自分の心にも敏感になるかと思います。なにがエゴで、なにが本来の自分(魂)が喜ぶことなのか、わかってくるかと思います。』

 

スピリチュアルを学び、経験して「意識的に」魂の成長をしている人というのは、このあたりでたいていものすごいバトルを体験するかと思います。試練ともいえる出来事を乗り越え、宇宙エネルギーをしっかり感じ取れるようになることで、あからさまに自分のエゴ、いやなところを見せつけられるわけです。

 

というか、今までもあったエゴですが、それが本来の自分だと勘違いしていたか、大して気にも留めていなかったのでしょう。ここに来て、「本来の自分」に触れることで、その対比としてのエゴが浮き出てきて、大いに失望したり、腹を立てたり、ネガティブな感情に襲われるのですね。

 

本来の自分は「虹色の愛」を体現したがっている。

エゴの自分は「地球の波動」で生きたがっている。

 

その狭間は、モヤモヤ~なんてものじゃなくて、もう大バトル劇場と化すわけです。

 

エゴが顔を出すたびに、ああ、ダメだと落ち込んだり。まだまだ成長が足りないと自分を叱咤したり。下手すると、古いやり方を持ち出して、自己否定し始めたりもします。そして、さらなる苦行が始まるわけです。

 

エゴと本来の自分。肉体と魂。小我と大我。呼び方はいろいろできますが、覚えておきたいのは、どっちがよくて悪い、ということではないし、いちいち対比することでもない、ということです。

 

これらの二つは正反対のふたつではないのですね。エゴは本来の自分の中にあるもの。肉体も魂の中にあるもの。小我は大我に包まれているわけです。つまりは、同じもの。

 

前にも書きましたが、エゴは肉体をもって生きるには必要な欲望なり行動なので、捨て去る必要はないのです。ただ、スピリチュアルを学ぶと、エゴが極端に悪いもの、汚いものに見えてくる時期があるものです。そう見えるのならば、採用しなければいいのですね。消す必要も、否定する必要もなく、ただそこにあるなあと認める。そしてペットのように飼いならすのです。

 

「私はこっち」という言葉、前にも紹介しましたが、バトルが始まりそうになったらば、「私はこっち」と、魂の悦びを選ぶのです。かといって、選ばれなかったエゴは否定されるわけではありません。ペットだから(笑)、飼い主が「こっち」といえば、ちゃんとおとなしくついてくるはずです。

 

地球に足をつけて、しかもスピリチュアルに生きる、というのは時には「無理だ~!」といいたくなるくらい難しいのかもしれないけれど、自分軸をしっかり持って、自分がどことつながっていたいのか? ということを常に心においておけば、あとは宇宙におまかせでいいのだと思います。

 

ちなみに、バトル劇場は、演じてるほうは苦しくて辛くて悲劇そのものなんですが、観客であるガイドさんたちには、どたばたコメディにしか見えてないみたいですよ(ファシーカ談)

 

なのでバトルが始まってしまったらば……

またガイドさんたちを喜ばせてしまったなあと。ガイドさんの娯楽に友情出演しちゃったとでも思ってれば、気もらくになりますね♪

 

With Love xoxoxo

May

 

 

ソウルバディ三部作です♪