中日ドラゴンズや日本ハムファイターズで選手として活躍して名球会入りし、日本ハムファイターズでは監督も務めた大島康徳氏がついに逝去されました。
まずは合掌の一言です。
個人的には、大島氏には監督最終試合後の思い出があります。
2002年10月14日に、大島氏は神戸で行われたオリックス・ブルーウェーブ戦でファイターズ監督としての務めを終えました。
その試合、私も見に行っていました。
試合終了後、三宮で一人焼き肉をしていたら、大島監督をはじめとするファイターズの首脳陣が入ってきました。
自分が入ったお店にさっきまで試合に参加していた人たちが入ってきたのには驚きでした。
そして、当時は東京に住んでいたので、ファイターズファンの知り合いにもサインが欲しいと思いました。
そこで、思い切って、お店のパンフレットを3部もらい、筆箱に入っていたサインペンを出して皆様にサインをお願いしました。
皆様、快くサインしてくださりました。
ありがとうございました。
2部はファイターズファンの知り合いに1部ずつ渡し、自分も1部だけ保管していました。
そのサイン集がこちらです。
大島監督のサイン、パンフレットの「舌鼓」の文字にかかっているところに書いて下さ太ったものかなと思います。
私もお酒が入っていたので、その時誰がいたかは詳しくは覚えてませんでしたが、新谷博コーチがいたのは覚えています。
もう一つの思い出は、2017年のことです。
この年の2月に、ステージ4の大腸がんにかかっていることを公表しました。
そうしたところ、その年の7月1日に、上田利治氏が逝去したのです。
上田氏は、大島氏にファイターズの監督をバトンタッチした立場です。
上田氏の訃報を知った時、大島氏には何とかして2017年中は生き抜いてほしいと思いました。
同じ年に同じチームの監督を務めた人が連続して亡くなるなんてことはあってほしくないという思いでした。
大島氏は、2017年を生き抜きました。
それからは、一日でも長く生き延びてほしいという気持ちを抱いていました。
そうして3年間生き抜いてきましたが、春先からはブログでもいろんな治療のことが書かれていましたし、写真で見た顔つきもやつれていた感じがしました。
そして、ついに大島氏は息を引き取りました。
今まで長い間闘病生活をしてきたのだから、向こうではゆっくりいろんな人と話をしてほしいです。
野球関係なら、近藤貞雄さんが筆頭ですかね。
ドラゴンズ、ファイターズで選手生活をしていた時にどちらも監督でしたし。
家族なら、飼っていた犬の祭(まつり)君でしょうか。
ともあれ、ゆっくりお休みください。






