涼華さんと一緒に生活していますが、僕は現在も『独身』です。
独身を貫くつもりはないのですが、現実的にいえば経済的な面の問題もあり、結婚はまだしていません。
ただし「何らかのタイミングがあるからこそ」と信じています。

ちなみに実際の経験からお伝えしますが、占い師はあまり儲からないので止めた方がいいです。
どれぐらい儲からないかといいますと、占い師の人に『金運』について占ってもらいたいほどです。

わんぱくでもいい。
たくましく育って欲しい。
丸大ボンレスハム。

なぜ丸大食品なんだよ。

しかしながら、基本的に毎日24時間一緒にいるような状態です。

そのため共働きの結婚生活よりも、よほど結婚生活をしている気がします。
まるで監禁生活です。

監禁と言うな。

そんな感じで、今回は「神との結婚について」のお話です。

特別な条件などは一切なく、誰でも神様と結婚できます。
大切なことは『愛(神)』を信頼して、愛から離れないことだけです。

また、神との結婚に関しては、すでに『人間のパートナー』と結婚していても大丈夫ですからご安心ください。

ちなみに日本人には馴染みの少ない『キリスト教』を参考にしていますが、とても興味深い表現方法に感じます。
ただし、僕はキリスト教の信者ではありませんので、「キリスト教は何となくこんなことを伝えているのだろう」という僕なりの解釈です。

そのため熱心なキリスト教の信者の人からは「あなたは間違っている」と指摘されるかもしれませんが、そもそも「僕はキリスト教を重視しているわけではない」ということをご理解いただければと思います。
また、キリスト教でも『宗派』によって「表現方法や解釈の違いがある」と思いますので、キリスト教の信者だとしても「全く違う信仰をしている場合もある」はずです。

ですから僕の発言に関しては「わけのわからない人が自分勝手に戯言を言っている」程度に思っていただければと思います。
そしてあいかわらずくだらない戯言ですが、お伝えしている『概念』をひとつの参考知識として吸収されておくと、いつの日か役に立つこともあるのではないかと思います。

さて、神との結婚についてですが「神様と人間が結ばれて結婚し、一体になる」という流れが基本になります。

ただし神様は『肉体』を持っていません。
そのため人間の肉体の中に『内在』するような状態となります。

神様(内側) + 人間の肉体(外側) = 神の人(一体の状態)

【日本風の表現】

神様(御神体) + 人間(社) = 神の宮(神社) 

【キリスト教風の表現】

神様(聖霊) + 人間(聖杯・器) = 教会

ちなみに人間社会の結婚の考え方と違うのは、『男性』と『女性』などの『肉体の性別』は関係ありません。
全ての人間は『花嫁(奥様)』の立場ということです。
そして神様が『花婿(主人)』ということです。

『神様』は、花婿となる男性の立場であり主人
『人間』は、花嫁となる女性の立場であり奥様

ちなみに『アダムとイヴ』などの『創世記』の話を考察すると、様々なことが理解しやすくなると思いますが、長くなるので今回は控えておきます。

神様と人間が結婚することで『夫婦関係』になるわけですが、神様が人間の『ご主人様』の役目となります。
ですから神様が『主(主人)』となり、人間は『主の従者(奥様)』という状態です。

神様(主体) + 人間(従者) = 神の意思を持った人間

「人間は神様に対して従順な花嫁のような状態であるべき」ということを伝えているだけですが、『意味』の解釈を間違うと、人間社会では『男尊女卑』などの危険な思想になるので注意が必要だと思います。

実際に一部の宗教では、間違った解釈をしていることが『原因』で、男性が絶対的な優位となり女性は発言権も許されないなど、女性の立場が凄く弱くされている場合があるようです。

ちなみに人間社会の夫婦関係では「妻は亭主に大人しく従っておけばいい」などの『亭主関白』を好む人もいるかもしれません。
亭主関白とは『亭主(夫)』が夫婦間の支配者として絶大な権力を持って家庭内で威張っている状態です。
ただし、それは「亭主となった男性が人間だからこそ発生する問題」です。

『神様』は人間のように威張ったりしませんし、『強制』もしてきません。
そもそも神様は『主張』もしてきません。

ですから『花嫁となった人間側』が、自分の意思で「主人(神様)を大切にする」という思いを持ち、神様のことを尊重して『夫婦生活』を育むことが大切です。
それが「人間は神様に対して従順な花嫁のような状態であるべき」という意味となります。

そして『神様と人間の夫婦生活』とは「地球上で神様と人間の共同作業」になります。

神様 + 人間 = 協力して地球上で活動する

『肉体を持たない花婿(神様)』のために『肉体を持った花嫁(人間)』が、神様の意思(愛)に従い、地球上で『働く』もしくは『活動する』というパートナー関係です。
それは「地球上で肉体を持っている人間だからこそできること」であり、肉体が死んでからはできないことです。

そして神様との共同作業の場合は、主人となる神様が『裏方(精神)』となり、奥様となる人間が『表(地球上)』で活動することになります。

そのため『天界(精神世界)』と『地上(物質世界・現象界)』の繋がりとなるのが『人間の存在』ともいえます。
表現を変えれば『天国』と『地上』を支える『柱』となるのが人間です。
また、想像したものを地球上で現象化できる『創造主』の力を持っているのも人間です。

そして天国を地上に創造し、『地上天国』として神様の元に集まる人たちの国が完成されることが理想の姿だと思います。

それは『愛(神)』を主体にすることで、「愛を大切にする人が自然と繋がっていきます」ので、無理やり人を集める必要はありません。
『自分がいる場所』で、愛を大切にして『自分ができること』を自由に表現すれば、自然と愛が拡がっていきます。
ちなみに地上天国は『神の国』『千年王国』『エデンの園』、『愛の王国』などと呼ばれるかもしれません。

天界 ← 柱(人間)→ 地上


精神(想像・意思) → 創造主(人間) → 物質(現象化)


天国 → 神の人(人間) → 地上天国(神の国)


愛(主体) → 愛(人間) → 愛が地上に拡がっていく
 
妄想や、現実味がない話に思うかもしれませんが『イエス・キリスト』様は、この『概念』を実現させようとしていた存在です。

ただし、当時の民衆が求めていたのは『強力な力』や、『奇跡を起こす力』によって世界を変えてくれる『ユダヤ人の王』の登場であり、「神の愛を説く存在など全く求めていなかった」わけです。
また、イエス様が神の愛を必死に伝えようとしても、『使徒』も民衆も「一体何の話なのかを全く理解できなかった」と思われます。
そしてイエス様は最後まで『父なる神』に従った結果、世界中で信仰されることになった『キリスト教』が誕生しています。

ちなみにキリスト教の基盤は『ユダヤ教』であり、ユダヤ教では「地上にメシア的王国と呼ばれる王国を樹立する時が訪れる」という預言を信じられています。
だからこそイエス様が登場した時は「メシア(救世主)が来臨した」と騒がれたようですが、残念ながらイエス様は『メシア的王国(地上天国)』を樹立するまでは至りませんでした。
ですから預言はまだ成就されておらず、「いつか必ずその時が訪れる」と現在も待ち続けられている状態です。

「なぜいつまでもその時が来ないのか?」といいますと、人間自身が『創造主の力』を持っていることを忘れ、多くの人が『愛(神)』から離れたままだからです。

そして愛から離れた人間たちは、自分たちが住む場所となる地球上の自然を破壊し続け、人間同士の争いが絶えない状態になっており、『自滅』が激化しています。
そのスピードは加速しているため、人間は『破滅への道』を突き進んでいるわけです。
だからこそ完全に手遅れになる前に、少しでも多くの人が『流れ』を変えるために、愛をとりもどし、創造主の力に目覚め、動き出すべきです。

話を戻しますが、人間の男女関係で起こりやすい問題は『浮気』だと思います。
人間は『肉体』と『思考(知恵)』、そして『欲望』を持っているからこそ、「心や愛よりも欲望を優先させがちになる」という性質を持っています。

たとえば「あなただけを愛しています」と言いながら、裏では『別の異性』と浮気するような人もかなり多いのではないかと思います。
『知恵』を使い「相手に浮気がバレなければ大丈夫」という状態なのかもしれません。

そして、もし結婚後であれば、異性との浮気は『不倫』という行為になります。

この問題に関しても「人間だからこそ発生する問題」です。

なぜならば「神様は浮気や不倫などは絶対にしない」からです。
ですから、「神様との夫婦関係を裏切るとすれば必ず人間側」ということになります。

浮気や不倫に関してはその人それぞれの『価値観』があると思います。
しかし『道徳的』に考えますと、パートナーとの『信頼関係』を壊すことになりますので「浮気や不倫はやめるべき」です。

ちなみに僕自身はとてもピュアなので「浮気や不倫をするなんてハレンチ極まりない人」と思っています。
ですから人生の中でちょっとしか経験したことがありません。
せいぜい先っぽ程度です。

「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」

若気の至りで傷つけてしまいごめんなさい。

ただし、現在は浮気はしませんし、あくまでも若い頃の話です。
とりあえず「浮気はやめるべき」と思いますし、結婚後は絶対にやめるべきだと思います。
また、おそらく誰でも「相手に浮気をされたくない」と思うのが普通ではないかと思います。

しかし人間は浮気や不倫をしてしまいがちな生き物です。

「私は神様のことを愛しています」と思っている人は多いと思いますが、その『思い』を最後まで貫ける人はかなり少ないかもしれません。

たとえばですが、「あなたの願いを叶えてくれる存在がいますよ」と声をかけられたら、喜んで心変わりするのが人間です。

「願いを叶えてくれる」
「欲しいものが得られる」
「大金を得られる」
「異性と出会いが増える」
「縁切り、縁結びをしてくれる」
「病気を治してくれる」
「健康にしてくれる」

このような言葉にあっさり釣られてしまうのが人間なのかもしれません。
さらに『自分の願い』を叶えてくれるのであれば、「神様だろうが悪魔だろうが何でもいい」という状態の人も多いと思います。

はっきりいっておきますが、神様は常に愛してくれていますが、「欲しい」と望んだものを与えてくれるというわけではありません。
『人間の成長』を願って様々なものを生涯与え続けてくれますが、「人間の欲望を満たしてくれるというわけではない」ということです。

たとえばですが「玩具が欲しい」と願う子供に、好きなだけ玩具を与え続けたら、それは『愛』ではなく、ただの『甘やかし』であり、子供の成長をむしろ邪魔することになるはずです。

ですから本人にとって『本当に必要』であれば『必要なタイミング』で『必要なもの』を与えていただけるかもしれませんが、欲望を何でもかんでも叶えてくれるというわけでは決してありません。

しかし人間としては「自分の欲望を満たすことの方が重要に感じてしまいがち」です。
ですから「私は神様のことを愛しています」と言いながらも、自分の願いを叶えてくれる存在が他にいれば、簡単に浮気や不倫をしてしまうのかもしれません。

わかりやすい例ですが、「金運を向上してくれる神様がいる」という噂を聞いたら、「あそこに素敵な神様がいるらしいよ」とすぐに会いにいく人はとても多いと思います。
また、「ご利益がある」という噂を聞いたら、「あそこにいけばご利益があるらしいよ」とすぐに足を運ぶ人も多いと思います。

その人それぞれの人生ですから、決して駄目な行為とはいいませんが、人間は『浮気症』なのだと思います。

僕自身も『浮気をしがちな時期』は経験していますので、ある意味「欲望を満たすことに必至になるのは人間だから仕方ない」と思います。

ただし、「神様と結婚する」と決めたら、「自分自身のことを悔い改めないといけない」と思います。
なぜならば神様の『花嫁』となるわけですし、結婚後は浮気ではなく『不倫』になってしまうからです。

ここがとても重要な点ですが、神と結婚するならば、自分の意思で「主人(神様)を大切にする」という思いを持ち、神様のことを尊重して『夫婦生活』を育むことが大切です。

ですから「結婚前は浮気がちだった」としても、結婚後は改心して『純潔』を守らなくてはいけないということです。

それは『過去の自分自身との決別』であり、肉体を持ちながら『新しい自分自身に生まれ変わる』ということです。

人間同士の結婚をした経験がある人であればわかると思いますが、『独身時代』と『結婚後の生活』は様々な点で違うと思います。
独身時代はある程度自由に活動できたかもしれませんが、結婚後はパートナーとの『共同作業』となり、『責任感』も変わるはずです。
「結婚したら不自由になる」というわけではありませんが、「独身時代ほど自由はできなくなる」のではないかと思います。
それは「パートナーという守るべき存在がいる」からです。

それと同じように、神様と結婚した場合は、人間は花嫁の立場として、花婿となる神様を『主(主人)』として立てることが大切です。
そして信頼関係を壊さないように、「様々な欲望に魅力を感じたとしても純潔を守り不倫をしない」ことが大切です。

ただし、主人となった神様は「浮気や不倫をしてはいけない」とは伝えてきません。
そして「主人に従え」などとも伝えてきません。

そのため花嫁となる人間は常に『自由』であり、自由意志で『選択』ができます。

自由だからこそ、「どのような時も私は神様を裏切らないし、離れない」という『信念』と『忍耐力』が大切です。

ちなみに人間同士の結婚においても「どのような時も愛する」「節操を守る」「一生を共にする事」などの『誓い』を立てると思います。
単なる口約束ではなく、生涯を共にする関係になるわけですから、『信頼』を壊さないためにも誓いは守るべきです。

ですから神との結婚においても誓いを守ることは『当然』のことだと思いますが、「神様よりも自分の欲望を満たすためにすぐに不倫をしてしまう」のが人間なのかもしれません。

浮気や不倫の内容に繋がることですが、キリスト教では『洗礼(バプテスマ)』という儀式があると思います。
キリスト教に入信する際の儀式です。

 

ただし「キリスト教を信仰するので洗礼をしました」というだけでは、全く意味がありません。
また、儀式だけであれば「儀式をした」だけで無意味だと思います。

「これからの人生は神に仕えます」という『生まれ変わり』のための儀式であり、『出産時の産道』を通るようなイメージだと思います。

キリスト教の人から怒られるかもしれませんが、たとえばお風呂の湯舟に頭をつけて目を閉じて「私は死んだ」と唱えます。
そして「これからは神の従者としての新しい自分に生まれ変わります」と心にしっかり決めて、湯船から頭をあげれば、天井からの『光』が生まれ変わった新しい自分を迎えてくれます。

お風呂の湯舟を利用した「産道から産まれた時の疑似体験」になりますが、洗礼と同じ意味になると思います。

つまり洗礼によって『洗礼を受ける前の自分』は一度死に、『神の従者となった新しい肉体』として復活する儀式が洗礼です。
人間は肉体を持ったままの状態で、一度死ぬこととなり、洗礼後は『神の使者』として蘇ることになるわけです。

人間 → 洗礼 → 神の従者


人間(肉体) → 洗礼(肉体の死) → 復活した人(神の肉体)

ですから洗礼をしたとしても、「自分自身は何も変わらず欲望を満たすことに必死です」というような状態であれば、『洗礼ごっこ』をしただけにすぎません。
神との結婚のように、洗礼後は『新しい命を与えられた自分』として純潔を守り、『神の従者』として活動することが大切です。

今回は神との結婚という表現で説明していますが、「そもそも神様とは何?」と思うかもしれません。
神の本質は『愛』ですから、神との結婚とは「愛を大切にすると決めたら、愛から離れず、愛に従い、自分自身が愛そのものとなって生きる」ということになります。

ちなみに「愛を大切にすればいいだけの話」と思うかもしれませんが、『様々な誘惑』が出てくる期間があるように感じます。

キリスト教などではこの期間のことを『荒野』と表現されますが、荒野とは「荒れ果てた野原」という意味です。

つまり神様との『愛の繋がり』があるだけで「他には何もない」という状態です。

十戒で有名な預言者『モーセ』も荒野を経験しています。

荒野の期間中は生きていくために『必要最低限』のものしか与えられないような状態を経験する可能性があります。
短期間か長期間なのかはわかりませんが、『自分の欲望』と向き合わされる期間なのかもしれません。

日本の場合であれば『洗心』もしくは『禊(みそぎ)』などの表現になると思います。

人間は肉体を持っていますので「美味しいものが食べたい」、「好きなだけ喉を潤したい」、「もっと裕福な状態になりたい」など『肉体側の欲望』が出てくるのは仕方ないことかもしれません。
様々な欲望は『悪魔の誘惑』などとも表現されます。

そして自分の欲望を満たすために愛から離れ、『肉体側の利益』を求めた場合、守るべき『愛の誓い』は失われ、浮気や不倫に走る可能性があるわけです。

神(愛) ← 人間の自由選択 → 悪魔(欲望)


結婚生活 ← 人間の自由選択 → 不倫


信頼 ← 人間の自由選択 → 裏切り

だからこそ『肉体側が欲する思い』よりも『神の愛』をひたすら信じて、愛から離れず、耐え抜くことが大切です。
そのためには「愛を信頼する」という強い『信念』と『忍耐』が必要になるわけです。

ですから「愛を大切にすればいいだけならば簡単」と思ったとしても実際は簡単なことではありません。
極端な話「愛に従うために私の肉体は死んだ」と思うぐらいの『覚悟』が必要かもしれません。

ただし、この解釈を間違うと「他者のために自分を犠牲にする」などの『自己犠牲』を美徳と勘違いしてしまう危険性があります。
しかし『神の愛』と共に生きるようになるだけですから、自己犠牲どころか『復活して新しい命』を与えられることになります。

 

人間は『神(愛)』に『身(肉体)を捧げる』ことで、神(愛)と『一体』となり、神の愛に包まれ、神(愛)と共に活動できるようになる。

 

この意味をしっかり理解することが大切だと思います。

なぜならば『身を捧げる』と『自己犠牲』の解釈を間違うと全く意味が違ってしまうからです。

 

ちなみに自己犠牲の場合であれば「自分を殺して、相手を生かす」という自分自身を犠牲にする考え方です。

しかし愛の本質は「自分を活かすことで、相手も活かすことができる」という『繁栄』です。
たとえば『光』で考えますと『自分の光』を輝かすことで、『相手の光』はさらに輝きが増すという『光の増幅』です。

キリスト教の信者の中には「イエス様は私たちの罪を背負ってくれたおかげで十字架に磔となって犠牲になった。だから私たちもイエス様のように自己犠牲の精神を持たないといけない」と信じている人もいるかもしれません。
それは悪魔が人間を騙そうとして用意した『仕組み』であり、間違った信仰心を植え付けるための『洗脳』です。

冷静に考えるとわかりますが、全ての人が自己犠牲の精神になった場合、「世のために罪深い私(人間)は犠牲になるべき」と信じているわけですから、人間は自滅して『全滅』です。

つまり自己犠牲の精神は『愛の本質』とは『真逆』になっていますので、少しでも早く目を覚ますべきだと思います。

そして人間が愛を守り抜いた時、主となる愛が「愛によって守り抜いてくれる」ようになります。

しかし人間が愛から離れた時、主となる愛が失われたような状態になるため、『救いの道』は閉ざされ、愛の失われた世界に進むことになります。
『世の終末の時』は刻々と近づいているような気がしますし、愛の失われた世界は人間同士の争いが絶えず、不安と恐怖に覆われた悲惨な状態だと思います。

ですからぜひ自分自身と繋がりを深め、『愛を主体』とした生き方に一日も早く生まれ変わることをオススメしたいです。


余談ですが、スピリチュアル系などでは「実は自分自身が神様だった」と気づく人も多いと思います。
とても素晴らしい気づきだと思います。

しかし「気づきだけでは足りない」と思います。

「自分自身が神様なのだから、地球上では自由に自分の願いを叶えていこう」という状態になる人が多いのですが、実は『落とし穴』があります。

「一体何の神様なのか?」という点をしっかり考えないと、『自称神様』という暴走状態になるだけです。

人間の視点で考えてみていただきたいのですが「この世で自分の欲望を叶えることだけに必死になっている」という神様がいるとします。
そして自分の欲望を叶えることだけに必死な神様が世に溢れだしたらどうなるでしょう。

様々な意見があると思いますが、少なくとも僕自身は「それは神様ではなく、ただの人間と一緒」と思います。

冷静に考えるとわかりますが、自称神様であれば、誰でもすぐになれますし『無意味』に近いです。

そして本人だけが「私は神様」と言っているだけであればいいですが、『指導者』のような立場で信者の人達に教えるわけですから、感化される人も増えていくわけです。
その結果、自分の願いを叶えることだけに必死になっていき、『愛』から離れていく人を増やす可能性があります。
なぜならば「欲望に忠実になれ」と教えているような状態だからです。

願いを叶えることは決して悪いことではありません。

また、せっかくの人生ですから『自分の個性』を輝かせることはとても素晴らしいことだと思います。
しかしそのためには『順番』が大切だと思います。

たとえばみんなが「自分の願いを叶えたい」となれば、人間社会はバラバラの状態が加速するだけです。

なぜならば自称神様だとしても「他者を認める」「他者を受け入れる」「他者の繫栄を喜ぶ」などの精神が欠けた状態であれば、他人同士で『批判』や『潰し合い』が発生すると思います。
現在の人間社会と何も変わりません。

また、他者に対する『思いやり』であり『愛』が無い状態であれば、自分の願いを叶えるためには他の人が犠牲になっても「私自身には全く問題がない」と思うようになるかもしれません。
そのような人が大勢になれば、「ただのやりたい放題」になってしまいます。

ですから『自分自身』のためにも、『他者』のためにも、『自然』のためにも、『地球』のためにも、自分自身の『根源』にしっかりと『統一意識』持つことが、順番の『一番最初』です。

その統一意識とは『愛』の一言に尽きるわけですが、愛を自分自身の根源にしっかり持つことで、世界は自然と統一されていきます。

そしてその結果、自分の願い含め、全ての人が「願いや思いを自由に叶えていける世界になっていく」と思います。

また、『大自然』と共に自然と繁栄していきます。


ですから、「自称神様たちは願いを叶えるための順番を完全に間違えている」と感じるわけです。

「私は愛を持っているから大丈夫」という人も多いかもしれません。
それは素晴らしいことですが「荒野の状態が続いても愛を守り抜くことができますか?」となりますと、おそらく欲望に負けて浮気や不倫に走る人も多いのではないかと思います。

ちなみに『亭主関白』の逆は『かかあ天下』になります。
かかあ天下とは、妻の権威、権力、威厳が夫を上回っている家庭の状態のことです。

つまり神様と人間の結婚関係でいえば、『主人となる神様(愛)』を放置して、好き放題活動しているような状態です。

そのためスピリチュアル系などで『自称神様』となっている人の多くは、かかあ天下のような状態だと思います。
むしろその危険性に全く気づいていないと感じます。

人間としての人生を必死に楽しむことはその人の自由選択です。

しかし「なるべく早めに生まれ変わらないと自称神様たちはそのうち全滅するだろう」と感じます。

そもそも自称神様の人たちは「全滅の意味がおそらく理解できない」と思いますが…。

 


今回は『神との結婚』ということで、あくまでも『ひとつの例え』として結婚という表現で説明しています。
少しでも何かの参考になればと思います。

ちなみに人間同士の浮気や不倫を責めるつもりは一切ないので、ご理解いただければと思います。
ただし、人間同士の場合はトラブルに発展したり、様々な人を巻き込む可能性が高いです。
また、現在は「隠していたものが自然と表に出やすくなっている」と感じますので、大事になる前に少しでも早く止めた方が無難だと思います。