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Coffee Break

くだらない視点の書きもの

4月1日に退院した子供と一緒に新しい生活が始まった。

”ようこそ我が家へ”。

右も左も判らない子供に

色々と話しかけながら、

自分を見つめ直す。

子供を育てるということは、

自分が子供だった時を思い出すこと。

育児マニュアルは読むつもりはない。

自分が嫌だと思うことは、

子供も嫌だろう。

シンプルに、そして無心で向き合うのみ。


東京は桜が満開。

皇居付近はとてつもない人の量。

普段とはまるで違い、毎年大変な混雑となる。

昨日や今日は花見するには気候もちょうど良いのでは?

今年は桜の見え方、感じ方が今までと違う。

はじめて桜って良いもんだと思えた。

桜はセミと一緒で謳歌する時があまりにも短いでしょう?

それが物悲しくて、人生に近いものがあるなといつも思っていた。

大挙して酒を飲みまくっているオヤジを見るとやはり残念な気持ちにはなるんだけどね。

パッと咲いて、散るから良い、という考えにようやく賛同できた感じがするね。

ずっと咲き続けてはダメなんだろう。

一瞬、がいいんだ。




もうまもなくキミは退院し、

はじめて我が家に来るね。

オレは毎晩仕事から帰るとあちこち掃除をしているよ。

何にもない家だけど、

音楽と笑いだけはある家だから、

気に入ってくれれば嬉しいよ。

さてと、ちょっと難しい話をしよう。

命はね、

あたりまえに存在するものではないんだよ。

そして、

限りあるものなんだ。

生まれてくるときも独りだけど、さようならする時も独りだ。

いつかキミとはそんな話もしてみたい。

そして今は亡きキミのお姉ちゃんと話し合って

オレ達のところに来てくれたはずだから、

そんな話もしてみたい。

笑っているキミの笑顔を見ながら、

オレは泣いている。

笑いたいのだけれど、

あまりにも世の非常を感じてしまってね。

さて、

少し前からね、

キミの歌を創っているんだ。

その曲は披露することはないだろうけれど、

オレからのメッセージなんだ。

いつかオレがこの世を去る時に残しておきたいメッセージなんだ。

キミが笑って生きることができるようにね。



2014年11月に子供を亡くし、地獄の苦しみの毎日を余儀なくされた。

この苦しみは自分の生涯の中で癒えることは無く、

そして生涯背負ってゆく十字架である。

子供の死は自分に沢山の教訓と”生きる”ということについて教えてくれた。

そして甘えや当たり前、という感覚を思考から断絶させた。

世の中で私と同じような経験をされている方々が沢山居る事を私は知っている。

これまでにそのような地獄の苦しみを味わっている方々にも沢山出会ったし、

そして色々とお話をさせてもらった。

どのケースも同じ事は一つも無く、それぞれに地獄の苦しみなのである。

それまで独学で勉強してきた間接医療である音楽療法についても真剣に向き合い、

自分が創る音楽で少しでも地獄の苦しみでもがいている人々の心の清涼に

役に立てればと思い、様々なケーススタディをしたり、また実際に病院で親御さんの話を

聞かせてもらって、その中での自分なりの旋律を考えてみたりと、子供の死を体験するまで

知りえなかった世界を自分の目の前に突き付けられて、自分の甘さや情けなさを

思い切り知らされることとなった。

”自分の奏でている音楽は軟弱だ”と。

あの日から時が嫌でも経ち、

そして今日子供が生まれた。

苦しみのさなかで奇跡が起こり、そして苦しい毎日ではあったが、

今日子供の泣き声を聞き、目の前が涙で何も見えなくなった。

そして亡き子供が私に色々語りかけていた。

”泣いている場合じゃないぞ、がんばれっ!オヤジ”と。

この数年で音楽の真の意義が理解できるようになった。

そして本当に苦しんでいる人に自分の音楽を届けたいと願っている。

私の目の前で泣いている子供に、

生きたくても生きることが出来なかった娘の事をゆっくりと話してあげたい。

そして亡くなった私の娘がキミを連れてきてくれたこと。

その娘の想いを自分が音にして聴かせてあげたいと。

キミへ、

この苦しい世界に生まれてきてくれたけど、

大きな心で人々の気持ちを受け入れてあげられるような人になって欲しい。

苦しい人の気持ちを察して、寄り添ってあげられる人になってくれれば、

それだけでいい。

私からはそれだけだ。

オレのところに来てくれて本当にありがとう。

これからどうぞよろしく。


忙しくしている毎日の中で


資格試験を受けたことすら忘れてしまっていたりして、


昨日ふと、そういえばと思ってしばらく開けていなかった郵便受けに行って


大量に届いている郵便物を調べていたところ合格通知が紛れ込んでいた。


このバタバタしている中での合格通知は一服の清涼剤だった。


お茶を飲みながら改めて今後の勉強の仕方を考えてみた。


社会人になってからの勉強は学生時代とは異なり色々と制約があったりする。


時間も思うように取れず、そして時間が取れたとしても頭がついてゆかない(笑)。


何度も同じ本を読みこんでもさっぱり記憶できなかったり。。。


それでも、より伝えたい音楽を創る為にも改めて勉強をしてゆきたいと思う。




熊本産 1個 ¥1,200のデコポンを食べた。

正直言うと、近所でケースで購入している1ケース¥1,500のデコポンの方が

美味しかった(笑)。

価格によって価値が惑わされやすいが、

結局は食する当人の味覚趣味に合うか、合わないかで評価が分かれる。

本当に美味しいか、どうかの絶対値は無いのだ。

それにしても1個¥1,200とは思い切ったものだ(笑)。


昨昼から深夜にかけてスタジオの大改造をおこなった。

予定していたモニターを取り付けるスタンドが海外から届いておらず、

完成は2~3か月先になってしまうことになりそうだが、

概ねの大改造が終了した。

大量の機材とお別れすることになり、

そして膨大な量のケーブル類ともお別れすることになった。

スタジオを作ってから大きく4回の改造を重ねてきた。

最初の頃は持前の機材類をフル稼働させ、また機材を足していった。

それからPCを中心としたシステムに変動してゆくことになるのだけれど、

PCが変わる度にシステム改変が続き、そして機材も足されていった。

東日本大震災後に大きく機材の入れ替えをした。

今回までは機材の足し算をしてきたのだが、

大きく考え方を変更したことにより今回のような断捨離改造に至った。

最大のメリットはスペースの確保が出来た事、そして機材の大幅な整理をしたことで

より自分が表現してゆきたい事がかなり明確になった。

もはや後戻りは出来ないくらい整理してしまったが、

心の整理がついたのでとても満足している。

あともう少しで大改造は終了する。

終了した際には写真でも撮って公開しても良いかな?と思っている。



今日は朝から大震災関連ニュースばかり。

毎年この時期になると特別報道番組や災害特集ばかりが目立つ。

ものすごい違和感を感じながらもニュースを観る。

どれもまだ復興に至っていない、でも被災者は頑張っている、という

何かドラマ仕立てな報道が多い。

本当か?

日本で起きたこれまでの自然災害によって多くの被災者が出ており

それは東北大震災だけではない。

日本は災害大国だということをもっと報道すべきで、

ドラマ仕立てにして”共感”を得ようとする安直な報道には甚だ疑問だ。

被災者の方々の心には大きな傷が残り、それが癒えることは一生無いと思う。

美辞麗句はむしろ被災者の心を逆なでする。

本当の支援、本当の復興に向けて

国の明確な戦略的サポートが大きく欠けている。

これは社会保障制度の非常に脆弱であることも意味する。

くだらない美辞麗句報道をするくらいなら、

国に対してNoと言える骨太な報道をおこなうジャーナリズムが無いのだろうか?

朝からニュースを観ていて不機嫌になっている自分が居て、

その理由があまりにあさはかで軽い報道が目に付くからだ。

意味と意義のある税金の使い方を被災者に対して大盤振る舞いすべきだと思うし、

一生癒える事の無い被災者の心の救済にもっと力を注ぐべきだと

改めて強く思うのだ。

形骸化した無味乾燥なジャーナリズムに嫌気がさしている。

いきなり訳の分からない表題だと思う方が多いと思うが、

"BtoC" = "Business to Consumer"の意で、企業が消費者(生活者)に対して行うビジネスを指す。

これマーケティング関連の用語なので”はあっ??”と思うだろうね。

実は日本の企業は”BtoB"、つまり"Business to Business"、つまり企業間取引きが圧倒的に

多いと言われている。商品やサービスによっては"BtoBtoC"のケースも多い。

例えばビールメーカー企業であれば顧客はというと卸売会社や小売店ということになるが、

その先にある消費者をターゲットにして商品開発や販売をしているので"BtoBtoC"の典型と

いっても良いかもしれない。

最近ではインターネットで直接メーカーから消費者に販売をしているケースも多いので、

そういう場合は"BtoC"といって良いだろう。

さて、前置きがすごく長くなったけど、今注目されているのは”CtoC"、つまり、

”消費者から消費者”のビジネスモデルだったりする。

その昔で言う”売ります、買います!”というフリーマーケット的な発想を

インターネット上で行っているビジネスモデルが伸長している。

企業を介すると、それだけ費用(経費)がかさむので販売単価がどうしても高くなる。

しかしながら消費者のニーズやウォンツを技術のある消費者が手を挙げて、

安価でサービスやモノを提供してあげるという仕組みなんだけど、

これは実に面白く、そして将来性が高いビジネスモデルではないかなと感じる。

皆さんの周囲にも隠れた技術や能力を持っている人がいるのではないか?

そういう人達の能力を発揮出来る仕組みがあるというのは今の時代ならではの

素晴らしい仕組みではないかと。

”1億総活躍社会”とスローガンだけ立派で、かつその担当大臣まで居るが、

全くもって機能しているとは思えない。

ただ、CtoCのような発想とその仕組みを考えている人達というのは、まさに

”1億総活躍社会”の実現に向けての戦略的かつ具体的な発想ではないかと感じる。

発想豊かな人達のしなやかな感性に刺激を受けている。


自分の中にある凝り固まった考え方、あるいは物の見方はなかなか直せない。

見方を変えるというのは実に難しく、そして苦痛を伴う。

年を重ねてゆくうちに自分の中で当たり前と考えていることは

若い世代にとっては全くもって当たり前ではなく、

むしろ彼らにとっては突拍子もない物の見方だったりするようだ。

またコミュニケーションをとるうえでの”共通言語”が今の時代は無かったりする事から

話が噛み合わず、こちらの期待とは反対の方向に物事が進むなんてこともある。

自分の中の既成概念はコミュニケーションを円滑に進めようとすると”命取り”になるほど

危険な概念だったりすることがある。

だからとても気を付けなければならないと思うのだ。

考え方を変えるというよりは、今の時代に合わせて微調整させる必要があるね。

少なくとも意固地になって自分の考え方を貫こうとすると単純に断絶するだけで

何も前に進まない。

妥協するのとは違って考え方を今風に変革させる、ということが必要な感じ。

この作業も苦痛を伴うね。本当に。