Coffee Break -13ページ目

Coffee Break

くだらない視点の書きもの

九州の大災害によって改めて自分達の住んでいる土地は

地震、台風等、自然災害に見舞われやすいことに改めて気づかされ、

心の余裕が無くなってしまっている人も多いのではないだろうか。

今週末から連続休暇が取れる人は身の回りの安全について準備をするには

良い機会かもしれない。間違えなく再び大きな地震は来る予想が出ている以上

他人事ではないからね。

我が家は去年のうちにだいぶ整理がついてしまっていたものの、

もう一段階整理と災害対策に力を入れることにしている。

先日もホームセンターで様々な対策用具を購入した。

食器類もだいぶ減らしたが、ガラス類はプラスチックに変更することも検討している。

味気ないと思うかもしれない。自分もそう思うが災害経験者と話をすると、

自宅の凶器はコップ類だと異口同音に言う。結局、それで自宅内を歩けず、

逃げ出せないという人が沢山いるらしい。

枕元にシューズを置いてあり、玄関には避難用具、水が置いてあるのだが、

いざというときが来なければいいなと切に願うが、残念ながら日本では厳しい。

サバイブ能力が試される訳だけれど、予期せぬ事に立ち向かう心を

トレーニングするしかないのだろう。

皆さんも用意周到に。

九州で被災されている方々に対して心よりお見舞い申し上げます。
この大震災はまったくもって他人事ではなく、日本に住んでいる以上どこで起きてもおかしくなく、そして我々はそのような土地で生活しているのだということを改めて知らされています。熊本在住の友人達も苦しんでおり助けたい。
救援物資を大型ドローンで運べ!
被災地の災害状況をドローンで撮影しているものはよく観るが、
被災地へ大型ドローンで物資をこまめに届ける、特にインフラが崩壊した地域に対して特例措置として救援物資を届けるという事を速やかに何故アクションできないのだろうか?千葉県では現在特区としてドローン実験をして2019年には実現化?などと眠たいことが報道されていたが、こういう緊急時だからこそ臨場感あるテスト輸送を兼ねて実現させるべきではないか?素晴らしい技術を被災地で本当に困っている人に届けることが出来たらこの技術が役に立つものとして国民に認知・理解されるはずなのに。
ドローン=マニアの空撮道具、危険なテロ道具、ではなく
ドローン=革新物流輸送機、として今大変苦しんでいる被災者の為に有効活用させるべきではないだろうか?
東日本大震災の時も感じたことだが日本の法令は”砂漠でも信号を守る”的なところが正とされているところがあり災害時に物凄い障壁になっている事にイラ立つ。”人命は地球より重い”、などと政治家は恰好良い事を言うが法令はそうなっていない。食料が足りなくて苦しんでいる被災者にいち早く救援するという時に法令が邪魔をする。
法令が活かされ、人が死んでしまう。
逆だろ?
米国ではドローンでピザが宅配されている地域がある。
この差は大きい。
熊本の知人とようやく電話が繋がった。

充電もままならないであろうから手短に要件を伝え、また連絡をすると伝え電話をおいた。

彼は”地獄絵”だと言っていた。

報道番組でしか現地の様子は判らないが見るだけで恐ろしい風景だ。

とにかく水が足りないと言っていた。食糧も足りている訳ではないらしい。

避難所ではいらだつ人が増えており、出口の見えない不安に押しつぶされそうだと。

今回の大地震も他人事ではない。東日本大震災の時の東京のパニックが想い出される。

直下型の大地震は日本ではいつ起きてもおかしくないということはずっと報道され続けている。

彼からのアドバイスがあった。

”車は第2の家になるから、小さい車はすぐにでも買い換えた方が良い。

6-7人乗りのワンボックスカーが良いよ”と。

報道されてもいたが避難所がいっぱいで車泊している人が増えているらしい。

しかしながら足をのばして寝れるだけの車を持っているかというと厳しいだろう。

エコノミック症候群が発生していると報道にあったが、座って寝るというのはかなりキツイ。

いつ起きてもおかしくない地震と向き合っている我々の生活を

改めて見つめ直す必要がある。

素晴らしい土地が震災被害で台無しになる姿を見るのは辛い。

被災されている方々に対してお見舞い申し上げます。



スーパーエルニーニョと呼ばれる海水温上昇がもたらす異常気象が

赤道直下の国々に多大な被害をもたらしている。

東南アジア諸国では現在干ばつが激しく、

農産物に多大な影響を与えている。

今の日本は輸入に頼りきっているので世界における異常気象は

日本の食卓に大打撃を与えることになるから他人事ではない。

前にも触れたけれど、日本もこの時期にしては雨が少ないエリアが多い。

例えば東京近郊で言えば水の大動脈と言われている利根川水系のダムには

5割程度の水しか溜まっていないそうだ。

このままいくと確実に水不足となる。

梅雨は大嫌いなのだが、そうも言ってられないようだ。

昔のように雨乞いをしなければならないのか?

東京では桜が散ってしまったところが多いのでは?

ようやく浮かれ気分から元の生活に戻れる感じではないでしょうか。

とにかく桜時期はまともに歩けないほどの人混みとなり、

特に自分は都内桜名所の一つであるところを毎日通っているので

ハンパじゃない人混みと酔っ払いとどうしても遭遇することになっていた。

店という店は大量の人で昼飯なぞまったく無理。

コンビニも人が多すぎて買える状況ではなくなるし、だいたい商品は空っぽ。

しかしながら日本のこういった狂った季節風物詩にプラスして中国人を筆頭とする

観光客でさらに環境は悪化している訳だけれど、何とかならないものかね。

政府は日本を観光立国にしたいようだけれど、インフラが整備されていないから

かなり危険な発想だよね。

今回も思ったのが、これだけ大量に人が居るが”トイレ”が無いのだ。

そうすると中国人は平気でそこら辺で用を足し始めるのだ。

全くもってそこからインフラ整備したりしなければならない。

もっと言えば、中国に沢山桜の木を植えたらいいんじゃない?

広大な土地があるので、それこそ世界一美しい桜の名所になるはず。

2020年東京オリンピック時は最悪の都市環境になっている気がしてならない。

そんな事を葉桜を観ながら思ってしまった。





毎年この時期に無性にそうめんが食べたくなる。

夏は勿論だが、ゴールデンウィーク前に一度無性に食べたくなるのだ。

理由は判らないし、昨日の東京なんて冬に戻ってしまった感があるほど寒かった。

それでも冷たいそうめんが食べたくなるのだ。

つゆには”ねぎ”、”しょうが”、”みょうが” ”大葉”をたっぷり入れる。

少々贅沢なのだが、これら薬味を大量に食べる。

特に ”ねぎ”と”みょうが”は大量だ。

”みょうが”は大抵3-4本で1パックになって販売している事が多いと思うが、

4-5パック食べたりする。

そうめんを食べる時はおかずは要らない、というか

おかずを用意してはいけないと思っているのだ。

そうめん等の伝統食材は、昔から伝わる粗食の分類らしい。

昔から伝わる料理は、昔ながらの風情を感じて食べた方が美味しい。

おかずが欲しくなる気持ちは分かるが、それでも粗食として頂く方が

そうめんの美味しさを満喫できるのだ。

書きながら、

そうめんが無性に食べたくなってきた。





たまたまYouTubeで見つけたので紹介させてもらいたい。

詳しいことは判りませんが岐阜県在住の小学生ギターリストが

日本を誇るフュージョンバンド カシオペアのカバーをライブで演奏している様で

びっくりするくらい上手な演奏しております。

バンドメンバーの方々も皆さん上手ですね。

カバーしている曲は自分が高校生の頃に出たアルバムからのものなので

だいぶ昔の曲になりますが、今このようなカバーをしている人っているんですねえ。

すごい時代ですね。

びっくりです。




28年前の今頃は米国で新しい生活を始めていた。

意気揚々ではなく、不安だらけの生活がスタートした。

今と違ってインターネット、携帯電話等無い時代。

情報の量、スピードがまるで違った時代。

でも今から思えば自分にとっては良かった。

情報が無いから、情報を得ようとする。

不便だから便利なものに感動する。

確かにそうだ。

一時帰国してきた時、日本はバブルの最中だった。

その時米国は強烈な不況に陥り、著名な不動産が日本企業によって

買収されていた時代。Newsweekの表紙で自由の女神が着物を着ている風刺があった。

そんな時に日本はあらゆるものが満たされていて貧乏学生だった自分には

全てが輝かしかった。羨ましいという想いは不思議となく、

むしろ心は豊かだった。何も無い自分と向き合うことを余儀なくされた時分だったが、

それがとてつもなく貴重な時間になったのだと思う。

あれから28年が経った。

あの頃には想像もしていなかった事が沢山起こり、

今も何とか生かしてもらっている。

”今も音楽は創っているよ!”

とだけあの頃の自分に伝えたい。

環境はまるで変ってしまったけれど、

自分と向き合うことだけはずっと続けている。

28年という時間はやはり物凄い力で、あらゆるものを変えてしまった。

10代の頃から現代音楽に関心があり

当時は知識も少なかったが色々なアーティストを探しては

レコードからカセットにダビングしていた(懐かしいね)。

知識が少ないのに加えて、そのたぐいのアーティストのレコードは

ほとんど一般の貸しレコード店には置いていなかったので

入手するのが非常に困難だった。

入手できたとしても、それら現代音楽は非常に難解のものが多いので

訳分からない音楽ばかりで理解するのに苦しんだこともあったな(笑)。

CD時代に突入してからは比較的容易に入手できるようになったけれど、

それでも一般のCDショップでは販売していなかったから都内の大型店で

探していた。

今の時代は格別で、昔の知識で検索してたら関連アーティストもどんどん

見つかるし、更には昔では考えられない現代音楽のライブ映像や、

秘蔵音源なども聴く事が出来る時代になった。

それだけマニアがアップロードしてくれているということなんだけどね。

最高に面白い時代だ。昔の苦労が嘘みたいな時代。




4月1日に退院した子供と一緒に新しい生活が始まった。

”ようこそ我が家へ”。

右も左も判らない子供に

色々と話しかけながら、

自分を見つめ直す。

子供を育てるということは、

自分が子供だった時を思い出すこと。

育児マニュアルは読むつもりはない。

自分が嫌だと思うことは、

子供も嫌だろう。

シンプルに、そして無心で向き合うのみ。