仕事でお世話になった先輩が亡くなった。
享年54歳。
まだ若すぎる死だった。肩こりが酷いと言っていてレントゲンをとったところ、
脳腫瘍であることが判り、しかもステージ4だった。
昨年のちょうど今頃に電話があり、
”ちょっと合えへんかなあ。。。電話じゃあれやし。。”
といつもの独特な関西弁で連絡があった。
すぐに会う事にしいろいろと近況話をしていた。
そんな時に実はと病気の事を切り出された。
その時に言葉に詰まったことを覚えている。
普段はコワモテのタイプでぶっきらぼう、かつ圧倒的な威圧感で喋る彼だが、
実は子煩悩で教育熱心な父親であることも知っていた。
そんな彼が命と向き合わなければならない状況になっていた。
昨年のゴールデンウィークに入る直前で、ゴールデンウィークを使って
大学病院での検査、それから場合によってはすぐに手術になると言っていた。
余命を告げられ、そして彼は手術を選ばなかった。
抗がん剤治療を選び、その強烈な副作用で声が変わってしまった。
最後に話をしたのが今年の3月。
あえて電話をしたのだった。
そして電話の向こうでは変わり果てた声で一所懸命何かを伝えよう喋っている。
ドスの効いた声は消え、甲高い声、そして上ずった喋り方で何を言っているのかが
よく分からない状態だった。
”オレの事、判りますか?”と聞くと、
”判るよ。世話になったなあ、迷惑掛けてゴメンな”と。
それが最後のやり取りだった。
実につらく、そして落ちこんでいる。
彼の事を考えれば、ようやく楽になれたのかもしれない。
残された家族の事を想うとつらいのだ。
結局は何も出来ない自分が居る。
無力な自分。
命と向き合うとは、無力な自分を知ることだといつも思う。