昨日のニュースで知ったことだが、
相模原の殺人事件を受け、容疑者の父親からの謝罪があったとのこと。
容疑者の父親は教師らしく、犯罪に対しての謝罪を勤務している学校で
親御さん達に対しておこなったとの報道だった。
この犯罪は微塵も許されるべきものではないし、仮に容疑者が極刑となっても
殺された被害者とその家族は何も浮かばれないだろうと想像する。
しかしながら、
親の謝罪に意味があるのだろうか?
気持ちは察するが、それでも親の謝罪は何を意味するかが理解できない。
何に対しての謝罪だったのだろうか?
罪の無い人を殺めてしまったことについてか?
それは容疑者の責任なので、親の謝罪では何も解決しない。
それでは容疑者の今までの養育についての反省の弁か?
これは子供と大人という境界線をどのように定めるか?という大きな問題が残ると感じる。
20歳から成人とするならば、30歳近くになっている容疑者の親としての責任を問うのも
違うと思うし、また責任の所在は親ではないから、やはり違和感がある。
子供と大人の境界線、についてはずっと違和感を感じ続けている。
ここ数年は企業の入社式に親が付き添いでくる事が珍しくない。
毎年、その光景を見ると吐きそうになる。
そして学校の入学式と勘違いしているバカ親が実在しているのは事実だ。
どんな気持ちで入社式に付き添っているのか?
考えるだけで吐きそうになる。
そんな精神的に未熟な人は、大人に成りきれていない程度の悪い子供なので
仕事が出来るはずもなく、入社まもなく辞めてゆく傾向が強い。
仕事はデジタルの世界ではないために人が介在する。
人とのコミュニケーションがどうしても付きまとうので、
そのコミュニケーションによる弊害から仕事を辞めてしまうのである。
そりゃそうだろう。入社式に親が同伴なんてことは、その企業の中では
”違和感として”話題になるだろうし、そんな親離れ、子離れが出来ていない社員は
最初から会社になじめない空気を自分自身で作ってしまっていると思われるから、
最初からアウェイな環境下で仕事を始めることになるから辛いはずだ。
何でこんな事に気が付かないのだろう?と思いながら、
親の教育ということについて考えさせられるのである。
容疑者の父親の謝罪という行動はどのような意味があるのか?
やはり頭の悪い自分には理解できない。