こんにちは~
間が空きましたが、鎌倉桜お散歩の続きです。
鎌倉霊園とハイランドの次は大塔宮(鎌倉宮)へ向かいます。
鳥居をくぐらず横から入って来てしまいました~
拝殿です。
ここからは昨年の私のブログに載せたものです
大塔宮について書いてあります。
興味のある方は読んでみてくださいね。
主祭神は護良親王~
創建は明治になってからです。
明治2年(1869)~
武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武の中興に尽力した親王の功を讃え
明治天皇が護良親王を祀る神社の造営を命じられました。
それが当神社で鎌倉宮と名付けられました。
護良親王は、後醍醐天皇の皇子で、父とともに鎌倉幕府を倒し建武の中興を実現しましたが、
その後、足利尊氏との対立により足利方に捕らえられて東光寺(この場所)に幽閉され、
建武2年(1335)の中先代の乱の混乱の中、尊氏の弟の直義の命で、家来である渡辺義博
によって殺害されました。
この場所は東光寺跡なので、ゆかりの地に建てられたのでしょうね。
ご本殿裏には、護良親王がおよそ9か月間幽閉されていた土牢であるという伝承の場所があります。
ただ、土蔵にすぎないのではないのかという説もあるそうですが。
拝殿の両側の桜も見頃です。
向かって左側はソメイヨシノでしょうか~
右側のこちらは、山桜の一種だと思います。
大塔宮を後にして、清泉小学校付近まで来ました。
この辺り、住所は雪ノ下ですが、「オークラ」と呼んでいる人も
います。
鎌倉時代の大蔵幕府(おおくらばくふ)跡と推察され、そのままの
呼び名が残っているのでしょうか。
興味深いです。
小学校内に咲いているピンクのお花も綺麗です。
ピンクのお花は、トキワマンサクです。
花びらが細いです。
清泉小学校の角に大蔵幕府旧蹟の石碑があります。
石碑がたっている角を曲がります。
道の突き当り、正面が源頼朝の墓です。
道には源氏ゆかりのササリンドウのタイル〜
正面横に石碑がたってます。
向かって左側は白旗神社です。
白旗神社
源頼朝の居た大蔵幕府の北隅の持仏堂があった場所です。
社伝によると持仏堂には観音像が祀られていましたが、その観音像は
石橋山の戦いの時に頼朝が髻(もとどり)の中に納めていた小さな
観音像で、頼朝が厚く信仰していたと伝えられています。
建久9年(1199)、頼朝が没し持仏堂に葬られた後、法華堂とよばれる
様になりました。
明治の廃仏毀釈によって石塔の前にあった法華堂は壊され、その跡に
明治5年(1872)、源頼朝を祭神として白旗神社が建立されました。
現在の社殿は明治維新100年を記念して昭和45年(1970)に建立された
ものです。
階段を上ると、源頼朝の墓とされている石塔があります。
お墓の前には、大木が~
史跡 法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)
今回こちらから行かれないようになっていますが、他の場所から
上って行くこともできますよ
この場所から70m東側に北条義時墓とされる法華堂遺構が
発見されています。
そこから北側の斜面に鳥居と石段があり、石段の上には
毛利季光、大江広元、島津忠久の近世に整備された墓所があります。
また、鳥居の向かって左手には三浦泰村一族の供養塔があります。
元の道に戻り進みます。
突き当りには附属の桜~横浜国大附属小中学校グラウンドの横に
年季が入った桜があります。
椿も咲いています。
附属小中学校内が大倉幕府の西の端と推定されています。
現在、発掘調査が行われています。
附属は、鶴岡八幡宮の東側に隣接しています。
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つづく
ご訪問くださり、ありがとうございました。