碓氷峠めがね橋(群馬県へめがね橋を訪ねて~②)(群馬県安中市) | ケイの旅ブログ

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おはようございます音譜

 

ご無沙汰しておりますが、皆さま、如何お過ごしですか。

 

ご無沙汰している間に人生初のことを3つしてしまいました。

 

人生初と言っても残念ながら楽しいことは無いですね(笑)

 

1つ目はスマホを失くしました笑い泣き

 

ただこれは失くした場所がスーパーだと思い当たり、幸いなことに直ぐに見つかりました。

 

2つ目は、またまたスマホなのですが、水没させてしまいました。

 

こちらも保険に入っていたため新しい物と交換して頂くことが出来ましたえーん

 

ただ、突然なのでSDカードに入れて無かったデータが消えてしまい、ポイントなど復活させるのが

 

大変でした。

 

3つ目は、荷物を持って転倒し、右腕上腕骨折をしてしまいましたガーン

 

大分良くなりましたが、いまだにPCも左指だけで入力しています。

 

洋服の着脱も中々出来ません。

 

包丁も柔らかい物しか切れず困っています。

 

どれもこれも自分の不注意からだと思うと情けないです。

 

ひょっとして歳~!?(笑)

 

 

群馬県の碓氷峠めがね橋に行った時のことです。

 

横川駅前の案内板です。

碓氷峠のめがね橋に向かいます。

 

 

坂本宿を通り抜けます。

 

 

碓氷湖付近です。かなり山の中に入って来ました。

 

 

 

トンネルが見えます。廃線になった信越本線のトンネルです。

 

 

カーブを曲がると、いきなり碓氷峠のめがね橋が目に入りました~ビックリマーク

 

 

わぁ~、大きいな~ビックリマーク

 

 

 

めがね橋の下には碓氷川が流れています。

 

 

碓氷川です。

 

 

アーチ型に丸くカーブしているのが、実に美しいです。

 

 

旧信越本線の碓氷第三アーチの案内板です。(所和45年に書かれたものです。)

1、建設  明治25年12月竣工

 

2、設計者  イギリス人パゥネル技師

 

3、構造  レンガ造アーチ橋

 

4、建設してからのあゆみ(一部書き替えました。)

 

碓氷峠の峻険を越えるため、ドイツのハルツ山鉄道のアプト式を採用して横川⇔軽井沢間が

 

明治24年(1891)から26年(1893)に掛けて建設されました。

 

その勾配は1000分の66.7という国鉄最急勾配です。(国鉄の中で最も急勾配)

 

これを昭和38年(1963)9月、速度改良のため新線の完成と同時にこの橋梁は使用廃止になりました。

 

このアーチ橋は廃止になった構造物の中では最大のものです。

 

優れた技術と芸術的な美しさは今なおその威容を残しております。

 

ここに往時を偲ぶ記念物としてその業績を長くたたえたいものです。

 

                            (案内板より)

 

 

案内板にも書いてあるように、丸くカーブしたアーチ型、またそのアーチが連なっているのが

 

実に美しいです。

 

 

 

真下から見上げます。

 

 

 

登って来た国道18号の方を振り向くと空が急に暗くなっています。

雨もかなり激しく降って来ました~雨

 

碓氷峠は群馬県安中市と長野県北佐久郡軽井沢町との境にあります。

 

標高は960m。

 

群馬県側の麓、横川の標高が387mなのに対し、軽井沢側の標高が939mと昔から中山道の難所

 

だったとか。

 

案内板にもあるように、信越本線を通す時も一番の難所でした。

 

気象学的にも碓氷峠は関東地方と中部地方の境界に当たります。

 

関東平野から碓氷峠を登って流れ込む南東風が原因となって軽井沢では霧の発生が多いそうです。

 

 

 

 

 

碓氷第三橋梁(めがね橋)の案内板です。(もう一つ案内板がありました。)

国指定重要文化財 碓氷峠鉄道施設  平成5年8月17日指定

 

碓氷第三橋梁(めがね橋)

 

高崎⇔横川間は明治18年(1885)10月、軽井沢⇔直江津間は21年(1888)にそれぞれ開通しましたが、

 

碓氷峠と呼ばれた横川⇔軽井沢間は、碓氷峠が急勾配のため路線決定に紆余曲折があり、

 

明治26年(1893)4月開業となり、信越本線は高崎⇔直江津間の全線が開業しました。

 

横川⇔軽井沢間の11..2kmは1000分の66.7と急勾配のためドイツの山岳鉄道で実用化されていた

 

アプト式が採用され昭和38年(1963)まで走り続けました。

 

この碓氷線には、当時の土木技術の粋を集めて、26のトンネルと18の橋梁が造られましたが、

 

中でもこの碓氷第三橋梁は200万個以上のレンガを使用した、国内でも最大のレンガ造アーチ橋

 

です。 

 

 

 

 

 

碓氷峠のめがね橋を後にして、横川駅方面に戻ります。

 

碓氷峠のめがね橋、実はアプトの道という遊歩道の途中にあります。

 

私達は車で登りましたが、横川駅からアプトの道を通って登ることも出来ます。

 

 

アプトの道という遊歩道が横川駅から旧熊ノ平信号場(旧線廃止当時は熊ノ平駅)まで続いて

 

います。

 

信越本線の旧上り本線を経由し、丸山変電所、峠の湯、碓氷第三橋梁(めがね橋)を通っています。

 

丁度、碓氷第三橋梁(めがね橋)までに5つ、その先に5つのトンネルがあります。

 

路アプトの道、数か所に階段が設けられ焚いて、旧国道18号線に繋がっています。

 

碓氷第三橋梁(めがね橋)は、第5トンネルと第6トンネルに挟まれています。

 

トンネルを抜けたり、橋の上を歩いたりすることも出来ますよ~。

 

 

こちらは、帰る途中に寄った、第3トンネルです。

 

 

 

近付いてみてみましょう。

 

 

 

第3トンネルは余り長くありませんが、その後ろにトンネルが連なっているのがわかります。

 

 

 

 

トンネルの反対側です。

 

 

トンネル内の照明は、夕方6時に消灯されます。

 

 

本来ならばめがね橋の上にのぼってみたかったのですが、雨脚が急に強くなり諦めました。

 

 

途中、元祖 力もちという幟に魅かれ、玉屋さんに寄ります。

 

 

 

力もち、美味しかったですラブラブ

 

 

 

                                                         つづく

 

 

 

ご訪問くださり、ありがとうございました。