山村代官屋敷はやっぱり立派でした~!(長野県木曽郡木曽町)(木曽路旅⑪) | ケイの旅ブログ

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木曽路旅も11回目になってしまいました~。

ここまで来ると撮り忘れが多いですよ。色々大事な所を撮り忘れています。

木曽福島の「興禅寺」を後にして、木曽福島で最後の「山村代官屋敷」に参ります。

こちらの階段の横、塀の下に駐車場があるんですよ。

立派な門を潜ります。



こちらの塀は新しく復元されたものだそうです。

入って直ぐ左手に「稲荷の祠」があります。



8代代官「山村良啓」の時、勘請諸に安永5年(1776年)稲荷を奉納すると記されているそうです。

お参りして、お屋敷の入り口に向かいます。

ヒノキの木かな~?!それこそ真っ直ぐに伸びた大木ですね~。



「山村代官下屋敷」の案内板です。



「山村氏」は鎌倉幕府の大学頭人「大江匡衡(まさひら)」一族の流れを祖とし、「木曽義元」の食客となっとことに始まり「木曽氏」の重臣として活躍しました。

後に「関ヶ原」に向かう「徳川秀忠」の先陣を承って活躍し、勝利を得た事から木曾谷の「徳川直轄支配」を任される「木曽代官」となり、以後明治2年まで274年間木曾谷を支配し、関所を守っていました。

「木曽」の山林と4大関所の一つである「福島関所」の関守を兼ねていたその権力は強大で、その屋敷は豪壮を極めたものでした。

文政11年の絵図によると現在の「福島小学校」を含めた敷地に庭園が20あり、そのうち「築山泉水」の庭が5つありました。

その1つが現存する「下屋敷」とその庭です。
                                                       (案内板より)

「大江匡衡」一族だから「大江匡衡」とどれ位繋がりが深いかは分かりませんが、「大江匡衡」と言ったら、
「赤染衛門(あかぞめえもん)」の夫です

「赤染衛門」の詠んだ歌は「百人一首」にもあるので、ご存じの方も多いと思います。

「やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな」百人一首

(訳:あなたがいらっしゃらないとわかっていたのなら、ためらわずに寝てしまいましたのに~。お待ちしているうちに夜も更けて、とうとう西に傾く月を見てしまいましたわ~。)
                            (訳はどなたがされたのか分かりませんが、お借りしました。)

ちょっと横道に逸れてしまいましたね。百人一首が好きなので、すみません。

本筋に戻りますね。
「代官」とは君主ないしは領主に代わって任地の事務を司る者またはその地位の事だそうです。

時代劇で「お代官様」というと必ずや悪い方に描かれていますが、実際には仕事が忙しくて悪事を企む暇もなかったとか。

実際に少しでも評判の悪い代官は直ぐに罷免される体制になっていて、私利私欲に走る様な悪代官が長期に渡って存在し続けるのは困難だったそうです。

「江戸時代」の初期には世襲が多かったのですが、「寛永」以降は官僚的代官が増え、任期は不定でも数年で交代する事が多くなったとか。
                                                     (ウィキペディア参照)

ですから「木曽代官山村氏」が「江戸時代」ずっと世襲で続いたのは、珍しい事なのですね~!

それでは「江戸時代」でしたら絶対に入れないお屋敷に入れて頂きます。



実は今残っているのは、「江戸時代」のお屋敷のほんの一部の「下屋敷」のまた一部だそうです。

華美というより質素な感じがしますね。

お部屋には展示物が陳列されています。

こちらの馬具一式は「山村家」の儀式の時に使用されたものだそうです。



丸の中に一の字がある家紋が見られますね。

こちらは誰かが着たなどという説明では無くて、一般的な鎧兜の付け方が、説明されていますね。↓



向かって右側の着物みたいなものは、戦の時に着た「鎖帷子(くさりかたびら)」の中に着た下着だそうです。
珍しいですね~。

こちら時代劇に出てくる「お代官様」という感じですね~!↓



こちらは代々「山村家」に伝えられているものなのでしょうか。



こちらは「貝合わせ」や「百人一首」ですね~。



こちらの「貝合わせ」、豪華ですね~!

豪華と言えばこちらの食器も豪華です。



食器一つ一つに家紋が入っています。

「安政年間の木曽の饗応料理」



「饗応料理」とは、もてなし、接待のお料理のことだとか。



わぁ~!伊勢エビらしきものが、右の橋に見えるわぁ~!かまぼこもある~!

山深い江戸時代の木曽で、伊勢エビやハマグリや鯛などもあったとか。

こちらも手の込んでいそうなお料理だわぁ~!



「安政」といえば、「江戸時代」も末期の頃でしょうけれど、現代と比較しても遜色ないかも~!



日記を元に再現したレプリカだそうですが、 それにしても豪華なお料理じゃないですか~!?

離れみたいな形で「翠山楼」が移築されています。



こちらは1788年に建てられた漢学者「石作駒石」の書斎だそうです。

写真に写して無かったのですが、炉がきってあるのです。



お茶でも点てたのでしょうか。

欄干が素晴しいです。



「翠山楼」から見た「下屋敷」です。



こちらの階段を下りると、案内の方が来てくださいました。

こちらが残っている「築山泉水」のお庭です。



「木曽駒ヶ岳」を借景にしているのですね~。

「キツネのミイラご覧になりますか?」と聞かれ見せて頂く事にします。

「キツネのミイラ」の写真、写したはずなのに写真が見つからないというミステリー~?!

門を潜って直ぐに「稲荷の祠」がありましたね。

「山村家」は「木やり」を歌うキツネに守られているという伝説があり、明治になって屋敷を取り壊した際、偶然に「キツネのミイラ」を発見したのだとか。

その「キツネのミイラ」は、「お末社さま」と呼ばれ、大切に祀られているらしいです。

普段は戸が閉まっていて見る事が出来ないのだそうですが、運が良ければ見る事が出来るのだとか。

私たちは運が良いのかな~!

「福島関所」のところで触れましたが、「福島関所資料館」、「興禅寺」、「山村代官屋敷」の共通券、
「まちなか観歩きプラン 歩こう!」(900円)を購入すると、特典としてこちらの「水源水」が頂けます。



暑いので美味しい~!!

この後また町の中心地に戻って、「田ぐち」さんという和菓子屋さんに寄って、お土産を買ったり、別館みたいな所でジェラードを食べたいと思ったのですが、時間が無いので諦めて、「木曽義仲」所縁の地へ向かいます。




                              8/11




                                                            つづく