物置代わりにしていた古い家を解体するために物を整理していたら、1970年代半ば過ぎ、学生時代に購入した駅弁の「掛紙」が二十数種類出てきました。
当時は駅弁の写真を撮ってもいないので、駅弁そのものの内容はほとんど思い出せませんが、掛紙を見ていると何故そこで駅弁を買ったのかという記憶が蘇ってきました。
当時は駅弁の写真を撮ってもいないので、駅弁そのものの内容はほとんど思い出せませんが、掛紙を見ていると何故そこで駅弁を買ったのかという記憶が蘇ってきました。
「三陸 かにめし」は、一ノ関駅で駅弁を製造・販売しているあべちうの駅弁です。
1963(昭和38)年から発売されている駅弁ですが、「三陸」の文字が入ったものは、現在も売られている「かにめし」よりもおかずが充実した豪華版でした。
上野発の一番遅い夜行急行十和田に乗ると、一ノ関駅で朝食用の駅弁が立ち売りされていました。
多くの方は、内陸の一ノ関駅で何故「かにめし」なのかと不思議がるようですが、東北人は「三陸」で納得するのでした。
1963(昭和38)年から発売されている駅弁ですが、「三陸」の文字が入ったものは、現在も売られている「かにめし」よりもおかずが充実した豪華版でした。
上野発の一番遅い夜行急行十和田に乗ると、一ノ関駅で朝食用の駅弁が立ち売りされていました。
多くの方は、内陸の一ノ関駅で何故「かにめし」なのかと不思議がるようですが、東北人は「三陸」で納得するのでした。

この日は三沢駅で下車し、今は廃止された十和田観光電鉄線に乗り十和田市に向かい、焼山行のバスに乗換、おいらせユースホステルに向かいました。