旅の小窓~名古屋往復 鉄道の旅(3)名古屋から帰路 | 旅の窓

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『gooブログ』から記事の引越しが終わりました。只今、テーマの分類作業中!

 平成28年6月26日5時起床。昨夜はぐっすり休み、頂いたお土産や不用になった物をホテルから送りました。
 お土産の一つが、友人の奥様が書いた「遊字」のポストカード。


 午前6時半にホテルを後にし、名古屋駅に向かいました。  


 名古屋駅の待ち合わせ場所として有名なのは、学生時代は「金の柱」「銀の柱」で、その後「壁画前」。今は「金の時計」「銀の時計」。
 金の時計の回りは、ランの仲間のオンシジウムで飾られていました。


 こちらが「銀の時計」


 朝食は、駅構内で午前7時から営業している喫茶店「みかど」


 名古屋といえば「小倉トースト」が有名です。


 午前10時まではモーニングセットのみ。


 ホットドックセットにしました。


 名古屋駅から東海道本線7時43分発新快速豊橋行に乗り帰ります。






 名古屋駅を出ると、名鉄と神宮前駅、JRで言えば熱田駅なで並行して走ります。


 その後は、東海道新幹線と並行します。


岡崎駅の側にある倉庫の壁の絵です。


 豊川放水路を渡ります。離れている鉄橋は飯田線ですが、名鉄名古屋本線の上りと共用です。
 こちらの鉄橋は、東海道本線上下と名鉄名古屋本線下りの3線の鉄橋です。この先共用区間を通り、JR東海と名鉄の共同使用駅豊橋駅に着きます。


 「成城石井SELECT」の1号店が豊橋駅改札内にありました。


 持っている乗車券は、名古屋駅から1,490円区間。新所原駅か鷲津駅で下車しなければいけません。


 下車した駅は、新所原駅でした。今日一日、新所原駅と掛川駅を結ぶ、天竜浜名湖鉄道を旅します。


 「天竜浜名湖鉄道の旅」については、後日。

 この日は掛川駅前に泊まります。掛川には来る機会が無いと思い、今日の夕食は掛川駅の駅弁。と考えていましたので掛川駅についてすぐに売店に行ったのですが、午後6時というのに残っていた駅弁は「浜松三ヶ日牛弁当」と「浜松名物 浜の釜飯」の2個だけでした。
 昼に三ヶ日牛を使ったカレーを食べたので、夕食は釜飯にしました。


 炊き込み御飯の上に、鶏そぼろと玉子そぼろがのり、その上にウナギ三切れ、蓮根煮、栗甘煮、椎茸、にんじん、紅ショウガ、グリーンピース、大根としそを刻んだ漬け物がのっています。



 平成28年6月27日。ホテルの部屋から富士山が見えます。
 日の出前の富士山です。この日は山梨県川の河口湖では、初夏には珍しい「赤富士」が見られたと、テレビで中継していました。


 日の出から2時間も過ぎると、富士山は霞んで見えなくなりました。


 トレインビューの部屋とまではいきませんが、新幹線が見える「スマイルホテル 掛川」でした。




 朝食は、ホテルの無料サービスです。


 掛川駅は、新幹線側の南口と在来線側の北口では、駅舎の趣が異なります。




 北口の正面には、掛川城が見えます。


 駅前にある、からくり時計。8時まで待てば見ることができたのですが…


 掛川駅から熱海駅までは普通電車を乗り継いでいきます。


 新幹線高架ホーム下の建物は白壁瓦屋根風の造りとなっていました。


8時23分発興津行が3両編成で来ました。


 日本で一番最初にできた東海道新幹線は、開業当時は騒音問題も大きくなかっため、他の新幹線と比べ防音壁が市街地以外ではほとんど無いことが特徴です。また、高架がほとんど無いことも特徴です。
 そのため新幹線からの眺めも良く、また新幹線を見る機会も多くなります。


 在来線が上になっての新幹線との交差。


 地域の名前を付けたお茶の看板をよく見ます。


 金谷駅を出ると、左に大井川鐵道が離れていきます。


 大井川を渡ります。




 藤枝駅1番線ホームのフランドル積みのレンガ造りの油庫は、貴重な物だそうです。


 島田駅から徐々に混み始めた電車は、焼津駅では中程までお詰め下さいとアナウンスされる程までになり、写真を撮るのもままなりませんでした。


 阿部川を渡ると間もなく静岡駅に到着。


 南口に、東照宮と書いた石塔がありました。徳川家と思ったのですが、なぜここにあるのかは分かりませんでした。


 静岡駅からは、9時54分発熱海行に乗ります。ロングシート5両編成できました。


 横を新幹線が走り去る光景にも慣れてきました。


 興津駅を出ると間もなく、駿河湾が見えてきます。蒲原駅手前まで海岸線です。


 しかし、国道1号富士由比バイパスが海側を並行します。


 東名高速道路も加わります。


 駿河湾が見えなくなりました。


 以前は東海道本線が海岸線に沿っていたことをが分かる波よけが残っています。


 富士川を渡ると富士駅に到着します。一番奥に新東名高速道路の橋梁が見えます。


 駅の隣には、製紙の王子マテリア富士工場が広がっています。


 三島駅手前で、静岡ガスのタンクを見ました。カワセミの絵と「名水100選の一つ柿田川湧水群のあるまち」という文字が読み取れました。


 三島駅に到着しました。伊豆箱根鉄道駿豆線の電車が見えます。駿豆線は三島駅と修善寺駅を結ぶ路線です。路線名の駿豆とは駿河国と伊豆国を意味しますが、現在の路線は伊豆国内を走っています。


 大小4つのトンネルを通り、函南駅に到着します。


 丹那トンネル開通と同時にできた駅だけあって、ホームからトンネル西口が見えます。左側のトンネルは新幹線の新丹那トンネルです。


 丹那トンネルを抜けると、JR東日本に入ります。


 短いトンネルを抜けると、終着熱海駅です。


 熱海駅からは11時28分発特急スーパービュー踊り子2号東京行に乗ります。平日というのに満席です。


 乗車口で、乗務員から指定席券の確認を受けてから車内に入ります。




 車内で昼食。


 静岡駅で求めた東海軒の「元祖鯛めし」。
 東海軒のホームページによると、「元祖鯛めし」は明治25年の静岡大火の時、東海軒の前身、加藤弁当店に馴染みの魚屋が見舞いにと、丁度漁期の甘鯛を毎日のように置いていってくれたそうです。甘鯛は煮ると身がボロっとくずれてしまい、折り詰めや商売には使えないため、もっぱら家族の食事に。ご飯の上にこのボロボロをかけると、その甘い味付けと軽い舌触りが子どもたちに大好評で、喜んで食べてくれたそうです。 ある時、鉄道の高官が子ども連れで見舞いに来たので、ご馳走を用意したのですが、子どもは嫌がって食べないので、そこでいつも家で食べている、甘鯛の煮くずれをふりかけたごはんを「鯛のご飯」と言って出したところ、とても喜んで食べ始めたそうです。かねがね子ども向きの駅弁をと考えていた主はこの話を聞いて、これだと思いついたそうです。それから5年、明治30年に発売した「上等御弁当鯛飯」が前身。
 ご飯は、桜飯と呼ばれる醤油ご飯がベースで、これに鯛そぼろを混ぜ、このご飯の上にダイやヒメダイ、魚卵などでつくられた甘口のクリーム色の鯛そぼろがぎっしりと詰められています。付け合わせは、たくあん2切れ。


 真鶴駅を過ぎると相模湾が広がります。


 平塚駅を通過すると、小出川に架かる新湘南バイパスの「湘南ベルブリッジ」を支えるアーチ状の梁が見えます。


 大船駅手前では、大船観音が見えます。


 横浜駅では、往路に乗った特急踊り子115号とすれ違いました。そこそこの乗車率のように見えました。


 多摩川を渡り東京都に入ると、終点東京駅までは10分。


 品川駅を通過し、山手線田町駅の間に広がる場所では山手線新駅関連工事やリニア新幹線品川駅の工事が始まっています。


 東京駅入線直前では、制限速度の関係か新幹線を追い抜きます。


 東京駅からは、13時20分発はやぶさ21号新函館北斗行に乗ります。


 座席はC席。


3列の通路側なので車窓を楽しむことができないので、旅の窓はここでおしまい。