だいぶ間が空いてしまいました。皆さま、お変わりありませんか。お元気でしょうか。どうも。双葉由仁です。

 

まずは私自身のご報告。“研究者”と自分のことを書いてきておりましたが、もうそれは過去のこととなってしまいました。“常識学とこれまで少し紹介していたのは、所謂、統計学の一端で、その数字を集めるために某私立大学教授に協力していただいて、私の机を教授の研究室の中に置かせていただいていたのですが、様々な事情(コロナ禍含む)の発生により、それを継続することが不可能となってしまいました。お世話になりました教授も大学と契約を終了したことから、誰を責めるでもなく、ただただ、自分の力不足を恥じる次第でございます。私は私の机を101日に引き払いました。以来、私は研究自体からも離れております。最早研究者を名乗る資格は無くなりました。

 

正直言って最初は凹みました。かなり自暴自棄に近い状態にも一瞬なりましたが、私には奥さんと娘がいます。この2人にだいぶ救われました。それに、もともと大学職員でもなく、研究では収入が全く無かったので、その糧を得るため時間に融通の利く運送業の仕事も持っておりました。これがコロナ禍などの社会変動には全く影響を受けず、なおかつ一旦外に出ればほとんど1人でする仕事でストレスも少なくて、家族3人ちゃんとこれまでと変わらず生きていける、そういう恵まれた状況でした。ですから今はもう、しっかり前を向くと決めております。すっかり身も心も配送のオッチャン化が始まっております。

 

しかし世の中の現実は無情です。

雇い止めや倒産で仕事を失った人がいる。収入が激減し、家賃や住宅ローンが払えなくなり住む場所を失った人がいる。

方や、国民が納めた税金を財源としたGOTOトラベルを利用して、コロナ禍にあっても旅行など余暇を楽しむ人もいる。

一体この差は何なのでしょうか。全てを新型ウイルスのせいには出来ません。人為的な要因も多大にあることは否めません。経済的格差だけではない。人の心にも分断を生む仕組みが今目の前にあると思うのです。皆さまはどうお考えでしょうか。

 

経済を回さなければならないことは否定しません。人と人のリアル空間での繋がりもやはり必要だと思います。決してリモートでは心満たされること、大切な命を守りきることは無いと思っています。そしてそのことは既に証明されています。だからと言ってこの既に出てしまった途中経過を結果として扱うのはあまりに安易過ぎないでしょうか。経済的な我慢は物理的に不可能。人は食べていかなければならない。安心できる家で心身を休めなければならない。しかしそれにコストがかかる。だからそれは絶対に守っていただきたい。これはGOTOトラベルのような一部の人を対象とする経済対策ではない。政治が力を発揮するのは今この瞬間なのに、何してるんですか。愚策すぎる。

私の浅い考えを書いておきます。家賃、住宅ローンは全て国が当面見るべきです。住む場所の確保は絶対であり、これは大きな安心感に繋がる。その上で感染防止の今考えられる全ての手段は国が主導して国民に普及させる。ここに自己負担は必要ない。その上で経済活動。「自粛を要請」なんて日本語はおかしい。「休業要請」などはしっかり補償を。公立病院も実はコソコソ削減しようとしていたことはもうバレています。医療従事者への待遇改善を今すぐ国は約束し、今回のような緊急事態に備えた医療体制の構築を目指すことも今すぐ始めるべきです。それをせずに安くあげようとするな。原資が無いのならば軍拡を止めれば良い。そして他国民も差別なく命を守る行動を取る。そのような国にどこの国が攻めてくるというのか。

 

私の近況報告のつもりで、書くつもりではなかったことまで一気に書いてしまいました。あとで読み返しておかしなところは修正していくとしても、まとまりがまるで無いなと既に反省しております。

 

私は第3波の最中でも家に篭ったりはしません。

仕事が今は運送業ってこともありますが、研究者としてリモートワーク可能な職業をしていても変わらず外にに出ていると思います。

ただし、GOTOトラベルのように、誰かに「今だそれ行け!」とまるで牛が放牧されるような出方は嫌です。私は今も昔もこれからも、コロナ禍であっても、人間らしくありたい。

もちろん、できる限りの感染予防は心がけていきます。

 

読んでくれる方いるのかな。

もし奇跡的に読んでくださった方がおられましたら、ゆーじん史上最高の感謝を表明します。ありがとうございます。お互い、2020を精一杯生きて行きましょう。お元気で。

私は割とずっと、東京オリンピック招致には反対しております。

何が復興五輪だ!と思っております。
何がアスリートファーストだ!と怒っております。
血税を使う場所、使うタイミング、明らかに間違っているでしょ。

あまりお金をかけすぎないコンパクトな開催をする約束で招致していたはずが、

予算は膨らむ膨らむ。当初予算は7000億。それがいつの間にか最低2兆円。民間試算によっては3兆円超えで、しかもこれはあくまでも開催にかかる直接の費用概算だけ。間接的な費用は別。コロナ禍前の試算。パンデミックは前提にしていなかったから、さらに膨らむのは決定的だ。

そうなると、犠牲があまりにも大き過ぎるのです。

ただ、私は別にダメなものはダメと頑なになるつもりは無い。どれほど気持ちが逆を向いていても、常に見直しはします。

そう思うと、2021年に延期開催予定のオリパラはタイトルの通り、燃料切れ寸前のジャンボジェット機に例えられる。そして機内には新型ウイルスが存在する可能性。

もう無傷ってわけにはいかない所まで、このジャンボ機は航行を続けてしまった。あとはどれだけ被害を小さくできるかを考えなければならない。

税金の使い方は明らかに間違っていた。
しかし今それを言ってももう手遅れなのだ。
仮に2021年開催もさらに延期や開催自体を中止すればどれだけの企業、経済が打撃を受けるか。それは日本だけの話しではなく世界の問題。全ての違約金を日本は払えるか?正直言って無理だ。それこそ犠牲者、つまり死人が出る。その仕組みは単純ではないのでここでは省略するが、この絶望感はきっと共有できるはずだ。

国内外の災害の被災者、そしてコロナの打撃を受けた人々を救う手立ては何か。

いずれにしろ、もはや晴天無風での着陸は期待できない。
そもそも、どの答えがジャンボ機にとっての着陸か。どの選択が不時着か。何も手を打たなけば墜落しかないことだけは確実だ。

開催する前提で、いかに安全に開催するかを考え実行しなければならないことを、現段階では許容する。

正直言って、オリパラ反対派だった私は、この結論を出すのはとても悔しい。
だが今は、墜落を避けて被害を最小限にしたい。そう思っている。

オリンピックはアマチュアスポーツの最高峰だなんて思ってなんかいないが、

オリンピックが平和の祭典であることに願いを込めずにはいられないのだ。


https://youtu.be/uIowU95CiJ4


ようやく秋を感じる空気になってきました。皆さま、お元気ですか?


ちょっと今日は神の領域について触れてみたいと思います。まあ、すいません、そんな大それた話しじゃないです。


日本って、神様がとても多い国です。

知ってますよね?例えば七福神だったり、氏神さまだったり、いろんな神様がいるじゃないですか、学問の神様のような老舗から、トイレの神様、ロマンスの神様、わらがみ様、クイズの神様、もう数えるのはムリです。


で、やおよろずの神って言うじゃないですか?やおよろずって、漢字で八百万って書くんですよ。ですから、日本の古事記や日本書紀の時代から日本がこんな風に神様だらけになることはある意味予言されていたわけです。凄いです。


だけどですね、ここでしがない研究者の私は考えるわけです。研究者って言うのはほとんど自称でしかない肩書きで実体はたいてい親のすねかじりかダブルワークのどちらか。生きていくためには最低限のお金は必要ですが、まだどこからも立派なお給料は貰える立場に無いので生計は別に何とかしないとご飯は食べられません。はい。私はまぁつまり、親が資産家なんてこともないし、研究とは全く関係ないよそでも働いているわけです。


そこで日々思うわけです。

神様の話しに戻ります。

仕事で出会う「お客様」って、神様なんですか?

理不尽なこと、多いじゃないですか?

研究に没頭してる時も行動心理学に関する分野なので無縁ではないけどそこでは客観的に考えられるじゃないですか。

ですが普通に世の中で働く現場は現場ですからまさに自分ごとなわけで、つまり主観的にどうしても考えてしまうわけです。


神様ならもっと神様らしく、優しくなるべきだと思いませんか?

ではなくて、やっぱり神様じゃなくて対等な人間なら、人の話しをちゃんと聞くべきじゃないですか?

どちらにしても、金にモノ言わせて上に立つのって、えげつないし、みっともないし、見下された人間としては思うわけですよ。


それにしても日本は学問に金がかかりすぎる。

それだけじゃない、社会生活コストかかりすぎ。

それに比べて給料安すぎるし、中国に平均収入抜かれたのは何年前でしたっけ?

他の発展途上の東南アジアの国々にももうロックオンされてますからね。日本は先進国の看板はもう下ろすべきです。


だけど、これ、知らない人が意外に多い。

実は常識なのにそれを認めたくないのは何故なんでしょうか。


だってこれ、仕事で関わるやおよろずの神に唾吐くような話しでしょ。


日本人はそういう意味で、とても信心深い。

救われる日、来ますかねぇ。

この国が
今のままじゃいけないことは
多くの人の共通認識だと思う

でも、譲れないことは譲れない

というわけで、
「今のこのまま」が継続中だよね。

誰もが100点をつけるヒーローの登場を待ち続けて、待ち続けて、、、

年老いて死ぬだけ。

自称「正義のヒーロー」ばっかりだから、
本当のヒーローは出る幕無し。

新型コロナウイルスが猛威をふるっていることは、今さら説明する必要は無いだろう。

治療法が全く追いついていない未知のウイルスに対し、人々は成すすべなく恐怖におののいている。それはそれで当然であろう。そのウイルスの向こう側に人は「死の恐怖」を感じているのである。だがしかし、この新型コロナウイルス関連の報道などには、いささか違う恐怖を感じている人も少なくはないだろう。一度、運悪く感染してしまえば、もしくは感染しなくとも自身に近しい人間から感染者が出れば、生活が一変してしまうことがその報道から推測されるからだ。もしかすると、ここでもまた「死の恐怖」を味わうことになる。人が人を追い詰めている。そんな現状を危惧している。

 

感染者が、まるで犯罪者扱い

 

かつて経験したことの無い不測の事態にこの騒動があてはまるかどうかはともかく、このご時世に、これほどまで「人権」や「プライバシー」が侵害され放題なことは、果たして許されるのだろうか。その答えはNOだ。感染者は何も好き好んで感染したわけではないし、感染拡大を図ったわけでもない。それがあたかも犯罪者のように連日報道されている。顔写真や名前が公表されなくても、職業や行動が公表されてしまえば、その感染者に近い人間なら容易にそれが誰か分かる。本当にこれが、感染拡大防止のために必要な情報だろうか。ネットでは、いつもの"犯人探し"よろしく個人情報暴露、制裁目的の拡散も見られる。そこまでいかなくとも、良心的な書き込みだと書いた本人も信じ切ったまま「あの店は以前から外国人の出入りが多かった」などと、一歩間違えばヘイトスピーチになりそうなことを平気で発信しているのである。これは明らかに異常だ。

 

感染ルートなんて、完全に特定できるわけない。また、感染ルートを、今さら完全に遮断できるわけない。もちろんやらないよりはやった方がいいことくらいは私も分かっているが、目に見えないものに、あなたや私が感染するかしないかなんて、どちらにしても偶然で必然でしかない。はっきり言ってしまえば、絶対に感染しない生活の仕方など無い。人混みを避けて、感染する確立を多少変えられたとしても、私たちは1人残らず、誰かと繋がっていて、その誰かも、また別の誰かと繋がっているのです。絶対に1人では生きていられないはずだ。

それなのに、もしあなたが感染したとしたら、あなたはその誰かを責めるのか?

無意味だ。

 

戦って治す以外に、終息などない。

だから今必要なのは、感染者を切り捨てることではない。

感染者を1人にせず、一緒に治すことだ。

1人じゃないと信じることができたら

人はウイルスより強くなれると

私は思う。

(ここで言う「1人にしない」とは、物理的なことではなく、精神的なこと)

誰かが「怖がり過ぎず、正しく怖がる」と言っていた。

「正しく怖がる」って何だ。

じゃ、「正しくない怖がり方」って何だ。

怖い時は、1人でいたら駄目だ。

1人でいて「正しく怖がる」のを間違えたら、世の中いきなり犯罪者扱いだというのに。

間違えたくなくても、間違えるのが人間なのに。

 

人は神ではない。

これは常識中の常識。

日本は、先の大戦において連合国の敵であった。連合国の勝利の結果を受け、敗戦国である日本は戦争責任を問われ、連合国への賠償や、あらゆる国内体制の改革を行ってきて、「もう二度と戦争を起こさない」ことを誓った。。。はずなのだが、今の国連憲章において、日本に対する「敵国条項」は残ったまま。つまり日本は未だに危険な国とされ監視され続けている。

 

もし日本が世界平和を脅かすと疑われる行為を行なった時は、安保理決議を必要とせずに日本へ軍事的制裁を加えることが可能であることを意味します。これ、重要なので繰り返します。

日本を危険と判断した場合、日本に対して軍事的制裁を加えることに、国連の決議は不要です。こんな国、他にありません。

 

はっきり言えば、日本は世界では「人殺し国家」だったし、未だにそれを覆すような信頼は得ていない。

信用できない方は、どうぞご自身でお調べください。

 

現代を生きる日本人にとって、これは受け入れがたい差別ですが、実際に存在した差別です。

もちろん、今我々が出会う外国人は、大概日本人を友人だと見てくれますが。

 

ちなみに、中東地域の紛争などでよく耳にする「自爆テロ」は、日本の特攻がモデルです。

 

日本は「人殺し国家」

日本人は「人殺し」

日本人は「人を殺すためなら自分も殺す」

この偏見、平気ですか?

これは、世界ではある意味"常識"です。

 

ちなみに、「敵国条項」を外すためには、もはや日本はどこをどう見ても戦争の意思はない安全で平和な国だと、世界に、特に常任理事5か国に認められる必要があります。

日本が戦争に明け暮れた時代の戦争責任者の血統が、未だにそれと酷似した地位にあり、さらに中国やロシアを念頭に、アメリカから大量に兵器を買い、核兵器に転用可能な核燃料を大量に保管し、ICBMに改良可能なロケット技術を持つ国を、どうやって信用できるのでしょうか。

 

敵国条項さえ外すことができれば、この21世紀、簡単に日本と戦争を始めようという国はありません。逆に、敵国条項を外せないから常任理事国5か国のうちの2か国、中国やロシアを我々は勝手に恐れているのです。


 人は誰でも、正しく生きようとしている。あえてわざと間違いを犯すことはない。

側から見てわざとだと思えるようなことがあったとしても、それは当人なりの事情や意図が必ずあるのだから、当人にとっては正しいのである。それが時に悲劇を生むとしても、当人が、より正しく生きるためには仕方がないのである。とはいえ、角度を変えればやはりそれは絶対悪とみなされることも多い。その時、人は悪を見過ごすことが極めて困難になる。正義は、他者の正義を許容しない。

 

人間社会を営んでいく以上は、ことの正否を明らかにしなければいけないことが多い。人が犯す罪をうやむやにすることは、今後の安全と安心を脅かすことに繋がるからだ。だから人は本能的に悪を糾弾する。しかしここに落とし穴がある。あまりにも手軽に、正義を行使できる時代になってしまった。そして悲劇がまた生まれる。

 

貧困バッシングを行った人々は、それまでのイメージと違う貧困の姿を悪とみなし、それを糾弾することが正義だった。

弁護士に、そのことの意味もわからず懲戒請求した人々は、けしからん朝鮮人を助けようとしている弁護士をクビに追い込むことが正義だった。

あおり運転のドライバーと同乗の女性。映像まで残っているのに犯人を特定して報道しないマスコミに代わって、一刻も早くこいつがその女だと公表することが正義だった。

例をあげればキリが無い。インターネットとSNSの普及により、いつでも、どこからでも、匿名でも、手軽に正義を行使できるようになった。

しかしちょっと待て!その正義は、正義の味のする、毒リンゴじゃないか?


[2020年10月6日追記]

このトピックに追加するべき事案が起きた。


https://news.yahoo.co.jp/articles/351f68f148572527089cc61af9f5ea83016e5338


近畿大学サッカー部の部員が大麻を使用した事件。その詳細についてはリンクやその他ニュースを参照いただきたい。私ははっきり申し上げるが、学生らをかばうつもりは無いが、責めるつもりも無い。


私には、本当に悪いやつは違う場所にいて、渦中の彼らと彼らを責める人ら、そしてこの社会を笑っているとしか思えない。ある意味で、彼ら学生もまた被害者なのだ。


とは言え、実際に彼らは大麻を使用した。これはこの国において明確に犯罪である。それは彼らも自覚していたが、軽い気持ちで手を出したとある。これについてはしっかり罪を継ぐなっていただきたい。やり直せばいいのだ。経験を糧にしてください。私が問題にするのはまたも、呼びもしないのにウジャウジャ正義の使者が登場してきたことだ。


リンクを貼ったYahooニュースのコメントや、関連ニュースのコメントに目を通してほしい。毒リンゴを食べたであろう方々が次々に書かれている。

何か一つ、罪を犯せば、もう生きる価値が無いとでも言いたげな、優しさを微塵も感じないコメントばかり。

そしてその毒リンゴを食べて正義を振りかざす方々はことごとく匿名で、そのあとに何が起きても、逃げを決め込む準備を整え済み。


そう、木村ハナさんを自殺に追い込んだように。


「罪を憎んで人を憎まず」

この孔子の言葉を、今一度、胸に刻んでほしい。そう願います。

“お袋の味”から“お”が取れて“袋の味”になって久しい。

こんなことがもう笑い話では済まなくなってきた。ちゃんと食事をできない子どもがとても多いというのだ。理由はやはり貧困と、ネグレストなど児童虐待が多いと言う。

なかなか見えにくい現実だが、だからこそ目を凝らす必要がある。私たちは誰も一人で生きてきたわけではないのだから、この子たちを見捨てることは自己否定に等しいと思うのだ。

冒頭の“袋の味”についてだが、察しの通りインスタントやスーパーの総菜など出来合いの食品が増えたことを指した表現で、最早当たり前の存在になってきた。実際使ってみれば本当に便利この上ない。特に単身者や核家族であれば、しっかり料理をするには無駄が多い。だから利用は致し方ないのだが、昨今のフードロス問題を考えても、もう一度“お袋の味”を見直す時に来ているのではないでしょうか。

愛情豊かな食事が、先述の子供たちにもしっかりと届くことを願ってやまない。

米軍の戦闘機が小学校に墜落し、子どもたちが犠牲になったこともありました。

米軍の軍人が一般女性をレイプし、殺害する事件もありました。

小学生の少女も暴行されました。
横断歩道を手を上げて渡っていた小学生を車で跳ね殺したのに日米地位協定により無罪になった軍人もいました。

日本の平和の為には仕方ないですか。

夜もいつ落ちるかわからない軍用機が頭の上を飛んでいる。
凄い騒音は、命の危険を感じさせる。

でもこうして日本を守ってくれているのだから我慢するべきですか。

 

仕方ない。軍人は戦場で命をかけて戦っているのだから。

平和ですか?皆さんの住む町は。

本末転倒

国民を守る”安全保障”なのか
国民を犠牲にして”安全保障”を守るのか。。。

そうか。
”安全保障”とは
宗主国アメリカの利益の安全を保障することか。