私の妊娠の話をする前に、
大前提として、このお話もしておきたいと思います。

私が次女を妊娠する3年前、2018年11月始め。

姉が二人目の男の子を出産しました。


陣痛促進剤を使ったところ、急激に陣痛が来たのか、胎盤が先に剥がれてしまい、緊急帝王切開になりました。
無事に出産し、姉も病室で赤ちゃんと対面したそうなのですが、
その後、止まらない出血…心肺停止。

ここからがよく分からないのですが。

なぜか10分間心臓が動かず(心臓マッサージの不備?)、脳に酸素が行かなかったことで、低酸素脳症に。


そして、さらに。
まだ出血していてお腹がパンパンになっているのに、
どこからの出血か分からないまま
3日間程、輸血し続けたとのこと。(すぐに手術すべきでは?何かの時間稼ぎ?)

その後、目は開いて体は動くようになったのですが、

周りのことは何も分からない寝たきりの状態になり、今も入院中です。




『私の中での』姉は…

しっかり者で、小さい頃から何においても

「お姉ちゃんすごーい!」と思うことが多かった。

逆上がりとバタフライだけは

「彩ちゃん、教えて~」って言われたけど(笑)


そして、大阪の北野高校で卒業式の総代になり、医者になった姉。
同じ高校に行き、改めてお姉ちゃんの凄さにビックリしたし、
越えられない存在だなと尊敬の気持ちが強くなった。


私が高校生、姉が大学生の時に
思い切って自分の思いを伝えたことがあった。

「北野に行って、改めてお姉ちゃんはすごいなぁと思ったよ。

一年生の最初、色んな先生が

『あの◯◯さんの妹さん?』って話掛けて来てくれて、

英語の先生なんかは、初めての授業の時にお姉ちゃんはすごく勉強できる人だったってみんなに話してくれたよ♪
嬉しかった~本当に自慢できるお姉ちゃんやし、尊敬してるよ。」
と、私の素直な気持ちを…。

姉はいつも私に冷たい人だったので、
「あっそ。」くらいの返事しか貰えないだろうなぁと思っていたら、

すごくビックリした顔で
「そうなんだ…そんな風に思ってくれてたんや。
私と比べられて嫌な思いをしてると思ってた。
恨んでると思ってた。」
って。

私は逆にショック。

そんな風に思ってたから、私に対して冷たかったのかな…
私がお姉ちゃんを恨むわけないのに…

ってすごく寂しかったのを覚えています。



話は戻りますが、

姉の出産前後の話は、母から電話で聞いて知りました。

私はアメリカに住んでいるので、なかなか会いに行けず。

実際に見ていないことで余計に不安でずっとモヤモヤしていました。

料理中に涙が止まらなくなることも何度もあった。

そして、

12月の終わり(姉の出産から約2ヶ月後)に一時帰国した時に、

お見舞いに行くことが出来ました。


でも本当は、こんなことが起きる前、

姉と、大きな公園で遊ぶ約束もしていて

数年ぶりに会うので、成長したお互いの子ども達が遊べる年齢になっていたので本当に楽しみにしていました。
それなのに病院に来ているなんて…。

そして、姉が入院しているのが奇しくも姉が以前勤務していた病院、
しかも姉の専門の脳神経内科。
なので、脳神経内科のナースステーションで受付してる時に、
そこで忙しく働いてるお医者さんやナースさんを見てると…
ここで同じように姉も働いていたのかと思うと…

悲しさと悔しさで字が書けなくなる位、

嗚咽泣きしてしまった。

(残りは主人に代わりに書いてもらいました)

病室に入る前も勇気が出ず、

ドアの前で少しの間大泣きしてしまう。



そして初めて見る姉の姿。
私の知っているお姉ちゃんではなかった。

いつもキリッとしてて、キレイに眉毛も整えてて、美人さんなのに、
全くの正反対。
目は開いているのに天井をボーッと見てるだけ。


私が一番辛かったのは、
もう私達の事を覚えていないということ。

小さい頃から一緒に過ごした思い出を覚えていないということ。



私にとって、これが一番、
寂しくて悲しくて辛かった。


数ヶ月後、
脳がどんどん萎縮しているとのことで
先生からは、もう元には戻らないとはっきり言われたらしい。

まだ奇跡を願っていた時に姉の夢を見て、
今も鮮明に思い出せる夢があります。

~夢~
なぜか日本の田舎道を車で走っていて、
ふと窓の外に姉の姿を見つけて
運転している主人に
「お姉ちゃんや!車停めて!」と叫んだ。
追いかけると、
爽やかな白いノースリーブのロングワンピースを着た姉が(絶対着ないような服)
杖をつきながらゆっくり歩いていて、
「お姉ちゃん!」って呼ぶと、
ゆっくり振り返って

「あっ、彩ちゃんやん♪」

「私らの事、全部忘れてしまったって聞いたよ…」
って泣きながら言うと

「大丈夫。彩ちゃんのことはちゃ~んと覚えてるから。」

って、見たことないような優しい笑顔で言ってくれて、

『先生達が言ってたことは間違ってたんや!

大丈夫そうで、本当に良かった』
とすごくホッとした。

そしたら
「私、こっちやから。じゃ♪」
って姉が歩き始めてしまい、
心の中では追いかけたいのに、
夢の中の私は、普通に手を振って見送ってた。

姉は、柴咲コウさんや中谷美紀さんに似ているな~と思う位、美人さんだと思っていたけれど、

夢の中の姉は、本当にとてもキレイだった。



…目を覚ますと、

お姉ちゃんに会えて話せたことが嬉しくて泣いていて、

しばらく涙が止まらなかった。


夢なので、私の願望だと思いますが、
きっとお姉ちゃんは脳の奥の方で
覚えてくれてると信じています。



私も同じように胎盤が剥がれてしまったので、
姉のことがよぎって、ずっと不安でした。


辛い話ですが、読んで下さってありがとうございましたヒヨコ

初めて入院した4月から産後の9月まで、
みなさんがずっとサポートしてくれましたニコニコ
本当に感謝しています。


【主人】
家事、育児を頑張ってくれて、感謝🙏

…でも今回、日記を見返すと
一生恨むような、主人の言葉、態度。

しょっちゅう喧嘩ももやもや私の肩には青アザハッ


出血する前の妊娠初期から何度も喧嘩をしていて、
押し合いになって、しりもちを付いたことも。
ストレスも出血の原因だったんだろうな。


産後も喧嘩は続いていて…。

サラっと書きますが(笑)
実は、喧嘩中に

私が果物ナイフで自分のお腹を刺して

流血、手術、入院…という、

事件としてニュースになるような事がありました。

(これについても、いつか載せたいと思います)


「ほんとバカなことをしてしまった…」と反省する自分もいるし、

「これはもう事件やろ。今、普通に一緒に生活してるのは異常かも。」と時々ふと思う自分もいる。

喧嘩に慣れ過ぎて、青アザも仕方ないと思っていたけれど、
入院中、異常事態だということで…
精神科の先生とも話をしたし、
色々と家庭のことを聞かれて、
「あなたが希望するなら…警察を呼びますか?」と確認されたくらい。

まぁ、原因については、
思い出すのもしんどいので詳しくは書かず、抽象的ですが…。

もう結婚してからずーーーーっと、
主人のあり得ない行動、
私からしたら、ちゃんと考えたら絶対にやらない!って事、
しかもそれらは私たち家族のことを考えていない非常識な行動
(なんかイライラしてきて文章ぐちゃぐちゃです。すみません🙏)

こういう自分勝手なことを何回もして、
その都度、私が怒って、お願いして約束して

…また約束を破られて

というのを何万回と(私の感覚💧)繰り返していて、

そして、その時は、

「産後すぐなのに」

「一時帰国前で健康には気をつけてほしい時なのに」

という、色んな状況が重なって、
我慢してた物がプッツンと切れて、私の精神がおかしくなり…
ついに事件が起きたという感じでした。

娘二人が私の生き甲斐で、

死のうなんて思ったことのない私が、

頭がおかしくなってやってしまうなんて…

やっぱり異常事態。

これがまた…周りの人に理解されない感じが本当に辛い。

でも!

唯一理解してくれる人が一人できました🙏

その方と全て話したおかげで

やっと落ち着いた感じ。

日記を見返すと、悲惨すぎるけど…💧



ふぅぅ~~ダッシュ

気持ちを切り替えて虹


次は、みなさんの優しさに改めて感謝したいと思います🙇‍♀️♥️


【お友達ママさん達】
いつも仲良くさせて頂いてる、お友達ママさん達がLINEグループを作ってくれて、
おかずを持って来てくれたり、
主人が夜遅くまで仕事の時は娘をお泊まりさせてくれたり、

休日は主人と娘の遊び相手をしてくれたり、

本当にたくさん助けて頂きました。ありがとうございます🙇‍♀️


LINEで私がくよくよした時は、
みなさん、優しい言葉で励ましてくれました。

「頑張れ❗絶対大丈夫だよ❗」ではなく、
「応援しているよ。」
「願っているよ。」
という優しい言葉だったのがすごく嬉しかった。


この入退院を繰り返している頃、かなり心が病んでいて…
「絶対大丈夫!頑張れ✊」

という強い励ましの言葉は、

病院の先生と両親が言う分には、背中を押されるように気合いが入ったけれど


申し訳ないですが、他の方に言われると…
『どうしてそう言えるの?
何の根拠があるんよ。
他人事だからや…』と
ひねくれたネガティブな考え方をしちゃってた。
「私も初期に出血したよ~」と話す人もいたなぁ。

『あなたは入院していないでしょ。

無事に産まれて成長してるやん。

一緒じゃないやん。何がわかんの?』

ってモヤモヤネガティブ


…余裕がなくて嫌なやつになっていたな。


でも、この時に

『あぁ~

私のことを親身に思ってくれて本当に優しい、

大切な人達だな。』

と改めて思った方々がいます赤薔薇


何度も入退院を繰り返していて、

みんなに迷惑を掛けているな、申し訳ないなと思っていた時に…

「入院は大変だろうだど、心穏やかにゆっくり過ごしてね」
「本当によく頑張ってると思うよ。彩ちゃんも赤ちゃんも尊い」
「みんなで協力して赤ちゃんを迎えようね」
「身内が近くにいないからみんなで助け合っていこう」
などなど…

優しいお言葉をいっぱい頂いて、本当に嬉しかったピンクハート

すごく心強かったです筋肉ありがとうございます♪



【娘のプリスクール】
それまでは、週2日の固定で、空いていたら他の曜日も入れてもらう(drop in)という形だったけれど、

主人の仕事の都合とかも考慮して優先的に入れてくれて、毎日登園させて頂きました。


そして、先生方と保護者の方々が「Meal Train」というごはんのサポートもして下さいました。



【病院】
大きな病院なので、ナースさんは昼間も夜間も合わせると合計50人位いたけれど、

長期入院の間に色んな方に担当してもらい、ほぼ全員の名前を覚えましたOK


ナースさん達が、私のことを

「Aya~」「honey~」「my sweetie~」と呼んでくれて

本当に親身にお世話して下さいました。

私が泣いている時に

一緒にうるうる泣いてくれたり、

真剣な顔で「私達に任せて」「あなたを絶対に守るから」と分かりやすい英語で励ましてくれたり、

私より一回り位若いナースさんがハグしてくれたり、
おばあさんナースさんが頭を撫でてくれたり。

変な人だなぁと思うナースさんも2.3人いたけれど💦
残りのみなさん全員が本当に優しい方々で、

たくさん安心感をくれました飛び出すハート


また会いたいなぁ~♥️近いうちに成長した娘を連れてみなさんに会いに行こうと思います照れ



先生は、担当医の他に7, 8人の先生方がチーム体制で見て下さる。

毎日キラキラ誰かが病室に来て問診やその時々の重要な話、あとは私からの質問に答えて下さる。

忙しそうな態度をする威圧的な先生もいたけれど、

ほとんどの先生が私の質問に丁寧に答えて下さったし、心のケアもしてくれましたふんわりリボン


サンタクロースみたいなベテランのおじさん先生が

「あなたが不安に思うことを質問してくれて、

私達が答えて、それであなたが安心する、

ということがとても大切です。」

と言って下さったのは嬉しかったなぁ。

先生に確認できたら安心するんよねニコニコ



出産後は、私を担当してくれたナースさん達がうるうるしながら
「I'm so happy for you.」って祝福してくれたし、
その日の担当じゃないのにわざわざ病室まで会いに来てくれて
「We're wating for seeing you !!」って

次女に向かって言ってくれたり(笑)

「Miracle story」「Long journey」

と言われましたふとん1


そして、感謝したい人の中の最後は

なんと言っても…


【私の母】
家で安静生活をしている時も、入院している時も、

毎日毎日、先生からの話を伝えて私の思いを聞いてもらって、

不安な気持ちや愚痴を聞いてもらって…。



いっぱい励ましてくれて、
いっぱい鼓舞してくれました。
さすがお母さん。

でも、やっぱり
両親に心配を掛けてしまっていることが、

本当に心苦しくて悲しかった。



母には泣きながら何でも話せるので、
いつも電話をしていたけれど、
父には、なぜか…なかなか自分からは電話できず。
母から伝えてもらったり、LINEだけで伝えたり。

私も娘がいるので、親の気持ちを想像すると本当に辛かった。



おすましペガサス改めまして…

みなさんの優しさのおかげで、乗り越える事が出来ました🙇‍♀️ありがとうございました。



本当にすごく辛い日々で、泣いてばかりだったけれど、

こんなにたくさんの方々が私を支えてくれてるのだな…と心強くて、

いっぱい優しさを感じる事が出来て、

…私は幸せでした。

みなさんへの感謝の気持ちを

一生忘れません。


長くなりましたが、読んで下さってありがとうございましたヒヨコ

今日、たまたまYouTubeで見つけて

感動して涙が止まらなかった曲音符


かてぃんさん🎹

「胎動(New Birth)」おやすみ



妊娠中に、次女に対して感じた

いろんな事を思い出しましたおすましスワン



この子の生命力の強さ

神秘的

荘厳。


可愛いらしい

愛おしい

守りたい。



上手く言葉では表せないけどニコニコ

素晴らしい曲なので、是非聞いてみて下さいハートのバルーン