2021年3月29日(月)【妊娠17w5d】


15:00 PCR検査

3日後の4月1日から、日本への一時帰国の予定だったので

PCR検査を受けに行って、3人とも「陰性」ウインク

「これで日本に帰れるね~!」って話してた。

その日の21:00頃…

私のツーブロックの刈り上げ部分を主人にバリカンで刈ってもらってからシャワーに入り、
すっきりした~♪とウキウキしながら着替えようと、まだ真っ裸の時に
ポタッと出血‼️

主人と娘は、お風呂に入っていたけれど、
「出血した!病院に行くことになると思う!」
と伝えて、急いで出て来てもらう。

ナプキンを当てて様子を見てると、
どんどん出血量が増えたので急いで病院に電話。

はぁ~これもストレスだったなぁ赤ちゃん泣き

こんな緊急時なのに、
やっぱり英語なので電話する前に文章を考えたり、勇気を振り絞るまで、なかなか電話できず。
さらに途中から詳しい話をする為に、通訳さんを繋いでもらったり。(30分掛かる)

これが日本だったら、もっと気楽にスムーズに自分の言葉で電話できるのに…と思った。

でも、病院は素早い対応をしてくれて良かったですOKさすが大病院気づき


emergencyの先生と話して、すぐに来るように言われる。
その間、初めての出血、そして増える出血のショックで手の震えと動悸が激しくなるネガティブ

主人と娘が、すぐに協力してくれたので

電話してから20分程でemergencyに到着スター

22:00

受付をして小部屋で簡単な問診(電話通訳あり)。


コロナの為に主人と娘はそれ以上は入れず。
この時は血が止まっていたので、すぐに帰れると思っていたし、娘に心配かけないように、
「ちょっと先生に診てもらって来るね~♪行ってきまーす」
と明るく、簡単な挨拶だけで別れて、車の中で待っていてもらう。
(緊急入院してから全く会えなくなったので、この時に娘にはちゃんと話してあげれば良かったと後悔…)

23:00

歩いて救急の処置室へ。

1つ1つの処置室は小さいけれど、
迷路みたいに広くなっていて部屋がいっぱい!夜だからか患者さんは少なかった。

この時も結構歩かされるし、緊急性はないのかな~と勝手に判断して安心した。


ベッドの上でかなりの待ち時間があった。
パンツを脱いで、ペットのおしっこシートみたいなパッドの上にそのまま座る。

すると…
動いていないのにダラダラとどんどん血が出てくるようになって、
お尻の下が血だらけになり、ものすごい不安になる。
その頃は深夜0時近くなっていて、

深夜だからなのか、貧血なのか、眠くなってくる💦


その間に救急のナースさんが血液検査したり点滴繋いだり、色々処置。
通訳なしだったけれど、
小さな声で優しく丁寧に話してくれる、すごく優しい方だったから、何度もうるうるしてしまった。

この辺りから私の涙腺が緩んで来ます…。そりゃ不安だよね。


0:30

エコーを撮ることに。
出血があるのでベッドごと連れて行ってもらう。

技師さんが黒人のお姉さんで、無口な無愛想な感じで、より緊張。

画面を見せてくれないし、「Is my baby fine?」ってたどたどしい英語で聞いたけど、
先生から話しますって何も教えてくれず、ますます不安に。

そしてまたさっきの部屋に戻って待っていると…

2:30

やっと、産婦人科の担当のラインドール先生が救急の方に来てくれて

「赤ちゃんは大丈夫です!」と言ってくれて、良かった…とほっとする。

でも先生は急いで来たみたいで息が切れてはるし、
詳しく話すから通訳を繋げますって言われるし、
いつも優しいお母さんみたいな先生なのにめっちゃ真剣な顔をしてるから、急に不安になる。

泣きそうになっていると…
通訳さんがやっと繋がり、説明を受ける。

「胎盤の一部が剥がれてしまっています。そこからの出血です。今日は入院してもらいます。」


どういうこと?胎盤剥離ってヤバイんじゃないの?
いや胎盤の一部くらいなら大丈夫なのかな?またくっつくのかな?
と頭の中で、良い↔️悪いを行ったり来たりでごちゃごちゃパニック状態に😱

(アメリカの妊婦検診は初回以降だいぶ大きくなるまでずっとエコーを撮らない為、胎盤の位置状況は全然把握出来てなかったのかも❓)

入院になるとは思っていなかったので、
主人とメールのやり取りをしながら二人にはずっと車の中で待ってもらっていました。

「My husband and daughter are waiting for me in our car, so may I call him?」
ってパニック状態の中、英語を頑張る😢!
主人に説明して入院になったことを伝える。

娘はチャイルドシートに座ったまま寝てしまっていたらしい🙏挨拶できないまま二人は帰ることになって寂しかった悲しい

主人たちには深夜まで車の中で長時間待ってもらって本当に申し訳ないことをしました。

3:00
ベッドごと病室に運ばれる。
この時、何人かのナースさんとはすれ違ったけれど一般の人は誰もいなくて、
肌寒い、静かな廊下をガラガラ音を立てて連れていかれている状態が本当に寂しくて、
赤ちゃんのことも、アメリカの病院に入院ってことも心配で、
これからどうなるんだろう…と
不安と寂しさで涙が溢れてきて、しくしく泣いた。

病室で少し待っていると、ラインドール先生が来て説明(電話通訳あり)

・赤ちゃんは心拍も全て順調。

・胎盤が子宮口に掛かっていて(前置胎盤)、そこが剥がれているのが確認された。

・このまま大量出血が続いて母体に危険があれば、子宮から胎盤を取り除く処置をする。

その場合、赤ちゃんはまだ小さいので外に出たら生きられません。

⏩出血が止まって、赤ちゃんをお腹にキープできるように目指しましょう。

とのこと。

今考えると、この時は頭がフリーズしていたのかな…

先生の言ってる事があまり理解できず、何の感情もなく淡々と話を聞いているだけだった…。


先生と夜の担当ナースさん(Jillさん、ウェイビーヘアの優しいおばさん(後に大好きに🙏))が出血の様子を内診。すごい大きな綿棒みたい物で拭き取って新たな出血がないかチェック。

→出血は収まっている、膣からの出血、子宮は破れていないので破水の心配はない、大きな出血は見られない、とのこと。

途中、タラーっと出血して10cmくらいの塊も出てくる!


右腕に点滴開始。

入院手続き。


4:00

全て終了。

子宮の収縮を止める薬を飲んで、寝始める。


不安で寝られないかもしれないと思ったけれど、

ずっと緊張していたし、どっと疲れが出たのか、すぐに寝ました…。



この最初の入院(10日間)では、

先生方からリスクについて聞けば悲しくて泣き、

先生方から良い報告を受ければ嬉しくて泣き、

…本当に泣いてばかりでした💧

娘は混乱していて毎日泣いていて、LINEビデオ通話で何度も慰めた。
そんな娘の姿を見るのも辛くて、娘に会いたくて…また泣く💧

という、家族みんながそれぞれ不安な生活をスタートさせます。



次は、入院2日目からのことも載せていきたいと思います。

読んで下さり、ありがとうございましたヒヨコ